「う~ん、どうでしょう」「いわゆるひとつの」など、長嶋茂雄さん(享年89)のものまねネタで知られる千葉県議のプリティ長嶋氏(70)。公務員をやめて、ものまねタレントの道へ進んだプリティ氏は、長嶋さんから折に触れ気にかけてもらったという。
1999年2月25日。プリティ氏は千葉県市川市から、約1600キロの道のりを自転車で旅行し、宮崎の巨人のキャンプ地に到着した。すると、多目的グラウンドで長嶋監督が待っていた。「箱根の山は寒くなかったか?」と声を掛けられた。
「当時、マスコミが私の道中を報じ、それを通して監督が見守ってくれていたようで、うれしかったです。そのあと、『いい自転車だな、貸してくれよ』って。けがをしたら責任をとれないので断ったら、『俺は昔、自転車小僧って呼ばれてたんだ』と言って爆走。『メーターが40キロ出たよ』と。楽しそうでした」
ものまね芸人とまねをされた本人は、難しい関係になることもあるが、長嶋さんはプリティ氏を優しく見守り続けた。
4歳の頃から長嶋さんの熱狂的なファンだったというプリティ氏に転機が訪れたのは80年、第1次長嶋政権の終えんだった。当時、千葉県水道局に勤めていたが、事実上の“解任”ともいえる幕引きに「悔しさ、悲しさを晴らしたい」と一念発起。
82年にフジテレビ系「笑っていいとも!」のレギュラーが決まると、思いきって退職。川上哲治さんのものまね芸人・ドン川上との企画「きたかチョーさん まってたドン」は大当たりし、YMOの細野晴臣が作曲したコミックソングも話題になった。
当時、一番気になったのは、本人の反応だった。長嶋さんがプリティ氏に初めて言及したのは、83年7月6日付の本紙。「時折、見てますが、なんか役所をやめて専業になったらしいですね。それにしてもよく続くもんで感心しております」とコメントした。プリティ氏は「誇張したものまねを怒られると思っていましたが、経歴まで知ってくれていた」と感激したという。
第2次長嶋政権に入ると、イベントでも共演。背番号3の復活時は、ものまねの仕事が5倍以上に増えた。市川に自宅兼事務所も新築。長嶋さんから「調子に乗ってるって聞いたぞ。
2001年、長嶋監督が勇退した直後のこと。「俺がユニホームを脱いで、お前はメシを食べていけるのか」と声を掛けられた。「自分がユニホームを脱ぐとき、ものまねタレントのことを心配します? しないですよ。亡くなられてから、掛けてくれた言葉一つ一つを思い返していますが、私への思いを感じられて、目頭が熱くなります」
最後に会ったのは13年。長嶋さんへの県民栄誉賞の授与が決定し、千葉県庁を訪問したときだ。千葉県議になり、出待ちしていたプリティ氏の元に車が到着した。「僕の顔を見て、運転手さんに『止めて』と。窓が開くと、あの頃と何も変わらない笑顔を向けてくれました」。ミスターが愛し、花言葉が「憧れ」のひまわりの花束を手渡し、「今、ここで働いています」と震える声で報告すると、長嶋さんは笑った。「俺が知らないと思ったのか」。憧れ続けた長嶋茂雄は、最後まで優しかった。
◆プリティ長嶋(ぷりてぃ・ながしま)本名・片岡馨(かおる)。1954年10月2日、千葉・長生郡生まれ。70歳。茂原工高卒業後、千葉県水道局に勤務。81年にものまね番組でデビューし、翌年に水道局を退職。2002年、つかこうへいさん作・演出の舞台「長嶋茂雄殺人事件」で主演。07年、市川市議選に初当選。11年に千葉県議選に初当選し、現在4期目。