名バイプレーヤー・小倉蒼蛙(そうあ、73)は、2023年、長年親しまれてきた「小倉一郎」から改名した。22年、ステージ4の肺がんなどと診断され、余命宣告まで受けたが、治療を諦めず“生還”。
放送中のNHK連続テレビ小説「あんぱん」にも出演中の小倉は、芸歴65周年を迎えた。記者との待ち合わせ場所にひとりで姿を見せた。ゆっくりした足取り。「約10年前の外反母趾(ぼし)の手術の後が良くなく、いまも痛くてね。でもこのおかげでだいぶ楽なんですよ」。親切な人だ。がん闘病の話がメインなのに、靴をぬいで別注の中敷きを取り出して見せ、記者に気を使わせまいとした。風ぼう、柔らかな物腰。
変化した「いま」の状態から入ると闘病の様子も理解しやすい。「蒼蛙」は、公私に交流の深かった「夢千代日記」で知られる脚本家・早坂暁氏が昔、付けてくれた俳名。蒼(あお)い蛙(かえる)。風情があってかわいらしい印象。しかし、「そうあ」とすぐ読める人はどれだけいるだろう。誰にも知られた全国区の名前を手放すのは、勇気のいることだ。
「がんは治ったかのように見えているだけですが、6か所あったのが、いま全部消えちゃった状態なんですね。でも一時は余命1、2年とまで言われて。生まれ変わった気持ちになったものですから」
おなじみの穏やかな話し口調。だが、一瞬、発せられる言葉や表情から、命の淵を見た者しか知り得ない厳しさがのぞいた。
体に異変が起きたのは、22年2月。
その医師は小倉の方を向くことなく「ステージ4の肺がん」と言うと、「手術も放射線治療も、抗がん剤も完治は見込めません」と続けた。余命を「1、2年。そんなところでしょうか」。小児結核を患い、愛煙家だった時期もある。親戚に複数、肺がんで逝った人もいた。「来るときが来たのかな」。
独特の死生観のもとで育ってきた。「母は僕を出産して1週間で亡くなりました。なので、生みの母は写真でしか知りません」。産後の肥立ちが悪かった。命と引き替えに自分を産んだ、と思うようになっても不思議ではない。「でも伯母が厳しさと愛情を持って育ててくれました」
4人兄姉の末っ子。双子の兄は幼児期に船着き場で海に転落するというつらい事故でともに逝った。旧芸名「一郎」は小倉の本名。
がんの治療は日進月歩だが、小倉の体にも奇跡的なことが起きていく。異変から約2か月後。付き添っていた長女たちの決断で小倉は“転院”した。「娘が『最初のお医者さんは私たちを見ずに、ずっとモニターを見ていて許せない』と言ったんですね」。無機質な振る舞いに強い不安を感じた。紹介状を書いてもらい、がん専門病院で出会った医師に救われる。患者や家族の目をしっかり見て話す人だった。
「肺を原発として胸骨、肋骨、リンパ節、脳にも転移していた。そんな状態でも『やれる治療はすべてやりましょう』と。
「でも先生から、がんが小さくなった、と聞かされたときは、本当にうれしくてね」。病院のトイレに駆け込み、泣いた。小倉の場合、治療が合っていて効果は大きかった。そして約3年たち、治療を続けながら冒頭の「全部消えちゃった状態」が続いている。「しっかり食べなきゃと思って、いま料理教室にも通っています。
余命宣告を受けたとき、取り乱すことなく「残された時間をいかに充実させられるか」と周囲も驚くほど、すぐ気持ちを切り替えることができた。「僕の場合、長く続けてきた俳句に救われた。俳句を通して物事を客観的に見る目が養われていた。それが自分自身を冷静に見つめることにつながった」。俳名「蒼蛙」への改名は、俳句への感謝が込められている。
65年の芸能生活で、約150本の映画、330本以上のドラマに出演。無数の役に命を吹き込んできた。役の大小関係なく、魂を込め、いとおしむように演じてきた役たちからも小倉は守られたのだ。「どんな役も、どこまでも自然に。見る人たちに、演じてるんだ、という印象を与えないように、という思いでやってきました」
不思議な人だ。1時間を超える取材だったが、こちらを疲れさせず、すがすがしさを残した。パワースポットならぬ“パワーパーソン”を思わせる人だった。
◆小倉蒼蛙(おぐら・そうあ)の歩み ※敬称略。満年齢表記
1951 (0歳)10月29日、東京都生まれ。4人兄姉の末っ子。本名・小倉一郎
58 (7歳)幼年期は鹿児島の離島・下甑(しもこしき)島で育ち、小1の夏から再び東京での生活が始まる
60 (9歳)子役のエキストラとして東映大泉撮影所に通う
63(12歳)東映児童演劇研修所に入る
64(13歳)石原裕次郎主演「敗れざるもの」(松尾昭典監督)で本格的にデビュー
73(22歳)映画「股旅」(市川崑監督)に出演
76(25歳)ドラマ「俺たちの朝」(日テレ系)にレギュラー出演
82(31歳)作詞・作曲秋山啓之介名義で作った「ぼくのにっきちょう」(歌・小倉一郎)が、NHK「みんなのうた」で放送される
85(34歳)NHKドラマ「花へんろ」レギュラー出演(86、88年放送時も出演)
2004(53歳)Vシネマ「銭道」で優秀助演男優賞
10(59歳)薩摩川内観光大使に就任
19(68歳)江藤潤、仲雅美、三ツ木清隆と音楽ユニット「フォネオリゾーン」を結成し、「クゥタビレモーケ」でデビュー
22(71歳)ステージ4の肺がんなどの診断、余命宣告を受ける
23(72歳)がんの“消滅”で小倉一郎から芸名を「小倉蒼蛙」に、 俳句結社「あおがえるの会」主宰、季刊誌創刊
◆19年ぶり句集「これからも量産したい」
〇…小倉は3月に19年ぶりの句集「優しさの手紙」(書肆アルス)を出版。「読み返せば駄句ばかりなんですがね」と謙遜するが、410句を収録。俳句を続けるのは「正しく美しい日本語を残したい」という願いもある。余命宣告を受けたときは「薄氷や吾子に告げたる我が病」と読み、元気を取り戻した23年には「美しきこの世の眺め去年今年」の句。「気持ちで俳句もずいぶん変わる。俳句のある幸せを感じつつ、これからも量産していきたい」
結婚4回◆家族 小倉は65歳のときに5歳年下の女性と4度目の結婚をしている。「結果的にそうなったんですね」と苦笑い。子供は2度目に結婚した夫人との間に4人。「長女の悠希、長男の龍希、次女の瑞希、三女の彩希と全員に『希』が付いてます」と話す。「高額な治療費を心配した子供たち4人がお金を出し合ってお見舞いを持ってきてくれた。申し訳なく思ったけれど、その気持ちがうれしくてね」と優しい父親の顔になっていた。