TOKIOが25日、グループを解散することを公式サイトで電撃発表した。20日にメンバーの国分太一(50)が、コンプライアンス違反問題で活動を無期限休止したことを受けて城島茂(54)と松岡昌宏(48)で話し合い、31年間のグループ活動に終止符を打つことを決断した。
音楽、バラエティー、農業など多岐にわたる活躍でお茶の間に愛されたTOKIOが、31年の歴史に幕を下ろした。午後4時。「株式会社TOKIO」の公式サイトで、「城島茂、松岡昌宏、国分太一をメンバーとするグループ『TOKIO』は、本日をもって解散することにいたしました」と電撃発表した。
20日に国分がコンプライアンス違反のため、無期限活動休止を発表。関係者によると、城島と松岡は発表直前に事態を把握したため、それ以前に協議を重ねる時間はなかったという。松岡は21、22日に石川県内で主演舞台の公演があり、22日以降に城島と松岡が2人で話し合いを重ね、24日に解散を決断。国分は、話し合いの輪に入らず、2人から解散を決定事項として伝えられたのみだった。
1994年にデビュー。18年に山口達也さん(53)が不祥事で脱退、21年3月には長瀬智也(46)が脱退した。メンバーが抜ける度に、解散は議題に上がった。それでも屋号を守ろうと、長瀬脱退の翌月に国分の発案で3人体制で「株式会社TOKIO」を始動した。
今月22日に放送された松岡のラジオ。国分の活動休止発表以前に収録された音声には、3人の絆の強さが刻まれていた。「国分さんがよく言うんだけど、『おまえは戦友だ』って」、「会社独立って、なかなか勇気いるのよ。我々も、そうでしたもん。城島茂、国分太一がいるから俺もできた」。22年1月の本紙インタビューで松岡は「役職なんて何でもいい。3人しかいないんだから。国分がアイデアを出して、自分はいろいろな人に伝えて、城島がまとめ上げる。その形が合っている」と語っていた。
「3人しかいない」は、3人でしかできないと同義だった。それだけに、1人欠けることが、解散に直結した。
旧ジャニーズ事務所からの歴史でデビュー30年を超えるグループは少年隊とTOKIOだけだった。山口さんが不祥事を起こした際、松岡は「甘えの根源がTOKIOなら、TOKIOは一日も早くなくした方がいい」と言った。あれから7年。スポンサーへの詳細な報告はまだ始まったばかりだが、言葉通りに解散を決断した翌日の発表となった。松岡、そして城島が、非情にも自らの言葉を実行した。(田中 雄己)
◆TOKIO 城島茂、国分太一、松岡昌宏、山口達也、長瀬智也で1994年9月、「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。当時最速記録のデビュー3か月で同年末のNHK紅白歌合戦に出場。主な楽曲は「花唄」(02年)、「宙船」(06年)など。21年、「株式会社TOKIO」を設立し、当時ジャニーズ初の事務所内独立となった。
◆TOKIOの解散電撃発表まで
20日 コンプライアンス違反で国分の無期限活動休止を発表
21、22日 松岡が石川・七尾市で主演舞台
22日以降 城島と松岡の2人だけで話し合いを重ねる
24日 解散を決断。
25日 公式サイトで解散を発表