国分はジャニーズ事務所に入所後、SMAPの前身である「スケートボーイズ」のメンバーとして光GENJIのバックでステージに上がっていたが、90年に城島茂、松岡昌宏、山口達也、長瀬智也とともにTOKIOを結成した。
94年9月に「LOVE YOU ONLY」でデビュー。
プライベートでは、7年4か月の交際期間を経て3歳年下の元テレビ局社員と15年に結婚。当時、「これを機にタレントとしても、ひとりの人間としても今まで以上に頑張っていきたいと思います」とのコメントを発表していた。16年に長女、18年には次女が誕生。次女の誕生時には「家族では男は僕1人ですので、これからも女子の気持ちが分かるように努めます」と出演するテレビ番組内で話していた。
30年にわたり、5人で活動してきたTOKIOに激動があったのは18年。山口が強制わいせつ容疑により、事務所からの無期限謹慎の処分を経て退所。4人で活動することになった。
一方で、国分を含めた残された3人は新たな動きを見せた。事務所内独立という形で「株式会社TOKIO」を設立。企画担当の副社長に就任した。社長の城島、広報担当の松岡と共に”経営者”としても腕を奮い、丸亀製麺やフマキラーなどの企業とタッグを組んだほか、「ザ!鉄腕!DASH!!」のDASH村がある福島県は、県庁内に「TOKIO課」を設置し、メンバーと共同プロジェクトを行っていた。
ほかにも、国分単体としては、19年4月にテレビ東京の放送番組審議会の委員に就任。23年10月まで4年半にわたり、審議会内で同局の番組について意見を述べるなど、アイドルの枠を超えた活動を続けていた。