
漫才協会(青空球児会長)から期待の新星が誕生した。11月30日に行われた「第50回漫才大会」王座決定戦(浅草公会堂)で、結成12年目のお笑いコンビ・母心(ははごころ)が初代王座に輝いた。
若手もベテランも関係なく、持ち時間3分厳守の王座決定戦。漫才協会として初の試みを制したのは、ボケ・嶋川武秀(41)、ツッコミ・関あつし(40)の「母心」だった。
3つのブロックの勝者が決勝戦を行うスタイル。もしもタクシー運転手が歌舞伎役者だったらという定番ネタで会場を爆笑させた。嶋川は「絶対、出来レースだと思った。決戦があるのも当日知ったくらい」。無欲で臨み栄冠をつかんだ。関は「お客さんの投票で優勝できたのがうれしい。みんな納得できるし自信になる」と驚き、そして喜んだ。
2人の芸人としての原点は地元でもない福島だった。
「私は、いの一番で帰ろうと思った」という嶋川を引き留めたのは関だった。「人生どっちが面白いだろう?。ここで独立したら面白いんじゃない?」。関の言葉に嶋川は翻意した。「『福島から売れます』と言った僕らを応援してくれた人を裏切ることになる」
吉本を辞め福島に残り独立し、コンビを結成。
転機は東日本大震災だった。全国から売れっ子芸人が被災地に慰問に訪れ、笑いを届けていた。喜ぶ人々の表情に驚いた。「僕らでも喜んでくれているけれど、有名な人にはかなわない。僕らも全国的に有名になることが福島への恩返しだと思った」(嶋川)。12年に漫才協会に加入し、浅草・東洋館で腕を磨いた。
14年に漫才新人大賞を受賞。プレゼンターだったビートたけし(72)は、おかん・嶋川に言った。「兄ちゃん、この格好もいいけど、男でやって勝負して、最終的にこのキャラが出たら誰も勝てないと思う」。その一言でこだわっていた“おかん”封印を決めた。
王座決定戦に優勝し反響の大きさに戸惑った。特に福島では、街行く人から祝福された。「色んな人から連絡があってビックリ」と関が語れば、嶋川も「(福島の人は)本当に面白くないヨレヨレの時から見てくれているし、喜んでくれているのがうれしい」と笑顔を見せた。
ネタ作りは関が担当する。「10年後の50歳でも漫才をして食えていたい」。夢は寄席でトリを取ること。嶋川は「最近、いい言葉を見つけたんです。『残れる人は強い人、賢い人じゃなくて、変化に適用できる人だ』と…」。その横で関は苦笑いした。「嶋川さんはビックリするくらい意見が変わる。
ナイツ・塙宣之「3分くらいのネタだと、『母心』みたいに歌舞伎ネタのように一つの型があると強いんですよ。課題を挙げるとすれば、15分くらいの時に途中で勢いがなくなっちゃうところですかね。でも一つの型があるから大崩れしない。技術とか声とか見やすさとか舞台の使い方とか、僕らより武器があるし、総合的にトップクラス。期待の後輩ですね。弱点はうますぎちゃうところ、ツッコミの関くんが器用すぎちゃうので…。これからテレビに出て欲しい芸人ですね」
◆母心 富山・高岡出身の嶋川武秀と茨城・日立出身の関あつしのコンビで2008年1月に結成。2人は2002年に吉本興業の芝居一座「★☆☆(ほしの)弁当座」の一員として、地方巡業を行い、06年に福島へ。08年1月に吉本興業を辞め独立し「みちのくボンバーズ」を結成し、メンバー内でコンビを組んだ。