◆報知プレミアムボクシング ▷後楽園ホールのヒーローたち第23回:前編 内山高志
プロボクシング元WBA世界スーパーフェザー級スーパーチャンピオンの内山高志(45)が8年ぶりにプロボクシング界に復帰した。代表を務める東京都新宿区のフットネスジム「KOD LAB FITNESS BOXING」がプロ加盟し、これからは会長として選手の育成に励んでいく。
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デビューから14連勝で世界王座を奪取すると、その後11連続防衛に成功。内山は現役時代を「苦労という苦労はなかった。拳や肘をけがして手術はしたが、好きでやっているボクシングなので、けがを苦労だとは思わない。ただ、ピンチは何度かありました」と振り返った。
中でも最大のピンチは、2011年1月31日の東京・有明コロシアムで起きた。WBA世界スーパーフェザー級王座の3度目の防衛戦で、当時4位だった三浦隆司(横浜光、後に帝拳に移籍してWBC世界同級王座獲得)の挑戦を受けた時だ。3回に偶然のバッティングで右目上を大きくカット。試合でカットするのは初めてで、多少の動揺もあった。そして残り50秒となったところで三浦の左ストレートをまともに受けダウンした。
「あのシーンは本当に危なかった。初めてカットして、その数分後に左をもらいダウン。顔は平静を装っていますが、心の中では『まずい』『このままラッシュされたらどうしよう』と動揺していた」
不安を顔には出さず、残り時間で回復を待つためにも、向かってくる挑戦者を足と左で必死にさばき、何とか3回を終了することができた。ただ、ピンチの前には勝利への道筋が見えていた。2ラウンド終了後のインターバル。コーナーに戻るとセコンドに言った。「相手の右目上がすでに赤く腫れ上がっている。あそこを狙い、打ち続ければTKOに持ち込める」。セコンド陣の意見も同じだった。「左」で三浦の右目を狙い、確実にダメージを与えようと決めた直後のダウンだった。
試合1か月前。三浦戦に向けてのスパーリング中に利き腕の右手甲に激痛が走った。
「いかにして左だけで(相手を)コントロールできるか。左だけでコントロールできるようになると、すごく自信になる。このおかげで、ジャブはもちろん、フックもアッパーも。いろんな左の使い方ができるようになった」
ダウンした3回を何とかしのぐと、心の中の不安が少しずつ減り、余裕が生まれてくる。しかしだ。アクシデントは続いた。
「相手に右を痛めていることがばれないように、たまには右も出すんです。グローブの中で握らないで軽く打っていた程度ですが、それでもラウンドを重ねるごとに激痛が増していった。感覚的には折れている手の甲の骨が、どんどん下にずれていく感じ。これも大ピンチでした」
勝手に大丈夫だと思っていた右は、完全に機能を失っていた。とにかく左、左、左とジャブを打ち続けた。この時、テレビ中継の解説を務めていた元WBA、WBC世界ミニマム級王者の大橋秀行は、その左をこう表現している。
確かに試合のビデオを見返しても、右を力いっぱい打ち込むシーンはほぼないに等しい。負傷がばれないように打ってはいるが、ダメージを与えるほどの力強さはない。7回、挑戦者の右目は大きく腫れ上がり、視界をほぼ失っていた。8回終了後のインターバル。完全に視界を失った三浦は自ら棄権を申し入れた。そして言った。「あのまま試合を続けていれば死んでいます」
内山は崖っぷちに追い込まれながら、踏ん張りベルトを守った。「左が大切ということを一番実感したのが三浦戦でした。
◆内山高志(うちやま・たかし) 1979年11月10日、長崎県出身、埼玉県春日部市育ち。45歳。花咲徳栄高1年でボクシングを始め、拓大4年から全日本選手権3連覇などアマ戦績は91勝(59KO)22敗。2005年7月にプロデビュー。10年1月にWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得し、11連続防衛に成功。プロ通算24勝(20KO)2敗1分け。身長172センチの右ボクサーファイター。