巨人のライバルだった名選手の記憶を掘り起こしてきた「巨人が恐れた男たち」。最終回は星野仙一さんの足跡をたどる。
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【最大の敵編〈2〉】 味方もまた、手綱さばきに苦労した。星野の現役後半に専属捕手だった金山仙吉は、「おっさん(星野のことだ)は顔と目で100勝はしている」と証言する。
「マウンドで熱くなったら、サインなんか見てないもん。バッターの目をにらみつけてすごんで、そのまま投げてくる。もちろん王さんでも関係なし。そんな時は『気をつけてください、体に行ったらごめんなさい』なんて言っていた」
86年オフに中日の監督に就任。巨人戦の監督賞は通常の3倍に設定された。過剰なまでの敵対心は熊本の一件でも触れたが、続きがある。
「乱闘に出遅れたら監督にミーティングで怒られた。『お前ら何のためにベンチに入っとるんや! 戦闘要員がなんであんな遅く出てくるんや!』って」
翌日は広島市民球場への移動日。乱闘を想定して、ベンチから飛び出る前代未聞の練習をさせられた。
「オレを含めた戦闘要員3人でね、5本くらいやらされたかな。内野のラインまで猛ダッシュ。もちろん本気だよ」
星野は82年に現役を引退するとNHKでスポーツキャスターを務めた。因縁の川上哲治に師事し、常勝の哲学を吸収した。
監督就任直後には、川上もかつて修行した岐阜の正眼寺(しょうげんじ)を訪れた。毎朝5時に起床し、たくあんをおかずにかゆを食べ、座禅を組む。3日たって、早川が迎えに行った。
球場外でも剛腕を見せた。就任直後には牛島和彦ら4選手と、巨人も狙っていたロッテ・落合博満の大型トレードを成立させた。
かと思えば、88年オフには中尾孝義を巨人に放出して西本聖、加茂川重治を獲得。藤田元司監督とのトップ会談でまとめた禁断のトレードだった。東京・赤坂のホテルニューオータニに3日間缶詰めとなり、極秘交渉を重ねた。「偽名で宿を取れ」と命じられた早川は、福田功1軍マネジャーと自身の名前からとった「福田実(フクダ・ミノル)」として、星野をチェックインさせた。朝食会場でのこと。正体はバレバレだったが、食事を済ませて「福田実」とサインする。
第2次政権初年度の、96年9月20日の巨人戦(東京D)。星野は微妙な判定の連続を「巨人びいき」と断じた。「誰に頼まれてやっているんだ! 汚いぞ。公平にやれ!」。試合後に猛抗議し、責任審判に2度膝蹴り。この年から監督付広報となっていた金山が止めに入ったが…。
「『やかましい、邪魔するな!』ってバカーンと殴られたよ。素顔はナイーブで繊細。物静かでジェントルマン。でもユニホームを着ると人が変わった。
巨人戦の通算成績は、現役時代は歴代6位タイの35勝(31敗)。監督としては163勝179敗6分け。星野にとって巨人とは何だったのか。早川の言葉を借りたい。
「野球の夢であり最大の敵、でしょうか」
最も好んだ「夢」という言葉。05年夏、思いもかけない夢が、58歳となった星野を揺さぶる。
【注】68年4月27日の慶大戦。5回無死満塁で星野は慶大の9番打者を投ゴロに打ち取り、併殺を狙って捕―一と転送するが、打者走者がフックスライディングを仕掛け一塁手と接触。星野が激高して相手を追い回す大騒動になった。
◆星野 仙一(ほしの・せんいち)1947年1月22日、岡山県生まれ。倉敷商から明大に進み、68年のドラフト1位で中日入り。6年目の74年に先発、リリーフ兼任で15勝9敗10セーブで巨人の10連覇を阻み、沢村賞受賞。
※文中敬称略、肩書は当時のもの










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