大股を広げ、色気全開のポーズを決める、あでやかなこの男。しかし、今日の衣装は、ちょっと抑えめなぐらいだ──。
表現を曲げるなら、音楽なんて辞める
Snow Manに提供した「オレンジkiss」は、2022年年間シングル売り上げ1位を獲得。ほかにも東方神起、Kis-My-Ft2など“男性アイドルの艶”を楽曲で成立させたら、日本で右に出る者はいないシンガー・ソングライター、SHIROSE。本人はアーティストとして布面積を極限まで削った衣装で、時にはほぼ裸のままステージに立ち、セクシーな表現を歌い上げ、熱狂的女性ファンが急増中。’26年最も注目される表現者の正体に迫った──。──10代の頃は800m走の選手だったとか。
SHIROSE(以下、S):中学時代にはジュニアオリンピックに出たし、世界一を目指してました。山籠もりしたら、足がものすごく速くなったので。
──どういうことですか!?
S:中2の夏休みの40日間、山に籠もって毎日坂道ダッシュ1000本と懸垂1000回していたんです。当時、地元の京都の中学生陸上大会で優勝した選手が一日10本坂道ダッシュするって聞いたので、その100倍やれば勝てるかな?って(笑)。
──そこから、どのように音楽の道を目指したのでしょうか?
S:高1の時、靱帯を傷めて3年間リハビリすることになってから、自分自身に無価値感を覚えるようになって。大学に入ってからも靱帯を再び傷めて、やることがなくなってヒマだった時、練習日誌をさかのぼってみたんです。当時の僕は練習してないから日々の感想文みたいなことしか書いてなかったんですけど、一番辛かった高2の日誌に(※1)「そのウソツキな目が優しく笑うから/僕はバカを演じるよ」って書いてあって。
ホームレス同然で上京、北欧へ“押しかけ”修業
──もともと音楽は好きだったんですか?S:幼稚園年少から小6までクラシックピアノを習っていたし、小学校時代はKiroroやカーペンターズをよく聴いていました。でも僕、完全に声フェチだからKiroroなら「未来へ」という曲の「前を見てごらん」ってフレーズのうち玉城千春さんの「前」の部分の声が好きで、そこを100回くらいループするように編集するんです。車で移動中でもそれを聴くから、同乗している人にはスゲー嫌われてると思います(笑)。
──一方、音楽的に影響を受けたアーティストは?
S:小学生の時に(※2)2PACにハマり散らかしまして。高3の時には彼の名前のタトゥーを彫ったくらいでした。初めて歌詞にハマれたアーティストなんです。まあ、「人生を変えるために危ないこともやるぜ!」みたいなことを歌っているんですけど(笑)。僕自身人生を変えたかった高校時代にそれが本当に刺さった。それでアメリカのブラックミュージックにハマって、エロいことを歌うR&Bも知り……。
──代表曲「Tattoo」の歌詞「俺の目をみて服を脱げ」は話題になりましたが、小学生時代にすでに今の作風のルーツに出合っていた、と。
──現在活動するユニット・(※3)WHITE JAMのメンバーとの出会いは?
S:意外なことにその直後だったんですよ。その時はヘッドセットマイクをして、自分でiPodを操作して曲を出して歌いつつ、チラシを配るというライブをしていたら、それが話題になって数か月後にはロータリーいっぱいの人が集まるようになったんです。「曲はいいけど、なんかヤバいヤツがいる」ということで(笑)。で、そのお客さんの一人が(※4)GASHIMA君だったんです。彼は僕ら世代ではちょっとした有名人で、同い年だったこともあり、すぐに意気投合して、僕の曲でラップしてくれるようになりました。
──女性ボーカルの(※5)NIKKIさんとの出会いも溝の口?
S:いや、GASHIMA君と一緒に出るようになったライブハウスの対バン相手が彼女でした。完全に好みの声だったので「僕の曲で歌ってください!」って誘って。
──「優勝しちゃった」って?
S:優勝したら自分の曲でデビューできると思っていたんですけど、そのオーディションはボーカリストを探していたらしくて。当時の僕の曲の中にはのちにWHITE JAM名義で発表したものもあるんですが、それを聴かせても「ダメだ」と言われて……。迷った結果、事務所をやめてスウェーデンに行くことにしたんです。その頃、バックストリート・ボーイズの「I Want It That Way」がすごく好きで、調べたらマックス・マーティンとアンドレアス・カールソンというスウェーデンのプロデューサーが作詞・作曲していた。それでFacebookやMySpaceから「僕と一緒に曲を作ろう」ってメッセージしまくってたら、根負けしたのか「じゃあ来てみなよ」と言ってくれたんです。
世間的な“正しさ”よりも、自分の感覚を信じるのが正解
──行動を起こす時のはじめの一歩がまあ、過剰ですね(笑)。S:そうかもしれない(笑)。今でこそコライトはJ-POPでも当たり前になってますが、当時のアンドレアスは当然日本の音楽なんて知らないし、共通言語なんてひとつもなかった。だからこそ、日本から突撃してきた少年にビビりつつも一緒に曲を作ってくれた。彼らには本当に感謝しています。
──そしてWHITE JAMの活動や、ほかの人に楽曲提供する作家活動が本格化した?
S:実はこれが全然軌道には乗らなくて(笑)。
S:なのに腐らないのが僕の偉いところ。僕と同じように個性的すぎるボーカリストさんに楽曲提供を始めて彼らとライブイベントを開くようになったら、それが人気になって。最終的にDa-iCEさんやNissyさんや(※6)松田聖子さんの関係者も観に来ていたんですが、その直後に彼らから楽曲の制作を依頼されるようになったんです。
──WHITE JAMにとっての転機はいつ頃ですか?
S:’20年に発表した「Tattoo」と「磁石」をきっかけに目に見えて知ってくれる人が増えた気はします。
──その2曲って息が長いですよね。’25年頭にもYouTubeでMVがバズっていたし。
S:僕の曲って異質で、皆さんが自分なりの楽しみ方を見つけるのに3年かかるみたいで。
ようやく自分の表現に、お墨付きをもらえた
──あとはそのファッション……ほぼ裸のようなスタイリングが賛否両論を呼んでいます。S:僕は激イタ男なので(笑)。あの服を本気でカッコいいと思ってデザインしてるし、あの手の服は中学時代から作っていたんです。
──「キモい」みたいなコメントって傷つきません?
──お墨付きを得た今、やってみたいことは?
S:僕らは’27年に日本武道館でのライブを目指しています。まずはその前哨戦である、’26年4月のホールライブをやり切るのが当面の目標ですね。
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突き抜けすぎた個性は、今や誰にも真似できない武器へと昇華した。衝動を信じて進んできた軌跡そのものが、彼の音楽の確かな証明になっているのだ。
【SHIROSE】
京都府出身。本名は白勢貴仁。
(※1)「そのウソツキな目が優しく笑うから/僕はバカを演じるよ」
’14年に発表されたWHITE JAMの楽曲「ウソツキ」のワンフレーズ
(※2)2PAC
米国のラッパー。幼少期、東海岸のブロンクスから西海岸に移住し、1991年にギャングスタラッパーとしてデビュー。ドクター・ドレー、ロジャーと共作した1995年の楽曲「California Love」がビッグヒットを記録する。翌1996年、当時米国で巻き起こっていた東海岸のラッパーと西海岸のラッパーによる抗争の影響か、何者かに銃殺される
(※3)WHITE JAM
ラッパー・GASHIMA、女性ボーカル・NIKKIとともに’14年に結成した音楽ユニット
(※4)GASHIMA
兵庫県生まれ、アメリカ育ちのラッパー。双極性障害を罹患したことから精神疾患への啓蒙活動も行う
(※5)NIKKI
大阪府生まれのシンガー・ソングライター。ソロ活動も行い、2ndシングル「ニブンノイチ彼氏」がSNSを中心に人気を呼ぶ
(※6)松田聖子
’13年のクリス・ハートとのデュエット曲「夢がさめて」の作詞・作曲・編曲を担当。同年『第64回NHK紅白歌合戦』に出演した松田はクリスとともにこの曲を歌っている
取材・文/成松哲 構成/安羅英玉 撮影/立花奈央子
―[インタビュー連載『エッジな人々』]―
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