◆センバツ最終日 ▽決勝 智弁学園3-7大阪桐蔭(31日・甲子園

 第98回センバツ高校野球大会で準優勝した智弁学園(奈良)の井元康勝部長(75)が、31日の決勝を最後に退任し、同校の教諭を退職した。小坂将商監督(48)とは33年間の付き合い。

高校3年間は担任教師を務め、指揮官が就任3年目の2008年から部長として支えてきた。教え子のブルージェイズ・岡本和真内野手(29)との思い出も語りながら、戦い抜いたナインに拍手を送った。

 43年の教員生活の最後の日を甲子園で過ごした。しかも決勝。井元部長は「まさか、こんなことに。ホンマに劇的なこと」と、聖地の景色を目に焼き付けた。惜しくも敗れたが、笑顔で「夏、優勝せえよ」と、選手の肩をたたいた。

 「もう、100点。粘りも諦めない気持ちも強かった。ここまで監督が連れてきてくれて、感謝だけ」

 83年に赴任。93年に入学した小坂監督の在学3年間は、野球部員がそろうクラスの担任だった。指揮官の就任3年目からは18年間の二人三脚。

自身に野球経験はないものの、75歳まで勤めた理由は明確だ。

 「小坂が立派な社会人になって戻ってきたから。教え子やけど、もう盟友よ」

 95年夏に甲子園4強。思い出の学年の小坂主将は、印象的な生徒だった。

 「担任として、厳しい野球部の監督との間に入る役目。フォローして、悩みを聞いて。小坂を叱ったこともあるけど、しっかりした子。誰かが悪さをすると『僕も同罪です』と一緒に怒られた。個性豊かな代を、うまくまとめていたなあ」

 今では部の伝統の野球ノートは元々、小坂監督の1年時に「教室」で始めた。当時は、担任と生徒の交換日記。毎日メッセージを添えて返した。

 「いつもノートを見れば、変化が分かる。

びっしり書く子が急に1行になったら、何かあったんやなと」

 過度な上下関係の撤廃を始めたのも、この世代。今年1月、その29期生による慰労会が開かれた。指揮官から「先生との出会いで、ここまで来られました」と感謝の言葉。井元部長の座右の銘「人生、意気に感ず」と記されたTシャツも贈られた。今大会もおそろいのTシャツで応援した29期生。試合後も激励に宿舎を訪れ、食事をともにした。

 何人もプロを輩出し、「岡本も村上(阪神)も、やっぱり並外れた努力家。岡本はポワーンとしているように見えて、本当によく練習した」と回想。昨年秋に「お体を大事にしてください。メジャーで頑張ってきます」という連絡があったが、“おわび”もある。

 「入って来た時に声が小さくて、何度もあいさつのやり直しをさせた。今思えば、えらい失礼やな、メジャーリーガーに(笑)」

 今後は非常勤の職員。

「パートのおじいちゃん」として顧問を続けるが、本来は65歳で退くつもりだった。指揮官の慰留が続き、プラス10年。「一番幸せ。一番思い出に残る試合」と、感無量のフィナーレだ。(安藤 理)

 ◆井元 康勝(いもと・やすまさ)1950年5月30日、和歌山・橋本市生まれ。75歳。橋本高、大阪府立大を卒業。自動車部品工場での技術職などを経て、83年に理科の教諭として智弁学園に赴任。03年4月から1年間、野球部長を務め、08年4月に復帰。春夏16度甲子園に出場し、16年春に優勝、21年夏に準優勝。

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