戦後80年と“昭和100年”の節目の「昭和の日」を迎えた29日、日本を代表する歌手の美空ひばりさん(1989年死去、享年52)の名曲を歌い継ぐ「美空ひばり 戦後80年平和祈念コンサート―沖縄 未来に紡ぐ歌―」が沖縄・那覇文化芸術劇場 なはーと大劇場で行われた。
戦後、復興の希望の光として日本中に明るい歌声を届けたひばりさんは、19歳だった1956年に当時は米国の統治下だった沖縄を初訪問。
88年に東京ドームで行われた「不死鳥コンサート」でのパフォーマンスに魅了され「われとわが身を眠らす子守唄」をカバーした島袋は「今に感謝して、皆さんとひばりさんの音楽を通して一つになれたら」と思いを告白。ひばりさんの沖縄コンサートの熱狂ぶりを家族から聞いたこともあり「ひばりさんの歌っている映像を見ると涙が出そうになるんです。私も小さい頃から歌が好きで、歌の道を目指してやってきた。歌手としての人生を歩まれた姿を、言葉にならないぐらい尊敬しています」と語った。
夏川は沖縄の男女の恋をモチーフにした県内に歌碑も残されているひばりさんの「花風の港」を歌唱。ファンの提供によって発掘された、72年に沖縄返還を記念した日劇公演「返ってくる 琉球」内でひばりさんが歌った未音源化の琉球民謡「安里屋(あさどや)ユンタ」も初公開された。
フィナーレでは、出演者全員でひばりさんの映像とともに「川の流れのように」を合唱。ひばりさんは、かつて反戦の思いを込めた「一本の鉛筆」で「いばらの道が続こうと 平和のために我れ歌う」と覚悟を口にしていた。戦後80年、令和の沖縄に響いた歌声は、この先も平和のともしびとなって明るい未来を照らしていくはずだ。
〇…第2部では、ひばりさんの幼少期から晩年までの歌手としての歩みをたどるフィルムコンサートが行われた。ひばりさんの長男で「ひばりプロダクション」の加藤和也社長は、28日に母がかつて足を運んだ「ひめゆりの塔」や「沖縄師範健児之塔」を改めて訪れたと告白。「戦争が本当に世界から消え去ってほしいなと思いました」と改めて平和への思いを強くしていた。