◆プロボクシング ▽WBA世界スーパーフライ級(52・1キロ以下)タイトルマッチ12回戦 〇王者・フェルナンド・マルティネス (判定) 同級6位・井岡一翔●(5月11日、東京・大田区総合体育館)

 前王者で挑戦者の井岡一翔(36)=志成=が、王者フェルナンド・マルティネス(33)=アルゼンチン=に0―3の判定で敗れた。井岡は10回に左フックのカウンターでダウンを奪ったが、昨年7月に敗れた宿敵に返り討ちにされた。

36歳1か月の井岡は長谷川穂積の35歳9か月を上回る日本男子の最年長世界王座奪取記録の更新はならず、308日ぶりの世界王座返り咲きにも失敗した。マルティネスは初防衛に成功した。

 劣勢に立たされた10回、井岡の一撃が会場を沸かせた。右ストレートから返しの左フックで、マルティネスをキャンバスにはわせた。しかし判定は無情だった。「勝ってたらいいなという気持ちだった」というジャッジ3人の採点は1~7ポイント差で王者を支持。36戦のプロキャリアで初の連敗を喫した。「結果が全てなので素直に悔しいが、全力は出したのでやりきったという気持ちはある」。リング上では涙は見せなかった。しかし、引き揚げる際の花道で恵美夫人に健闘をたたえられると、夫人の肩に顔をうずめて泣いた。

 昨年7月7日の対戦では、ジャッジ1人がマルティネスにフルマークをつける完敗だった。再戦へ向け、細部にもこだわった。

前回対戦で、被弾して水にぬれた髪がなびき、ジャッジの心証にも影響したと恵美夫人らから指摘された。「ジャッジも人が感じるものなので被弾した時に見栄え悪くなるなら短い方がいい」と短髪にしてリングに立った。

 数々の記録を打ち立てた。21歳の時、当時日本最速のデビュー7戦目でWBC世界ミニマム級王座を奪取。12年6月に日本人史上初の2団体統一王者となり、同年12月に日本最速11戦目(当時)で2階級制覇。15年に当時世界最速18戦目で3階級制覇、19年6月に日本人史上初の4階級制覇を果たした。

 試合終了から約1時間後、姿を見せた会見場で去就に注目が集まったが、井岡は引退はきっぱりと否定した。

 「気持ち的には、もう引退かなっていう気持ちはない。別に限界も感じていない。ボクシング人生をやりきって、もう引退しますっていうような気持ちでは別にない。階級を上げようとかもまだ考えきれない。この試合に全てをかけていたので、今は先のことは考えられないです」

 この階級で王座奪還を狙うのか、1つ上のバンタム級で日本人初の5階級制覇を目指すのか。

あるいはグラブを置くのか。36歳のレジェンドが、ボクシング人生の岐路に立たされた。(勝田 成紀)

 ◆井岡 一翔(いおか・かずと)1989年3月24日、大阪・堺市生まれ。36歳。興国高で全国6冠。東農大を中退し09年プロデビュー。11年にWBC世界ミニマム級、12年にWBA世界ライトフライ級の王座獲得。15年に同フライ級王座獲得。17年末に一度引退も18年9月、再起。19年6月にWBO世界スーパーフライ級王座を奪取し、日本男子初の4階級制覇。身長165センチの右ボクサーファイター。叔父は元世界2階級制覇王者・弘樹氏。

家族は妻と2男。

 ◆井岡に聞く

 ―判定を待つ心境は。

 「ダウンを取って、負けている感じはなかったが、勝っているか客観的には見られていなかった」

 ―10回にダウンを奪ったが詰め切れなかった。

 「体力を結構使っていたし、倒したいという気持ちが先行して一発一発になっちゃった。もっとコンビネーションを出せれば」

 ―家族の反応は。

 「長男(磨永翔=まなと=くん)は『パパは倒したのに何で負けたの?』と言っていた。妻は悔しそうな姿は僕には見せない。気持ちに寄り添ってくれる言葉をかけてくれた」

編集部おすすめ