歌舞伎俳優・片岡我當(かたおか・がとう、本名・片岡秀公=ひできみ)さんが5月11日午後4時37分、肺炎のため、都内の病院で死去していたことが17日、分かった。90歳だった。

この日、松竹が発表した。我當さんは歌舞伎の人間国宝・片岡仁左衛門の兄。葬儀・告別式は密葬で執り行った。

 我當さんは東京都出身で1935年1月7日、昭和後期の歌舞伎界を支えた13代目片岡仁左衛門(94年没、享年90)の長男に生まれた。40年10月、大阪・歌舞伎座での「近頃河原の達引」のおつるで、本名で初舞台。71年2月、大阪・新歌舞伎座での「二月堂」良弁大僧正ほかで5代目片岡我當を襲名した。長男は片岡進之介。屋号は松嶋屋。

 歌舞伎俳優では珍しい同志社大出身で、芝居の知識が人一倍豊富なことでも知られた。朗々としたせりふ回しに、スケールの大きな舞台姿、本人の誠実な人柄がにじむ演技で、立役として上方歌舞伎から江戸歌舞伎まで幅広い役どころを勤めてきた。体調を崩していたため近年の舞台出演は減っていたが、誠実で実直な人柄を表す役どころで本領を発揮した。見る者の胸を打つ素朴で滋味深い芝居に定評があった。

 2020年1月には同年2月(東京・歌舞伎座)に行われた13代目の27回忌追善狂言の取材会に出席。長男・我當さん、次男・秀太郎さん(21年没、享年79)、三男・仁左衛門の兄弟3人とその息子、孫も顔そろえた。我當さんは公演に向け「感無量です」と感慨深げな様子を見せていた。同公演では「八陣守護城」の佐藤正清を演じたが、これが最後の舞台となった。その後、24年8月の「上方歌舞伎会」では、仁左衛門とともに監修に名を連ねていた。

 当たり役に「堀川猿廻し」の与次郎、「新口村」の孫右衛門、「沼津」の平作、「将軍江戸を去る」の山岡鉄太郎など。上方歌舞伎の継承に熱心に取り組み、「上方歌舞伎会」などで上方の若手俳優の指導にも尽力した。一方で、晩年は「時平の七笑」の藤原時平や「日招ぎの清盛」の平清盛でも存在感を印象づけた。また、長年にわたり中高生を対象とした「歌舞伎鑑賞教室」を行い、歌舞伎ファンの裾野を広げた功績がある。

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