「最初に話が来た時には抵抗がありました。でも、私はまだ“何者か”になれていない。だから、セクシー女優になることを決めたんです」
有名アイドルグループの研究生として上京した少女は、どんな紆余曲折を経てセクシー女優へと辿り着いたのか。その道のりと今の仕事に対する熱意を赤裸々に語ってもらった。
「お色気系の仕事しか来なくて」役者業に行き詰まり…
「いえ。アイドルではなく、役者志望だったんですよ。雑誌でオーディションを見つけては、愛知から上京して受けていたのですが、素人から演技の道にストレートで行くのは難しいと感じていて。ちょうどその頃に前田敦子さんがドラマや映画で活躍し始めているのを見て、アイドルから女優という道もあると考えたんですよ」
——そして見事に研究生オーディションに合格。東京での活動がスタートしたのですね。
「東京に引っ越してくるように言われ、高校も通信制に切り替えました。でも当時はまだ世間的には『AKBの研究生って何?』という状態で、仕事も何もない。
その後は東京に残って演技のレッスンやオーディションを受け続ける日々。そうこうしているうちにAKBも爆発的に人気が出始めて、正直残っていれば良かったかも……と後悔することもありました」
——役者の仕事は上手くいかなかったのですね。
「なんとかVシネマに出演できるようにはなったのですが、ポジションがお色気系というか。絡みのシーンはないにせよ、胸はチラッと見えるみたいな役どころが多かったんです。結果的にそういう仕事しか来なくなって、役者業は行き詰ってしまいました。そのタイミングで知人から『グラビアをやってみない?』という提案をされまして……」
——なるほど。それでグラビアの世界に?
「違うんです。面接があるというのでDVDメーカーさんに足を運んでみたら、実際はセクシー女優のお仕事だったんですよ」
——もしや騙されたということですか!?
「そう、まさに『騙された!』でしたね(笑)。アンケート内容にNG事項の記入欄があったり、メーカーさんからの質問も『どこまでできますか?』だったので、直感的にこれはグラビアではないぞ、と。でも、メーカーさんは本当にセクシー女優志望の女の子が来たと思っていたみたいなんです。悪いのは私もメーカーさんも騙した、あの知人だけです。
この出来事をきっかけに、いったん芸能界から距離を置くことにしました。2年くらいはフリーターとして普通に働いて暮らしていましたね。ただ、自分はまだやりきっていないという心残りがありました」
グラビアアイドルを辞めた理由は「限界を感じた」から
「ちょうど知り合いから事務所を立ち上げるという連絡が来たんですよ。内心、半信半疑ではあったのですが、もう一回チャレンジしてみようと心に決めて、グラビアアイドルとして活動を始めたんです。そこから8年半くらい続けました」
——グラビアアイドルを辞めた理由は?
「ひと言でいえば、『限界』。これに尽きると思います。8年半の間、本当にいろいろあったんですよ。発売されたイメージDVDで、出ちゃいけないはずの部位のポロリが発覚したりして……」
——えっ!発売後にわかったのですか?
「しかも2回も(笑)。本当にありえないですよね。2回目の時は、ちょうど事務所を辞めたタイミングで不安だったのもあって、メーカーさんに発売前に自分の目で収録内容の確認をさせて欲しいとお願いしたのですが、それが叶わず……。ファンの方のブログのレビューで、再びポロリしていたというのを知ったんです。慌ててECサイト各所に取り下げ希望のメールを直接送ったところ、きちんと販売を止めていただけました」
——それは良かった。
「ただ、それによってイメージDVDの審査がグっと厳しくなったんです。それまでは全年齢の範疇だった衣装やポーズが、アダルト系にカテゴライズされるようになりました。そういう経緯もあり、業界からは“面倒くさい子”と思われて、撮ってくれるメーカーがなくなってしまったんですよね。イメージDVDファンから『おまえのせいで!』とバッシングされたこともあります。
そんな中でも唯一私にオファーをしてくれたのが、アダルト系のイメージDVDを出しているメーカーさん。何もしないよりは、やった方がいいと思い、“18禁グラドル”に振り切ることにしたんです」
——そうすることに葛藤はなかったのでしょうか?
「本音を言えば、心がすり減りまくっていました。それでも、“18禁グラドル”がアイデンティティとして確立されたので、ここが自分の着地点にはなったと思います。ただ、21本目のイメージDVDを出したあたりで、グラビアアイドルとしてやれることの限界に到達したと感じるようになりました」
この経歴あってこそ、34歳という年齢が魅力に
「1人のグラビアアイドルがDVDを出せるのって、平均で年2本。マックスで4本くらいなんですよ。大抵はそこからギャンブル系のバラエティ仕事がメインになっていくんですが、私はまったく向いてなかったですね。たとえ番組のお金であっても、目の前でお金が減っていくのが嫌で仕方なくて。
——本音では辞めたくなかった?
「グラビアアイドルは好きな仕事でしたからね。でも、年齢のこともあったし、やりたいことはやれたと自分に言い聞かせて、2023年6月に引退を表明しました」
——そして、2024年2月に「金松季歩」への改名と芸能界復帰を報告。翌月にはセクシー女優としてデビューすることが発表されました。なぜ、セクシー女優をやってみようと思ったのですか?
「なんだかんだでグラビアアイドルとセクシー女優って、けっこう密接なジャンルじゃないですか。だからこそ、ずっと業界の方は私のことを見てくれていたみたいですね。最初にお話が来た時は、『いや~……』って感じで、かなり抵抗感がありましたけど」
——そこから挑戦する気持ちになれたのは?
「結局、いろいろあって年齢を重ねても自分がまだ“何者か”になれていないことが、ずっと引っかかっていたからです。アイドルにしても役者にしてもグラビアにしても、その業界の顔にはなれませんでした。『〇〇といえば』で誰かに名前を挙げてもらえる存在ではなかった。だからこそ、新しいことに挑んでみたいと思ったんです。
同時に、自分が過激なグラビアアイドルであったこと、当時34歳で年齢を重ねていること……ネガティブな要素をすべて『誰にでもできることじゃない』と、この業界から受け入れてもらえたことが大きかったですね。この経歴あってこそ、34歳という年齢は魅力だ、と」
——確かに、セクシー女優としては、早いとは言えないデビュー年齢ですが……。
「同じメーカーの専属女優さんたち、ひと回り以上も年下ですからね。若すぎますよ!でも、今は本当にこの道を選んで良かったと思います。作品のドラマパートで演技ができて、パッケージ撮影でグラビアみたいなこともできて。やりたかったいろんなことをセクシー女優として実現できますから」
——今後もこの仕事は続けていくつもりですか?
「はい。できるだけ長く……自分がやりきったと思えるまで続けていきたいと思っています。今度こそ、“何者か”になることが今の私の目標です!」
——ありがとうございました!
<取材・文・撮影/もちづき千代子>
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