今月2日に行われたプロボクシングの試合中の事故で、開頭手術を受けた2人のボクサーがともに命を落とした。相次ぐリング禍に試合を統括する日本ボクシングコミション(JBC)、ジム会長らで構成する日本プロボクシング協会(JPBA)は緊急会議を開き、再発防止への対応策を協議した。

今から26年前の1999年6月、日本ミニマム級5位だった矢代家康さん(48)は、無敗で迎えたプロ9戦目のリングで意識を失い、急性硬膜下血腫で開頭手術を受けた。その後、懸命のリハビリを経て、社会復帰に成功した数少ない中のひとりだ。現役時代の減量、練習はどうだったのか。手術後に告げられた衝撃の病名など、当時を振り返り、後輩ボクサーたちへメッセージを残した。

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 大きな事故が続いてしまったプロボクシング界。リング禍という言葉を聞く度に、矢代さんの顔は曇る。

 「もう26年も前のこと。目が覚めた時は、何が何だか分かりませんでした。自分が何でここにいるのか。何でベッドの上にいるのか。自分の置かれている状況が理解できませんでした」

 無敗で迎えたプロ9戦目のリング。日本ミニマム級5位の矢代さんは、橋口勇樹(鹿児島シティ)に8回KO負けした直後にリング上で意識を失い、救急搬送された。

ラストの8回は致命的なパンチを受けることなくリングに崩れ落ちた。「1ラウンドにダウンを取ったのは何となく覚えていますが、最後は覚えていません。相手のパンチをもらわないで倒れたと聞いています。その前のどこかで致命的なことが起きたのでしょう」とはっきりとしない記憶をたどった。

 手術が終わり目が覚めると、自分の名前が分からなかった。目の前の母親の名前も出てこない。事故発生から手術に至るまでの時間が比較的早かったこともあり、3か月後には奇跡的な回復で退院した。入院中、医師からは衝撃の病名を告げられた。「自分はB型肝炎にかかっていたそうです。手術した先生が言っていました。前の試合で対戦したフィリピン人選手がB型肝炎で、試合で感染したみたいです」と明かした。

 最後の試合の4か月前だ。

ミニマム級10回戦でフィリピン人選手に判定勝ち。すぐに橋口戦に向けての練習を再開したが、「とにかく疲れるんです。少し動いただけでも疲れてしまう。まさか、B型肝炎なんて分からないし『年を取ったのかな』ぐらいにしか思わなかった」と高をくくったことが、大間違いだった。多少疲れた程度で試合をキャンセルするなどという気持ちはなく、病院に行くこともなかった。そんな状態で迎えた本番のリング。万全とはほど遠いコンディションだったことは否定できない。今となっては「たら、れば」になってしまうが、病院で検査を受けていれば試合には出場していなかった。事故に遭う確率は限りなく低くなったはずだ。

 脳への悪影響が心配される「水抜き」減量。計量前日に数キロ体重を落とす減量方法だが、矢代さんは減量というよりも、節制だった。「身長は169センチで最軽量のミニマム級(47・6キロ以下)。

自分は365日節制していました。油ものは何年も食べなかった」と振り返る。3食しっかり食べるが、体重は常に51キロぐらい。「減量したくないから常に3キロオーバーぐらいで生活していた」という。唯一のぜいたくはアイスクリームだが、食べればウェートは増える。それでも一時的な欲求を満たすために「(アイスを)食べるんです。でも、食べた分、全部、意図的に戻しました。後で吐けばいいからと食べた」と壮絶なウェートコントロールを明かした。ジムでのスパーリングも無謀な感は否めない。「ジムに近い階級のパートナーがいなかったので…」と6階級重いフェザー級の選手とのスパーリングは日常茶飯事だったという。

 何が事故への要因だったかと聞かれても、はっきりした答えは見つからず「う~ん」と言葉に詰まる。デビューから2年3か月で夢をあきらめざるを得なくなった矢代さんだが、トップアマからプロ入りした将来を期待される選手だった。

ラストファイトとなった橋口戦が唯一の黒星となったが、それまでは8連勝と快進撃を続けていた。

 リング禍から社会復帰を果たした矢代さんだからこそ、その言葉は重い。「今は前日計量だから、減量で多少むりもできる。回復の時間があるからという理由だからでしょうが、そこで逆に事故が起きている。昔に戻って、当日計量というのを俎上(そじょう)に上げてもいいのでは。軽量級に事故が多いというのならば、グローブの大きさを現在の8オンスから昔みたいに6オンスにした方が、事故は減るのかもしれない」とあらゆる方向から議論を交わし、実施することを願っている。

 ◆同一興行で2人 今月2日の東京・後楽園ホールでの試合後に倒れ、緊急搬送され開頭手術を受けた神足茂利さん(享年28、M・T)は8日、浦川大将さん(享年28、帝拳)は9日に死去。ボクサー2人が命を落とす痛ましい事故となった。相次ぐリング禍に試合を管理、運営する日本ボクシングコミッション(JBC)と日本プロボクシング協会(JPBA)は12日に再発防止策を協議。過度な減量を抑制するための転級命令や尿比重検査の導入、全興行での救急車待機の実施などを確認した。

 ◆矢代 家康(やしろ・いえやす) 1977年2月25日、東京都荒川区出身。小学生時代にボクシングを始め、花咲徳栄高で選抜、インターハイを制し拓大に進学。

2年で中退しプロ入り。96年11月にプロデビュー。プロ戦績は9戦8勝(1KO)1敗。身長169センチの左ボクサーファイター。現在は福島の日大工学部に勤務。3歳下の弟・義光さんは元日本スーパーフェザー級チャンピオン。

 【取材後記】矢代さんの回復は奇跡的だったという。「執刀した先生が、学会で報告したほど」の成功例だったそうだ。事故から3年後の25歳の時に福島県の日大工学部の職員に採用され、現在も元気に福島でのサラリーマン生活を送っている。ボクシングの試合中に限らず、急性硬膜下血腫で開頭手術を受けた場合、一命を取り留めても大きな障害が残るケースは多い。矢代さんは「あまり物覚えがよくない」というが、仕事や日常生活への支障は無い。今では日大工学部ボクシング部の指導を任されるまでになった。

リング禍から社会復帰した元ボクサーといえば、“浪速のロッキー”赤井英和もそのひとり。本人たちの懸命なリハビリがあったからこその姿だが、医学的には奇跡に近いケースなのだろう。(英)

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