サンデーレーシングの吉田俊介代表はダービー出走馬を語る一方で、4月の香港・クイーンエリザベス2世Cのレース中に故障し、現地で安楽死となった23年牝馬3冠のリバティアイランドについても初めて語った。突然の別れと、繁殖に残せなかった無念を明かしている。
―今回、初めてリバティアイランドについてお話していただけることになりました。
「そうですね…。JRAの人も毎週、リバティのレース映像を流してくれますが、最初の週は見られなくて。日本だったら安楽死になるとしても、調教師やオーナーの方に連絡がいって確認があったりするんですが、香港ではそれが何もなくて。馬運車に乗せて、馬運車の中ですぐに。あまりに突然で、時間が必要だったなというのが僕の思うところです」
―そんなに急だったのですか?
「中内田調教師も聞かれていないし、死んだ姿と対面したと。僕も聞かされたときはもう亡くなっていました。(レースで)ああいう止め方だったので、骨折があるかをレントゲン検査をしたり、靱帯がどうかエコー検査をしたりして、『救えませんね』『じゃあ、しようがないですね』と(日本だったらなる)。国が違うし、やり方が違うのも分かるので、何とか納得しよう、人に説明できるようになろうと思いましたけど、しばらく人前で話す心境にはならなかったです」
―なかなか気持ちの整理がつかないということなのですね。
「中内田調教師も川田騎手も大変だったと思います。(数日後に)二人で牧場に来てくれて。
―吉田さんご自身の現在の心境はいかがですか?
「去年から発表もしていますが、右前の種子骨靱帯に気になるところがずっとあったんです。気をつけながら競馬をしていくという判断でしたが、いざこうしていなくなってリバティアイランドの血を引く馬を残せなかったんだなと。何かできなかったかなと数週間、ずっと考えています」
―改めてリバティアイランドはどんな存在でしたか。
「絶対に繁殖として残さなきゃいけない馬だったと思います。(所有馬で牝馬3冠などG1・7勝の)ジェンティルドンナはG1馬を出してくれて。ミュージアムマイルもシンコウラブリイ(93年マイルCS制覇)の近親だったりするし、そういうスポーツだと思うんですよ、競馬って。血統表を見て、馬の名前を見て、いろいろ思い出す。そこにリバティアイランドから…というのがなくなってしまったんだなと。たくさんの馬を扱ってきて、たくさん喜べるけど、たくさん悲しいこともあるんだけど、そのたくさんの悲しいことのなかでも比じゃないくらい、重たい死なので」
―今後、ノーザンホースパークにお墓を建てる予定があるとうかがっています。
「向こうは土葬が普通みたいですが、こちらからお願いして火葬をしてもらったので遺灰があるんです。日本のやり方できれいに骨壺に入れて、たてがみも持って帰ってきてもらいました。向こうでお墓を作ってくれるという話もあったのですが、日本にあった方がいいと思って」
―今まで馬のお墓はノーザンファームのなかに作っていたそうですが。
「今回は人目に触れる場所に作る計画にしています。(競馬場の)献花台も見てきましたが、すごくたくさんの方がお花を手向けてくれていましたし、やっぱりみんなの気持ちを整理するために、そういう場所は必要かなという話をしています」
◆リバティアイランドの軌跡 栗東・中内田充正厩舎所属で2歳夏の22年7月のデビューから全12戦で川田とコンビ。阪神JFを勝って最優秀2歳牝馬に輝くと、3歳の23年は桜花賞、オークス、秋華賞を制して史上7頭目の牝馬3冠を達成した。続くジャパンCはイクイノックスの2着。4歳の24年はドバイ・シーマC3着、香港C2着など海外で好走を続けた。今年は始動戦のドバイ・ターフで8着の後、香港に転戦。4月27日のクイーンエリザベス2世Cのレース中に故障して競走中止に。左前脚の種子骨靱帯の内側と外側の断裂と球節部の亜脱臼により予後不良と診断され、安楽死の処置が施された。
◆香港競馬 土地が極めて狭い香港では、競走馬の生産は行われていない。デビュー前、既走馬を問わず競走馬は海外から輸入されるが、その多くは去勢の盛んなオセアニア産。香港の馬主が購入した時点でセン馬であることが多い。欧米からの輸入もあるが、欧米も日本と比べれば去勢率は高い。