巨人のライバルだった名選手の記憶を掘り起こしてきた「巨人が恐れた男たち」。最終回は星野仙一さんの足跡をたどる。

打倒・巨人に全てをかけてきた「闘将」。2005年、その宿敵からまさかの監督要請を受け、胸中は揺れ動く…。激情の中日時代を振り返る「最大の敵編」、20年前の夏を初めて巨人の元オーナー・滝鼻卓雄氏(86)らが語った「幻の監督編」。関係者の証言で「星野仙一と巨人」に迫る。(取材・構成=太田 倫)

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 【幻の監督編〈3〉】 喜びと現実のはざまで、星野は揺れた。毎日のように駒沢に電話をかけてきた。「一時は6~7割、巨人入りに傾いていたと思う」とは駒沢の心証である。新聞には連日「星野」の大見出しが躍った。「話が漏れとるやないか!」と当初は憤りをあらわにしていた星野の声に、「読売の意向はどうなっとるんや?」と不安げな響きが混ざるようになった。

 滝鼻が奔走していたころ、阪神のある有力幹部のもとに、巨人から別ルートで接触があった。星野の信頼が厚かったこの人物に、感触を探るためだった。「天下の巨人さんが、阪神が星野使(つこ)うて回したレコードをまた回すいうのは面白うないでっせ。

巨人は巨人なりのやり方で、やられた方がええんちゃいますか」と、幹部は答えた。

 滝鼻は1か月ほどの間に、星野と5回、手塚とも2回会った。時に星野は巨人の現状を分析し、課題をあぶり出してみせた。平行線という言い方はそぐわないだろう。がっぷり四つで土俵中央から動けない状態が続いた。

 やがて、機を見るに敏な星野にも終着点は見えてきた。報道で自身のプライベートが書き立てられ、巨人に迷惑がかかることを恐れた。夕刊紙などで、広岡達朗や金田正一といった大物OBが巨人入りに猛反対する声明を出した。自身のホームページにもファンから反対の書き込みが届いた。

 「オレは巨人のガラじゃない」

 悟ったように、駒沢との電話でつぶやいた。そして9月1日。滝鼻の前で腹をくくった。

 「監督問題は難しい。脅迫状まで来る。タイミングを見て巨人には行かないと言明したい。交渉、接触は全面否定します」。あの涙の意味を、滝鼻は「星野さんは阪神の引き留めと巨人の要請の間に挟まれて、苦痛に近い状態で悩み抜いていた。阪神首脳部を裏切るというよりも、ファンに背を向けられない、という恐怖感に近い精神状態に支配されていた」とみている。

 9月10日、星野は大阪市内で会見を開き、SDとして阪神に残ると正式に表明した。「ファンから“残ってくれ”という声が多い。私なりに、答えを出さなきゃいかん」。苦悩はおくびにも出さず、晴れやかな笑顔をつくった。

 巨人の新監督には原辰徳が復帰した。星野は北京五輪日本代表監督などを務めた後、楽天の監督に就任。

13年には巨人を日本シリーズで倒して日本一にたどり着いた。

 長年の友人で、岡山・倉敷市の星野仙一記念館館長でもあった延原敏朗は、巨人行きに反対した一人だ。「ファンが神様のように言ってるのに、巨人の監督になったら、新大阪駅でドスでズドンとやられて終わりだよ」。そんな助言もした。星野は延原に、のちに笑い話に紛らせて漏らした。

 「巨人に行っとったら、オレは一生食えたんや」

 残留会見の前夜である。駒沢の携帯電話が鳴った。星野だ。出張先の博多からだった。

 「明日、大阪に帰って会見する。巨人の話は断るわ」

 電話口の声が、泣いていた。

 「いい夢、見させてもらったよ…」

 【取材後記】 「あのとき星野さんは、泣いていたらしい」。

監督問題が騒がれた20年前、私は野球記者でもなく、のちに都市伝説のような話を聞きかじったに過ぎない。涙を流すほどの切実さとはいったい何だったのか。それを知りたいと思った。

 星野さんが巨人に抱いていたのは、負の感情ばかりではなかった。「巨人のことはやっぱり好きだったでしょう。弱い巨人とやっても面白くない。強いからこそ、やりがいがある。口癖みたいに言っていたからね」とは金山仙吉さんの言葉だ。

 光源に近づきすぎれば、逆に光を失うこともある。巨人に挑み、牙をむくことで輝いてきた星野仙一自身を、最後に裏切るわけにはいかなかったというのも、涙の理由のひとつだったのかもしれない。(野球デスク・太田 倫)

 ◆星野 仙一(ほしの・せんいち)1947年1月22日、岡山県生まれ。倉敷商から明大に進み、68年のドラフト1位で中日入り。

6年目の74年に先発、リリーフ兼任で15勝9敗10セーブで巨人の10連覇を阻み、沢村賞受賞。82年に現役引退し、86年オフに中日の監督就任。その後、阪神、楽天で監督を務め、史上3人目の3チームでリーグ優勝。正力松太郎賞受賞2度。17年1月にはエキスパート部門で野球殿堂入り。楽天の球団副会長だった18年1月4日、膵臓(すいぞう)がんのため死去。享年70。現役時代は右投右打。

 ※文中敬称略、肩書は当時のもの

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