オリックス・岸田護監督(44)と平野佳寿投手兼任コーチ(41)の「盟友対談」が実現した。岸田監督は来季が就任2年目で、平野は新たに投手コーチ兼任となった。

2005年のドラフト同期で、兄弟のような関係を築いてきた2人。3年ぶりのリーグ優勝へ、熱い思いをぶつけ合った。対談の続きは、24日に報知新聞社が発売を開始した「Bs Fan―Festa 特別号」でたっぷりと掲載します。(取材・構成=長田 亨、南部 俊太)

 ―就任2年目を迎える。高知での秋季キャンプから平野投手がコーチ兼任で加わった。

 岸田監督(以下、岸)「ブルペンでも、投手の後ろに立ってね。特にフォークのアドバイスをしてくれて、選手も『はぁ、なるほど…』という表情をしています。例えば寺西なんて、投げた瞬間に平野の方を振り返りますから。そういう姿を見ても、頼もしいなと思います」

 平野(以下、平)「10月に初めて舞洲のコーチ室に入って、すごいなと思いました。コーチの皆さんが選手のことを考えて、一人一人動いているのを実感しましたから。『選手って幸せ者だな』って…。今はコーチとはどういうものなのかを、学んでいる最中です」

 岸「今までもアドバイスをしてくれていますし、すでに平野という色は濃いです。

練習に取り組む姿勢や発言、考え方もそう。すべてが選手にとって、刺激の強いものだと思います。コーチとしてどうなろうとか、考える必要はないでしょう。選手とコーチの両方。一生懸命やるだけで伝わります。2人で話す内容も変わりません」

 平「そこはまだ、変わらないですね。コーチ一本なら変わると思いますけど、監督が気を使ってくれている。『あいつ、どう?』と聞かれたら、答えられる準備はしていきます」

 ―05年のドラフトで同期入団。当時のお互いの印象は。

 岸「希望枠で入団していますし『(モノが)違うな…』というのはありました。キャッチボールの球質、姿勢もいいし、大きい。見た目は変わりましたけどね。

もっと線は細かったし、ヒゲもなかったですからね」

 平「僕は大学2年のころから、岸田さんを見ていました。社会人で活躍して、プロに入る方にリスペクトがありました。すごい方がプロに来る、というのが第一印象です」

 岸「でも、平野は1年目から1軍にいましたからね。平野に追いつかないと、という思いはありました」

 ―互いに特別な存在。

 平「岸田さんは何をするにも真面目。野球を離れれば、良き兄貴です。僕だけじゃなく、みんなに接してくれます。男気ですよね。中嶋さんが監督を辞められた時も、腹をくくって引き受けましたから。そういうのも男気です」

 岸「もちろん、二つ返事じゃないで…」

 平「でも、最終的に引き受けたじゃないですか。今年もCSまで導いてくれて、しんどい姿を外には出さなかった。心配させなかった。

それを1年間、貫いたと思います。選手ファースト。性格的に、裏方さんにも気を使う。『ためこんでいるんじゃないかな?』って心配でした。今年は選手として何もできなかったので、選手とコーチの両方で貢献したい思いは強いですよね」

 岸「プロ野球である以上は、優勝を目指さないといけません。お客さんにも失礼ですから。当然、そこを目指していきます」

 平「一つ言わせてもらうなら、僕を『そんなに(現役の)選手だから』って思ってもらわなくていいです。下っ端として働きます。コーチの仕事をしてから、自分がしなければいけない練習をすればいいだけの話。岸田監督には、どんどん言ってほしいですね」

 ◆岸田 護(きしだ・まもる)1981年5月10日、大阪・吹田市生まれ。44歳。履正社では1年夏の甲子園に出場。

登板はなし。東北福祉大に進み、NTT西日本では05年の日本選手権で準優勝。同年の大学生・社会人ドラフト3巡目でオリックスに入団。09年に自己最多の10勝、11年に同33セーブ。通算433試合で44勝30敗、63セーブ、63ホールド、防御率2・99。19年限りで引退し、20年から2軍投手コーチなどを務める。現役時代は180センチ、80キロ。右投右打。

 ◆平野 佳寿(ひらの・よしひさ)1984年3月8日、京都府生まれ。41歳。鳥羽から京産大を経て、05年大学生・社会人ドラフト希望枠でオリックスに入団。11年に最優秀中継ぎ、14年に最多セーブのタイトルを獲得。

17年オフに海外FA権を行使。Dバックス、マリナーズを経て、21年にオリックス復帰。23年に日米通算250セーブを達成し、名球会入り。NPB通算700試合で56勝78敗、250セーブ、156ホールド、防御率2・97。186センチ、88キロ。右投右打。

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