競泳の世界選手権(シンガポール)が、27日に開幕する。“サラリーマンスイマー”として初出場する男子50メートル平泳ぎの柳沢駿成(スウィン高島平)がスポーツ報知のインタビューに応じた。

普段はフルタイムで働く27歳。社会人として市民プールで1人練習を重ねながら、才能を開花させた。2028年ロス五輪で自由形以外の50メートルも新種目に追加され、一躍オリンピアン候補に。競泳界では極めて稀有(けう)な存在が世界に挑む。(取材・大谷 翔太)

 サラリーマンスイマーが日の丸を背負い、世界に挑む。初の世界選手権を前に、勤めるアクアプロダクト社の応接室で、柳沢はワイシャツ姿で爽やかに胸中を語った。

 「大会が近づいてきている実感はあります。ただ今のところ、いつも通りの試合に合わせる感覚。ガチガチに緊張もしていません」

 普段は営業担当として働く27歳。3月の代表選考会、男子50メートル平泳ぎで27秒33の派遣記録を突破して2位に入り代表入りした。県選抜なども含め、初の代表選出。競泳日本代表では、学生以外は実質プロ選手として活動しており、柳沢のような存在は極めて異例だ。

 「最初の(代表)合宿は、完全に場違いな感じでした。初めて接する人が、テレビで見る人たちばかりで。気を遣ったこともあってか、合宿後は体調を崩してしまいました(笑)」

 初めての個人種目全国大会は、桐蔭横浜大1年の時。200メートル個人メドレーで92人中、59位だった。20年に卒業後、一時は引退。コロナ禍での自粛期間中「おなかが出るのもかっこ悪い」と筋トレを始めたことが競技復帰のきっかけだった。マスターズ水泳に出場する中、50メートル平泳ぎで才能が開花した。

 「タイムが出ることにビックリもしたけど、『テレビに映ってみたい』など小さな目標を掲げてきました」

 午前9時から、残業があれば午後7時頃まで仕事。それから8時45分には終了する近くの市民プールにかけこむ。仕事が長引いて、練習できないことも珍しくない。

 「30分でも行けるならいく。いつ行けなくなるか分からないので、迷ったら行くようにしています。

1日ごとにジムとスイム練習を行い、ジムは長くて2時間ほど。狙っている試合があれば、最低でも2週間は計画を組み、午後に外回り仕事を入れてそのままトレーニングに行けるようになど、工夫しています。妻との時間も作りたいので、平日に命を削っていますね」

 仕事は、プールに必要なろ過機を売る営業職。鍛えた体が功を奏したこともある。

 「入社3年目の時、営業先で『いい体してるな』という話になり、その流れで弊社が他の業者さんより少し高いのに、決めてくれたことがありました。その時はうれしかったし、体を鍛えていてよかったなと思いました(笑い)」

 学生時代65キロだった体は、今では74キロ。体脂肪率は1桁台だ。市民プールで磨いた。夢の代表権を獲得し、サプライズもあった。

 「稲城市の市長さん(高橋勝浩市長)が『柳沢レーン』を作ってくれました。プールに行けば、終業までの45分間が専用レーンになります。普段使えない道具(フィンやパドル)も使えるし、クイックターンもできる。

僕が世界に挑戦し続けている限り、継続してくださる。頑張らないといけないですよね」

 “追い風”は、練習環境面だけではない。28年ロス五輪から、50メートルで平泳ぎなど自由形以外の他3種目が採用された。50メートルのスペシャリストの柳沢にとって、うれしいサプライズだ。

 「このタイミングですごいなと思いました。ある意味持ってるなと。夢にも思わなかったオリンピックに、自分が届くかもしれない。そう今思えてること自体が信じられない。チャンスがあれば、頑張りたいです」

 大きな夢ができたが、泳ぐ根本の思いは変わっていない。

 「多分、水泳が本業というのは考えられません。僕は、ストレス発散の場としての水泳が最初でした。やりたい時にやる、そのスタイルが合っているのかなと。

『日々の1%を3か月積み重ねたら100%になる』くらいの、簡単な考えです。ただこうしてずっと、懲りずに泳いでいる。その継続力というのは、自分の強みかもしれません」

 ◆柳沢 駿成(やなぎさわ・としなり)1997年10月17日、東京・葛飾区出身、27歳。3歳から水泳を始め、桐蔭横浜大まで水泳部。2020年にアクアプロダクト就職後は、趣味として市民プールで泳ぎながらマスターズ水泳で大会に出場。24年11月、ジャパンオープンで50メートル平泳ぎ2位。25年3月の代表選考会で同種目2位に入り、全世代通じて自身初の日本代表。179センチ、74キロ。

「迷ったらやる」響いた

◆取材後記 柳沢の言葉は、私の心にも刺さった。スポーツに限らず、「やった方がいいかな」と思ったことは、おおむねやっておいた方がいい。取材でもそうだ。大相撲担当時代、朝早く起きて「眠いな。

稽古始めから行かなくていいかな」と思ったことは数知れないが、自分の尻を叩いた。今振り返れば、取材先との関係作りにおいてその姿勢は重要だった。

 入社して7年、その心が薄れてはいないか、自問自答する。毎日、1%でいい。「まぁ、いいか」ではなく、迷ったらとりあえずやってみようと、初心を思い出させてもらった。(翔)

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