巨人で活躍した元木大介さんが31日放送のフジテレビ系「ジャンクSPORTS」(土曜・午後5時)に出演。甲子園でのワンプレーとドラフトで一変した野球人生を振り返る一幕があった。

 今回のテーマは「トップアスリートの山あり谷あり」。自身の野球人生グラフの自己採点で上宮高時の16歳から17歳の頃に頂点の100点をつけた元木さん。「甲子園で活躍してアイドルですよ。高2の春に甲子園に初出場して4番を打たせてもらって。それまで僕、練習試合でホームラン打ったことないんですよ。でも、アイドルじゃないですか?」と問いかけてMCの浜田雅功に「知らんわ!」と一喝された。

 「初ホームランがセンバツで。それからですよ。(甲子園に)3回出て6本のホームラン。いまだに歴代2位ですよ。1位は清原(和博さん)の13本だけど」と胸を張ったところで浜田に「モテたの?」と聞かれると「モテましたね。授業中でも(周囲に)女子校とか多くて。

授業受けてるところを見に来るんですよ。(通学の)電車を降りると、ポケットがパンパンですよ、ファンレターで」とニヤリ。

 しかし、18歳でグラフの自己採点はどん底の0点に急落。

 「甲子園でちょっと僕、怠慢プレーをしてしまったんですね。フライを打ったのにまぶしくて見えなかったんですよ。見えなかったのは言い訳で打ったら走らなきゃいけないんですけど、ピッチャーとファーストの間ぐらいにフライが見えたんです。あっと思った時には『もう遅いわ』って思って。(相手野手が)取ってくれてたら話は終わってたんですけど、落とすんですよ。『落とすかな?』って思ったんですけど、落として、そこから走らなかったんで、そこで全国放送されている甲子園の最中に怒鳴りつけられて、監督に。それで帰りのバスも通路で正座しながら」と悲しげな表情で回顧。

 「それがあっての(甲子園が)終わってドラフトじゃないですか」と続けた元木さん。「ダイエーを拒否した瞬間に国民的アイドルから国民的なヒールになってしまった」と1989年のドラフトでダイエー(現ソフトバンク)の1位指名を拒否。

浪人して1年後に巨人に1位指名で入団した経緯を振り返りつつポツリ。

 浜田に「女性ファンはどうなったんですか?」と聞かれると「ファンレターをいただいていた頃は家に送ってきますよね。まず(ドラフト後は)封筒の中にカミソリ。何か知らないんですけど、髪の毛とかいっぱい入ってるんです。そういうのが増えました。恐ろしいですよ」と、しみじみ振り返っていた。

編集部おすすめ