日本バレーボール協会は13日、1972年ミュンヘン五輪男子の金メダリスト、佐藤哲夫(さとう・てつお)さんが11日に死去したと、発表した。76歳だった。
佐藤さんは福島県出身。相馬高から富士フイルムに入社。198センチの長身を生かし、アタッカーとして活躍。日本代表として68年メキシコシティー、72年ミュンヘン、76年モントリオールの3大会連続で五輪に出場。メキシコでも銀メダルを獲得した。
当時のバレーファンなら誰もが知っている佐藤さんのエピソードがある。日本代表が東京・代々木の体育館で練習を行っていた時に、大雪で電車が止まったことがあった。それでも、佐藤さんはどうにかして、練習に参加しようと、神奈川・小田原市から小田急線の線路の上を歩き始めた。鉄橋などは、下に降りて道をたどり、再び線路の上に戻るなどしながら、降りしきる雪の中を何とか歩き続け、ようやく体育館の最寄り駅の参宮橋に到達。80キロを超える距離を歩き抜き、体育館に着いたのは午後9時頃だった。
チームメートだったエースの森田淳悟さんは「みんな(佐藤さんは)来なかったね、と話していると、体育館の扉が開いて、(佐藤さんが)入ってきたんで、びっくりしたんです」と当時を振り返った。その姿を見た松平康隆監督は「みんな、きゅうり(佐藤さんのニックネーム)が来たぞ。練習やるぞ」と深夜までボールを打つ音が続いた。その熱意に選手たちの絆は一段と強くなり、金メダルにつながった。
「きゅうりは、当時は一番年下で、何でもやらなきゃいけなかった。ミュンヘンの時は、食事係で、炊飯器を持ち込み、米を炊いていた。優しい性格で、辛抱強いところもあった。また寂しくなります」と森田さんは、佐藤さんを悼んでいた。