東京ドームで21日行われた、長嶋茂雄さんお別れの会。球界を代表して、巨人OBでソフトバンク球団会長の王貞治氏がお別れの言葉を送った。

 会の終了後、メッセージに込めた思いを問われた王さんは「私しか知らない部分というのは、私にとってはもう一番の誇りになってます。けた外れた存在でした」と話すと「野球選手というのは球を打って投げて評価されるんですけどね、長嶋さんの場合はそれを超えたところで、もういるだけでという感じでね、年々多くなって。ですから、長嶋さんは誰も敵とも思わず、ライバルとも思わず、むしろみんなアイドルと思っていたんじゃないかなと思うんですよね。その中で長嶋さんは常に明るくね、みんなに長嶋さんに会えてよかったと思わせる、そういう温かさというか豊かさというか、そういうものでみんなが長嶋さんに会うと幸せになったような気持ちになってね、そういうことを人に与える人というのは本当にいないと思うんですよね。残念ながらこういう形で亡くなってしまったあとも、みんなが心の中で長嶋茂雄さんを生かしているわけですよね。今年だけじゃなくて来年も再来年も、ずっと先に。長嶋さんは野球関係者だけじゃなくて、多くの皆さんの心の中に生き続けると思います」と話した。

 ONとして日本プロ野球を引っ張ってきたふたり。改めて長嶋さんの存在について「明石のキャンプでメディアの人にパーッと囲まれてね、連日ものすごく長嶋さんの特集みたいな新聞だったでしょ。僕はその時高校3年生だったんですがね。やっぱり長嶋さんが入って野球界はすごく話題が多くなってね。それも明るい話題が多かったですからね、ですから僕もその時1年遅れで高校球児でしたから、自分もプロ野球に入って一緒に野球やりたいなという思いになりましたね」と振り返った。

 この日祭壇に向けたメッセージでは冒頭、「お元気ですか」と声がけした王さん。「残念ながら旅たたれてしまったけど、我々の心の中では生き続けてくれているので、お別れを言う気持ちはなかったですよ。きょうはね。お別れ会ではあるけれども、今までの距離を保っていきたい。これ以上1日1日遠くなっていく存在ではなく、常に一緒に生きていける存在だと私は長嶋さんを思っているので、あえてスタートさせてもらったんですよ。それが僕の一番の正直な気持ちですよね」と明かした。

プロ野球界では長嶋茂雄賞の創設が決まった。これについて「私たちがプロ野球に入る前から沢村賞というのがあって、ピッチャーの部分で、それが両リーグで1人なんですよ。タイトルはリーグで1人だったんですけれど、ただ1人というふうにね。そこに長嶋茂雄賞というのが入ったのは本当に喜ばしいこと。特に我々は打者の出身者としてはこんなにうれしいことはないですね。日本中で誰も反対する人はいないと思うんですよ。

もうみんなが拍手で喜んでくれていると思います。だから僕は来年の選手たちが、おれは第一号だという思いで戦うじゃないかと思うんですよね。だから来年のペナントレースはより注目に値するシーズンになるだろうと思っていますと喜んだ。

 たくさんの参列者とともに、最後のお別れに臨んだ王さん。最後に「本当に特別な存在の人というのは、なかなか生まれないだろうと思いますが、本当に明るい太陽のように我々を照らし続けてくれて、ファンの人も幸せだったと思いますよ。その長嶋さんの思いを継いで、我々は野球界をより幅広く高くして、ファンの人にそれを見せることよって、大谷君はアメリカ行って頑張っていますけれど、日本からもそのような人がもっともっと出るようにね。志せば到達できるところってあると思うんですよね。だから長嶋さんがもう日本の野球界の目標を毎年毎年高くしてくれましたよね。それが一つ一実現できたので、長嶋さんがこういう形になったとしても、我々がその後を継いでそういう人を1人でも多く輩出できるようにやっていきたいですね」と穏やかな表情を見せた。

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