沖縄県北部に位置する名護市。最近は、2025年に開業を予定しているテーマパーク「JUNGLIA(ジャングリア)」のオープン予定地としても話題です。
移住を実現した人たちの仕事は?子育てや教育の環境は?名護で暮らす移住者に、実態や本音を聞いてきました。
市民のための「21世紀の森ビーチ」。保育料・給食費・医療費も無償化
名護市の人口は約6万4000人で、東西 に25km、南北 20kmの総面積 210.33km2 と沖縄県内で3番目の総面積を誇っています。東海岸と西海岸、両側を海に囲まれ、中心部には豊かな緑が広がり、ナゴパイナップルパークやブセナ海中公園といった人気の観光地もあります。
2025年に開業を予定しているジャングリアのイメージ写真(提供/株式会社刀)
まずはそんな名護市の魅力的な点を、名護の情報メディア「やんばるナゴラブ」の運営責任者、渡具知豊さんと、名護市役所地域経済部 観光課 観光計画係の係長、岸本司さんにうかがいます。
1981年竣工の名護市役所は、名建築として建築業界でも有名(提供/ナゴラブ)
「名護は(沖縄の中でも)ちょうどいい街です。車で5分走れば、海も山も、川も楽しむことができます。世界遺産に指定されたやんばるの森を擁する北部への関所でもあり、市街地には昔ながらの旧市街や大型商業施設もあり、生活環境が整っています。沖縄本島の中で、東シナ海、太平洋、羽地内海と3つの海に面しているのは名護市だけ。サンライズもサンセットも楽しむことができるのです」(渡具知さん)
市の西側には「21世紀の森ビーチ」と名付けられた広大なビーチが。
恩納村などでは、西側のビーチに数々のホテルが立ち並んでいます。しかし名護市の「21世紀の森ビーチ」は市が管理しているため、ホテルを建設することはできません。食材を名護市内で購入し、バーベキューエリアで楽しんだり、花火をしたり――。まさに名護市民のためのビーチなのです。
そして、住環境が良いだけでなく、子育て世帯に向けても、特別な施策がありました。
名護市では2018年9月から全国に先駆けて、保育料と、給食費が無償化されました。2019年度からは、通院・入院共に高校生までの医療費も無償化されました。保育料・給食費・高校までの医療費の「3つ無償化」は名護市の強みです。
「保育ニーズの高まりにより、一時は待機児童が増加しましたが、現在では減少傾向となっています」(岸本さん)
このように、豊かな住環境と制度を擁する名護市。では、実際に移住した人たちはどのように暮らしているのでしょうか。
海辺に憧れのカフェをオープン、15年間経営
「シーサイドカフェ・ブルートリップ」を経営するオフィス・ブルーラグーンの大石啓士さん(撮影/島袋常貴)
「名護市は沖縄らしさを残しつつ、米軍文化で栄えた沖縄市のコザほど濃くはない。県外から来ても入りやすく、そのミックス度合いでいうと最強だと思います」
21世紀ビーチの南に位置する名護市・東江の東江海岸沿いで、「シーサイドカフェ・ブルートリップ」を経営するオフィス・ブルーラグーンの大石啓士さんは話します。
店内には本棚なども備え付けられ、居心地が良い(撮影/島袋常貴)
人気メニューの「ブルートリップ・プレート」(撮影/島袋常貴)
沖縄への移住者に人気な街は、なんといっても那覇市。市内には那覇空港や国際通りなどの有名スポットが存在するほか、フードデリバリーやタクシー配車などのアプリもほぼ東京と同じように使うことができます。しかし、大石さんは那覇市には惹かれなかったそうです。
「那覇は良くも悪くも都会。那覇に住むなら、大阪に帰ろうと思いました」
大阪出身の大石さんが世界一周を夢見て、まず沖縄にやってきたのはおよそ20年ほど前、23歳のころ。しかし起点だったはずの沖縄に魅せられてしまい、4年ほど知人の事業を手伝ったのちに独立し、ブルートリップを創業しました。
カフェの外観。海賊船のような雰囲気が漂っている(撮影/島袋常貴)
カフェの中からは名護の海を一望できる(撮影/島袋常貴)
「ここはもともと倉庫だったんです。カフェをやるのにどこかいい土地はないかと探していて、海が見えるこの場所を通りかかって『ここだ!』と思った時に、ちょうど大家さんがふらっと出てきたんですね。これも沖縄らしさですね(笑)」
車で5分で自然に触れ合える
現在は妻と10歳の長女、7歳の長男、5歳の次男、3歳の次女の6人で暮らしています。
「大都市圏では、2人子どもがいたとして、2LDKや3LDKの部屋を借りるとそれだけで15万円から20万円の家賃がかかりますよね。名護では6万円から7万円で借りることができます」
子育てをする上で、豊かな自然も魅力です。
子どもたちと海に行った時の様子(提供/大石啓士)
「例えば大阪に住んでいたら、キャンプ場まで車で1時間、入場料を払って、子どもたちを遊ばせて、また1時間運転して帰る。
バーベキューや焚火も気軽に楽しめる(提供/大石啓士)
仕事探しについては「自分で(事業を)やったほうがいいと思いますね。名護は人口6万人の小さな街です。雇われるなら、生きてはいけるけど、やりたい仕事で雇ってもらうチョイスは必ずしも多くはないと思ったほうがいいでしょう」
「名護は小さな街。子どもたちはこの街だけにこだわらず、広い世界に出て自分の好きなことを見つけてほしい」と語る大石さん(提供/大石啓士)
名護市立の小中一貫校でたくましさを養う
同じく、大阪から名護市に移住し、13歳の長男、9歳の次男、4歳の三男と暮らす新井章仁さんは、子どもたちを名護市立の屋我地ひるぎ学園に通わせています。
新井章仁さんは自営業の傍ら、好きな演劇で劇団も主宰(撮影/島袋常貴)
小規模特認校である同校は、公立には珍しい小中一貫教育が特徴。地域住民を講師に招き、地元の自然について学ぶ「干潟の生き物観察」や「みつばち教室」「マングローブ林体験」など、ここでしか経験できない授業も充実しています。
「干潟の生き物観察」の授業の様子(提供/屋我地ひるぎ学園)
市内の全域から通うことができますが、「体感では、生徒の半数近くが移住者ではないでしょうか。教育意識が高い親御さんも多いですね」(新井さん)
自身も名護を拠点に劇団を主宰しながら、「やんばるナゴラブ」で映像制作ディレクターを務めます。
「まわりのお父さんたちも、自分の力で生きている人たちが多いです。自分がなにを生業として生きていくかの選択肢が身近にあるので、いい大学に行って、いい就職をするばかりが正解ではない、ということが子どもたちも自然に理解できる環境だと思います。もちろん勉強も大事ですが、生きるたくましさをここで身に着けてほしいと思っています」
休日には、家族でマングローブ林をカヤック探検(提供/新井章仁さん)
移住後1年、農業で独立。アップルバナナ栽培に飛び込む
自身のバナナ畑に立つ荘司幸一郎さん(撮影/SUUMOジャーナル編集部)
名護市は沖縄県内でも農業生産高が高く、多くの農作物が栽培されています。
荘司さんは名護市で、2016年から農業に従事しています。1年間は農業法人で働きましたが、2017年に独立。オクラの栽培からスタートしましたが、知人から「バナナをやってみないか」と声をかけられたことから、アップルバナナの栽培を始めます。
アップルバナナは収穫まで1年半ほどかかるという(撮影/SUUMOジャーナル編集部)
サトウキビの産地である沖縄県ですが、高齢化に伴い、耕作放棄地の増加が問題になっています。どうやって農地や、農業を守っていくかは名護市の社会課題。
荘司さんは、新しく農業を営む人に向けた新規畑人資金支援事業(就農準備資金)という制度を活用しました。県知事が認めた研修機関等で研修を受けた人を対象に、最長2年間で年間150万円を支援する制度です。
「農業は決して甘い世界ではありません。
もっとも、名護市では兼業農家も多いそうです。平日は飲食店やホテルなど、都市部で働き、週末や1週間のうち数日は農業を手掛ける。そういった多様な生き方をしている人も多いそうです。。
就農して8年目になる荘司さん。はじめに入手したアップルバナナの苗は50本でしたが、現在は約2000本に増えました。年商も1200万円ほどまで増えましたが、農業機械のリース代など、経費を差し引くと利益は200~300万円だといいます。
50本から始めたバナナ畑はいまや2000本を栽培するまでに(撮影/SUUMOジャーナル編集部)
それでも、アップルバナナに魅せられた荘司さんは、このバナナを新しい名護の名産品にしたいという意気込みで取り組んでいます。
「日本では、1房100円~200円のフィリピンなどからの輸入バナナか、1本1000円以上もする高額なバナナが流通していますが、中間の価格帯のバナナをほとんど見かけません。僕が名護で育てたアップルバナナは700円程度で流通しています。僕の感覚では、これがバナナの適正価格じゃないかなと思うんです。このバナナを、名護の新しい特産品として県外の皆さんにお届けできたらと思っています」
移住者と地元の憩いの場「ココノバ」
ココノバの入り口。もとは地域の診療所が入っていた建物を改装した(撮影/島袋常貴)
とはいえ、移住当初は誰でも孤独を感じることもありそうです。そんな、名護市に引越してきた移住者や、地元の大学生、住民などがふらりと訪れるのがコミュニティパーク「ココノバ」。もともとは地域の診療所だった建物を改装し、1階部分はコワーキングスペースとテイクアウト専用カフェ、2階部分は本やテーブル、卓球台やビリヤード台などが立ち並ぶコミュニティスペースになっています。
マネージャーの森下志穂さん(撮影/島袋常貴)
ココノバは2022年1月にオープン。コロナ禍を経て「コロナであっても、コロナ後も、民間主体で街づくりをしたい。誰でもふらっと、開かれているという場をつくりたいという思いが一番のコンセプトでした」。ココノバのマネージャー、森下志穂さんは語ります。
自家製の棚にはたくさんの本や、地元のクリエイターの作品が並ぶ(撮影/島袋常貴)
ココノバの利用者数は累計1万7000人、月間平均およそ1400人。県外と移住者の比率は半々くらいだそうです。日中は開かれた公園をコンセプトに、中高生が学校帰りに立ち寄り、施設内で飼っている猫を撫でに来たり、大学生が飲み物を持っておしゃべりに興じたり。土日には子連れファミリーの姿も目立ちます。
備え付けのけん玉で遊ぶ地元・名桜大学の学生たち(撮影/島袋常貴)
この日初めてココノバを訪れたという親子連れはビリヤードに夢中(撮影/島袋常貴)
看板猫のしらす君(撮影/島袋常貴)
夜は地元の講師を招き、さまざまなスクールを開催。人気のヒップホップダンスやキックボクシングは、参加者が20名を超えることも。他にも、毎週水曜夜に開催されるミュージックナイトでは、ギターや三線、鍵盤ハーモニカ、太鼓などの楽器を持ち寄り、沖縄のポップスなどを参加者が自由に演奏しています。数名で始めたミュージックナイト、今やグループLINEの人数は60名を超えました。夜には、2階のカウンターはバーカウンターに様変わりします。
夜はこのスペースがバーに様変わり。近所の人も訪れるという(撮影/島袋常貴)
曜日ごとにさまざまなスクールが開催されている(撮影/島袋常貴)
1階部分に入っているカフェ「sōen」(撮影/島袋常貴)
人気のランチプレートは、ココノバに持ち込んで食べることもできる(撮影/島袋常貴)
ココノバの運営収益は、1階のカフェ「sōen」と2階のバーの売り上げ、そしてレンタルスペースとコワーキングからの収益が中心です。昨年からはフィールドワーク事業も開始し、子どもの職業体験や、議員さんの研修などに利用されているほか、修学旅行の際に訪問してくれる学校もあるそうです。
ココノバの縁でスパイスカレー店をオープン
ココノバでは、共通の趣味を持つ友人を見つけられるだけでなく、住まいや仕事探しへと縁がつながることも。
ココノバで出会う人たちはみな温かい、と話す(撮影/島袋常貴)
「短期移住者なのか、長期移住者なのかによって必要なサポートも異なります。スタッフも、スクールの参加者も、皆さんとても親身に相談にのってくれるはずです。不動産屋さんも紹介していますし、ここのスクールをきっかけに自分のお店を開業された人もいるんですよ」(森下さん)
ココノバでスパイスカレーのスクールを開いていた塩月孝太郎さんがその人です。長野県で整体師をしていた塩月さんですが、コロナ禍をきっかけに開店休業状態に。沖縄のホテルが従業員を募集していたことをきっかけに、名護に移り住みました。
塩月さんが開業したスパイスカレー店。もとはアジア料理のお店だった建物を居抜きで利用(撮影/SUUMOジャーナル編集部)
もともとスパイスカレーが大好きで、食べ歩いていたという塩月さん。それが高じて薬膳スパイスアドバイザーの資格を取り、ココノバでスパイスカレーのスクールを開いたところ、これが好評に。名護市役所のすぐそばに、名護で初めてのスパイスカレー店をオープンしました。
厨房に立つ塩月孝太郎さん(撮影/SUUMOジャーナル編集部)
カレー二種類盛りプレートはドリンク付きで1600円(撮影/SUUMOジャーナル編集部)
もっとも、お店を出すまでは相当に苦労したという塩月さん。何カ月も店舗に最適な場所を探し続けました。しかしその甲斐あって、オープン後はココノバの仲間がちょくちょくと顔を出してくれるそうです。
「ココノバだけでなく、移住後はとにかくいろいろな場所に顔を出すことにしました。地元の人とのつながりをつくり、その場所を理解することが移住後も快適に暮らしていく秘訣ではないでしょうか」(塩月さん)
多くの人は一生にそう何度も訪れることはないかもしれない、沖縄県名護市。しかし、ここは東京や大阪といった大都市圏では簡単に手に入れることができない自然や海、人の縁が得られる場所なのかもしれません。移住してみたい、と思った方はぜひ一度観光以外の時間も取って街を巡ってみてください。
●取材協力
シーサイドカフェ・ブルートリップ
ナゴラブ
ココノバ名護
ナカラマサラ