江戸っ子は風呂が大好きだった。江戸の町は風が強く土ぼこりも多かったので、江戸っ子は毎日入浴した。
落語・歌舞伎好きの住宅ジャーナリストが、江戸時代の知恵を参考に、現代の街や暮らしについて考えようという連載です。落語「湯屋番」は、憧れの番台に座ることができた若旦那の妄想で……
「銭湯の番台に座るのは男の夢」のようだが、江戸時代も同じこと。勘当された若旦那が、その夢をかなえたのだが……、という落語が「湯屋番」だ。
鳶頭(かしら)の家に居候の若旦那。まじめに仕事をしている様子を見せて、勘当を解いてもらおうと、鳶頭の知り合いの湯屋に勤めることになった。湯屋は「ゆや」または「ゆうや」と読み、銭湯のこと。江戸では湯屋といい、大阪では風呂・風呂屋といったのだそうだ。
さて、当然ながら最初は外回り、焚き木を拾ってきたりするのが仕事なのだが、力仕事は大嫌いな若旦那。渋っているうちに番台に座る主人の昼飯時になって、無理やり番台に上がらせてもらうことになる。
でも、楽しみな女湯は空っぽ。仕方なく、若旦那は妄想の世界に入る。「色っぽい女性が番台に座る自分を『乙な男だ』と気に入るから、女性の家の前を通りがかれば必ず『お寄りなさい』と声がかかる。いったん辞退する自分の袖を引っ張って、無理やり家の中に入れる……」などと想像しながら、自分で着物の袖を引っ張ったり、もてて困ると自分のおでこを叩いたり……。
男湯の客はその姿に気を取られて、軽石で顔をこすって血だらけになったりして大騒ぎ。そのうち下駄がなくなったと客が怒り出す。すると、若旦那が「そこにある良い下駄を履いてお帰りなさい」。客が後はどうするのだと聞くと、「順に履かせて、しまいは裸足で帰します」。
お後がよろしいようで。
江戸っ子の入浴の仕方は?入浴マナーは?江戸時代の前期は蒸し風呂だったというが、次第に湯船に入るスタイルに変わる。入込湯(いりこみゆ)と呼ばれた混浴が当たり前だったが、風紀が乱れるということで幕府は度々禁止令を出した。男湯・女湯が別々なもの、男湯専用、女湯専用のほか、けっきょく混浴も続いたというので、禁止令の効果はあまりなかったようだ。
江戸時代後期の文化年間(1804年~1818年)になると、江戸には600軒あまりの湯屋があったという。
では、江戸後期の湯屋がどんなものだったか、画像1の浮世絵の女湯と画像2の湯屋の平面図をあわせて見てほしい。

【画像1】女湯の様子「肌競花の勝婦湯」豊原国周(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

【画像2】湯屋の平面図「守貞謾稿. 巻25」(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)
表から入って土間で履物を脱ぎ、番台(平面図の高座)で湯銭を払う。一段高くなっている板間(脱衣場)に上がって着物を脱ぎ、衣服戸棚やカゴに入れる。傾斜のついた流し板があるところが洗い場で、溝があって使った湯は外へ流れ出すようになっている。脱衣場と洗い場に仕切りはなかったが、竹の簀子(すのこ)の所で水を切るようになっていた。
浮世絵では少ししか見えないが、その奥に浴槽がある。ただし、洗い場と浴槽の間に板戸を張って、湯気が逃げて温度が下がらないようなエコ仕様にしているので、戸の下をくぐって中に入るようになっている。これを「石榴口(ざくろぐち)」と呼ぶが、画像3のように豪華な装飾がされていた。江戸は鳥居形が多かったのに対し、大阪は破風形が多かったようだ。
浴槽のある石榴口の奥の空間は、明かり取りの窓もほとんどなく、湯気が漂う暗い空間だった。式亭三馬の『浮世風呂』によると、「田舎者でござい、冷えものでござい、ごめんなさい、といい、あるいはお早い、お先へとのべ、あるいはお静かに、おゆるりなどという類い、すなわち礼儀である」と書かれている。
ただし、江戸っ子は火傷するほど熱い湯が好みだったので、長湯はしなかった。洗い場でしっかり洗って、「岡湯」と呼ばれる“上がり湯”をもらって出るのが基本。なお、湯船の船に対抗して、岡湯と呼ぶのだそうだ。

【画像3】石榴口「守貞謾稿. 巻25」(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)
マッサージや社交場、徹底したサービス業だった江戸の湯屋落語の若旦那が座った番台だが、実は主人やベテランの番頭しか務められなかった。風呂で使うさまざまなグッズを販売したりレンタルしたりするだけでなく、客同士の喧嘩の仲裁、板の間稼ぎの見張りなどいろいろなことをしなければならないからだ。板の間稼ぎとは、粗末な衣服で風呂に入って、金目になりそうな高価な着物で出ていくという盗人だ。
洗い場では別料金で、三助(さんすけ)に背中を流したり揉んだりするサービスを求めることができる。湯屋は立派なサービス業だったのだ。
さらに、風呂から上がった男客は、有料となるが、脱衣場から二階に上がる梯子(はしご)で二階の座敷に上がって休憩することができた。茶を飲んだり菓子を食べたりしながら世間話をしたり、将棋や囲碁などを楽しんだりした。
湯屋が町に1つはあったという江戸時代なので、湯屋が出てくる落語や歌舞伎は多い。
こうして、さまざまな職業や階層の江戸の人たちが集まって、おしゃべりをするなどして憂さを晴らせる湯屋は、今のスーパー銭湯と同じように、江戸っ子のための大切な娯楽の場でもあったのだ。
●参考資料・「ヴィジュアル百科 江戸事情 第一巻生活編」NHKデータ情報部編/雄山閣出版
・「落語と江戸風俗」中沢正人・つだかつみ著/教育出版
・「大江戸暮らし」大江戸探検隊編著/PHP研究所
・「江戸っ子の二十四時間」山本博文/青春出版社
・「落語ハンドブック改訂版」山本進編/三省堂
・「江戸散策」サイト第77回/クリナップ
・「歌舞伎いろは」和の愉しみ くらしの今と昔/歌舞伎美人 元画像url http://suumo.jp/journal/wp/wp-content/uploads/2016/11/120055_main.jpg 住まいに関するコラムをもっと読む SUUMOジャーナル