山に暮らし、遊び、思索する――。時に含蓄あるセリフを吐いたかと思いきや、時に斜め上の言動でファンを驚かせる東出昌大。
今、何かと目が離せないこの男は文章でも人を惹きつける。9月に彼の山暮らしの日々を綴った24扁のエッセイ『誰が為にか書く~東京から離れた山暮らし日記』が刊行され、人間の生きる力とは何かを考えさせられる。そんな東出昌大のエッセイのなかから、同書籍未収録のエピソードを紹介しよう。
東出昌大は狩猟免許取得に必要な診断書をもらうため、精神科を訪れた。待合室で順番待ちをしていると、入り口の扉を蹴破るように転がりこんできたのは明らかに患者とわかる中年男性だった。

(以下、東出昌大の寄稿)

診断書をもらうために訪れた精神科で出会った男

月曜朝9時、精神科…東出昌大の祈りの画像はこちら >>
「兄が死にましたー!兄が死にましたー!」

 声量のコントロールが出来ていないその様子から、一目で患者と分かるオジサンが入り口から入って来た。月曜の朝9時3分、精神科。私は狩猟免許の為の診断書を貰いにここを訪れていた。オジサンは私に一瞥もくれず、扉を破るような勢いで診察室に入って行った。

「兄が死にましたぁ! 階段から落ちて死にましたぁ!」

 開けたままのドアから、戦場のような大音声で先生に報告をする声が聞こえる。受付の看護師さんが私のところに来て「申し訳ありません、順番ひとつ待って頂けますか?」と。否応なしのその状況に「はい、大丈夫です」とだけ答える。


 本当は朝イチで来て、さっさと診断書をもらい、一分でも早く帰りたいと考えていた。

 精神科の待合室の空気は重い。『磁場』と言うものが本当にあるのなら、それが現出しているのがこの暗く、古く、薄汚れた印象の待合室だと、自身が二十代の頃、狩猟免許取得の為に初めて訪れた際に感じた。診察の順番を待つために長椅子に腰を沈める患者。その表情はのっぺりとしており、不気味なほどに身じろぎも無い。院内に点在する昭和の風情の革張りのソファーや壁に掛けられた黄ばんだ油彩画が「ずっと変わらず、変われない何か」を象徴するようで、息苦しさを覚えながらも「ここに通うようになったら人間お終いだな」と、若き人生を謳歌していた私は強く想った。

 だから今回は誰にも会わない時間に来て、さっさと帰りたかった。しかし。

「兄は金曜の夜に死んだ」
「生前先生にお世話になり、感謝していた」
「早く伝えたかった」

 聞くとはなしに、開きっぱなしのドアからオジサンの悲鳴に近い声音の台詞が漏れ聞こえた。オジサンが診察を終え、自分が案内をされる。診断書のための問診は2分で終わる。診断書を貰い、会計を済ませようと受付に向かうと、看護師さんとオジサンの会話が聞こえた。


「眠れてますか?」
「ぜんぜん」

 オジサンのか細い声は、ベソをかいている。

「夜が長くって。それで、やっと月曜になって。朝が来て…やっと来れて」

 ハッと、私の口から息が漏れた。

 ハッ、そっか。このオジサンは、金曜の夜に兄と死別して、土曜の昼間ずっと考え、土曜の夜もずっと考え、日曜になっても考え続け、思考は止まず、やめたくてもやめられず、恐怖の長い長い夜をなんとか生き抜いて、今、やっとの思いでここに来れたのか。

 齢三十を過ぎた頃、私にも「朝になれば何かが変わるかも」「夜が明けて誰かに会えれば、また少し生きていられるかも」と、ただ生き延びる理由が降ってくるのを待ちながら、長い夜を過ごした経験があった。あんなに長い夜が、地獄としか形容出来ない夜があることを知った。

 看護士さんがそっと「お力落としされないで下さい」と、寄り添うように言葉をかけた。月曜、朝9時精神科。あの長い夜に立ち向かい、耐え凌ぎ、なんとかしてここに辿り着いた人達。数年前、無意識的に軽蔑の眼差しを向けていた自分の浅はかさを知り「それでも生きよう」と朝イチで飛び込んでくる人間の強さを知った。


 入り口を出ると、オジサンは前カゴにゴミが山積するママチャリのハンドルを握り、眩しい朝日の射し込む陽だまりで動けないでいた。動かないではなく、動けなくなることもある。全ての動けなくなってる人たちに幸あれ。

【東出昌大】
1988年、埼玉県生まれ。’04年「第19回メンズノンノ専属モデルオーディション」でグランプリを獲得。’12年、映画『桐島、部活やめるってよ』で役者デビュー。現在は北関東の山間部で狩猟生活をしながら役者業をしている。著書に『誰が為にか書く~東京から離れた山暮らし日記~』がある
編集部おすすめ