大関・大の里(24)=二所ノ関=の初土俵から最速となる所要13場所での横綱昇進が決定した。スポーツ報知では3回連載「第75代横綱 大の里の相撲道」で素顔、強さの秘訣(ひけつ)、課題などについて迫る。

第1回は生まれ育った石川への思い。

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 故郷・石川からの声援が、横綱昇進への原動力になった。2場所連続優勝を達成し、横綱昇進が決まった。この日の一夜明け会見では「本当に常々思っているのは、地元を大切にしている。だから遠い存在にはなりたくない」と思いを述べた。

 今年4月、生まれ育った石川・津幡町で55年ぶりに大相撲巡業が行われた。本名は中村泰輝(だいき)。会場では親しみを込めて、「だいちゃん」と呼ばれた。矢田富郎町長(75)が「大の里関の取組がある午後5時半には、津幡町の外に人がいなくなる」と証言するほどの存在だ。同町の文化会館シグナスではレプリカ優勝額や三賞のトロフィーを展示するが、幅約7メートルのスペースがほぼ大の里関連に。併設していた同町出身のレスリング五輪金メダリスト、川井姉妹(姉・梨紗子、妹・友香子)の展示物を別の施設に移動させたほどだった。

 昨年元日、能登半島地震が発生。

祖父・坪内勇さん(76)も内灘町内の自宅が液状化で傾き、半壊。避難所で新入幕だった孫の活躍を見届けた。大の里が昨年初場所後に同町の避難所を訪問すると、勇さんら被災者が涙ぐみながら迎えてくれた。入門後初の再会は予期せぬ形だったが「おじいちゃんに久々に会えてうれしい」。現在も祖父は仮設住宅で暮らしており、他人事ではない。3度目の優勝を遂げた今年春場所後にも、大阪から約6時間をかけて、甚大な被害を受けた能登に向かった。

 意識するのは、幕内14度優勝で同郷の元横綱・輪島。父・中村知幸さん(49)は、「相撲どころの石川では、輪島関に並ばないと認めてくれないのではないか。普通のお相撲さんで終わってしまう」と明かした。大卒出身も輪島以来2人目で、初土俵から21場所の最速記録を13場所に塗り替えた。輪島の後援会長を務めた小田禎彦氏(85)は「輪島以来といっても遜色ない横綱が出てきた。愛される力士になってほしい」と期待。

躍進を支えたのは強靱(きょうじん)な肉体とアスリートの思考だった。(特別取材班)

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