6月3日に肺炎のため89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会」が21日、東京ドームで開催された。まな弟子の松井秀喜氏(51)=ヤンキースGM付特別アドバイザー=は「お別れの言葉」で、ちょうど33年前の1992年11月21日のドラフト会議で、4球団1位指名で競合の末、当たりくじを引き当ててくれた恩師に感謝の言葉をささげた。
色鮮やかな花に囲まれて、柔和な笑みを浮かべる長嶋さんに、松井氏が語りかけた。「また監督に会えたような気がしてうれしいです」。一塁ベンチ裏、恩師の見守る前で数え切れないほどバットを振って鍛錬し、その成果をグラウンドで発揮してファンを熱狂させた東京ドーム。「お別れの言葉」を述べるのに、最もふさわしい場所だった。
お別れの会の開催が決まり、6月8日の告別式に続いて2度目の“弔辞”を依頼されてほどなく、奇跡に気づいた。この日は長嶋さんのゴッドハンドによって巨人の松井が誕生した1992年11月21日のドラフト会議からちょうど33年。祭壇の場所を前もって確認すると、ヤンキースの伝説的選手である「ジョー・ディマジオになれ」と恩師に命じられて長年、守った本拠のセンターの定位置だった。「びっくりします。監督が合わせてくれたのではないですか。すごい偶然だなと思い、これは触れなくちゃいけない」と気持ちを込め、薄墨の筆ぺンで記したお別れの言葉に盛り込んだ。
6月4日に都内の自宅を弔問した際などは、13年にそろって国民栄誉賞を授与されるにあたり長嶋さんに提案して、都内のテーラーで仕立ててもらった紺色のスーツだったが、この日は喪服に黒いネクタイを締めた。
長嶋さんが死去してから、毎日のように会話をするようになったという。「監督だったらこういう時になんて言うかな、どういうふうに考えるかなって、自分の自然の思考回路になってきていて。これからも自分の心の中に長嶋茂雄がいて、ことあるごとに会話し、聞いて、答えを導いてほしいなと思います」。6月4日早朝の弔問後、「長嶋監督と生前、約束したこともあります」と言ったその答えは、これからも続く会話の先にある。
「引退して10年以上たちますが、自分の野球人生の中でかけがえのない、一番大きな存在。やっぱり、自分の最も愛する人なのではないかなと思います」。松井氏にとって最愛の人、長嶋さんは心の中で永久に不滅である。(阿見 俊輔)










![Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023 “GIFT” at Tokyo Dome [Blu-ray]](https://m.media-amazon.com/images/I/41Bs8QS7x7L._SL500_.jpg)
![熱闘甲子園2024 ~第106回大会 48試合完全収録~ [DVD]](https://m.media-amazon.com/images/I/31qkTQrSuML._SL500_.jpg)