◆第92回日本ダービー・G1(6月1日、東京競馬場・芝2400メートル)

 阪神・淡路大震災が発生。復興へ「がんばろうKOBE」をスローガンに掲げ、神戸を本拠地としたオリックスがパ・リーグ制覇を果たした1995年。

一頭の種牡馬が日本競馬を変えた。89年のケンタッキーダービー、プリークネスSを制した米2冠馬サンデーサイレンス(以下SS)だ。

 90年秋、社台グループを築いた吉田善哉氏が1100万米ドル(約16億5000万円=当時)で購入し、日本で種牡馬生活をスタート。94年にデビューした産駒たちは大レースを席巻していく。同年朝日杯3歳S(現在の朝日杯FS)をフジキセキが勝利すると、翌年の皐月賞はジェニュインとタヤスツヨシがワンツー。オークスはダンスパートナーが快勝した。第62回日本ダービーは、SS旋風(※)が吹き荒れるなかでの開催だった。

 3冠有力とされたフジキセキは報知杯弥生賞の後に左前脚の屈腱炎が判明し4戦無敗のまま引退。一転して混戦といわれたクラシックだったが、新たなヒーローもSS産駒だった。府中の大一番は皐月賞の上位2頭の着順が入れ替わる形でタヤスツヨシがV。4角14番手から強烈な末脚を繰り出して1番人気に応えた。

 鞍上の小島貞博は、92年ミホノブルボンに続くダービー2勝目。

管理した鶴留明雄元調教師は「追い込んだ皐月賞は勝てなかったけど、その後、うまく調整できたから勝つ自信はありました。最後に伸びてきたときは飛び上がるほど、うれしかったです」と当時を思い起こした。

 恐ろしいほどに感じた血の力。鶴留元調教師は「やんちゃで最初はどう手がけていいのか分かりませんでした。長くサンデーの時代が続き、日本の競馬を大幅に底上げしてくれました。その孫、ひ孫たちが、今なお活躍しているのは感慨深いです」と語る。今年の3歳頂上決戦は、登録した全20頭にSSの血が入っている。(内尾 篤嗣)

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