長崎県長崎市は「坂の街」と言われる。山の斜面にびっしり民家が建ち、家々の間には迷路のように細い道や階段が続く。

斜面地の路地。民家やお墓が並ぶ奥の遠景に海や港が見える長崎特有の風景が広がる(撮影/繁延あづさ)
空き地を貸し農園として活用
長崎の観光名所としても有名なオランダ坂から歩いて上ること10分ほど。洋館や煉瓦塀などを横目に上っていくと、次第に息が上がってくる。道幅はどんどん狭くなり、車は入ることができない狭い路地や階段だらけのエリアにたどり着く。
やがて目の前に「さかのうえん」の農地に出た。約20坪ほどの土地がいくつかの区画に区切られており、いきいきした野菜の葉が茂っている。「さかのうえん中新町ヒルズ」だ。
さかのうえんを運営する「長崎都市・景観研究所/null」(以下、null)所長の平山広孝さんと女性がもう一名、さんさんと陽が降り注ぐ畑でじゃがいもを収穫している真っ最中だった。

「さかのうえん中新町ヒルズ」(撮影/繁延あづさ)

さかのうえんを運営するnull所長の平山広孝さん(撮影/繁延あづさ)
さかのうえんでは、こうした斜面地にある空き地を、土地のオーナーから管理委託を受けて農園にし、一般市民に貸し出している。
ヒルズのほか、「さかのうえん中新町ベース」「さかのうえん中新町パティオ」「さかのうえん中新町テラス」に、加えて2025年3月に完成したばかりの「さかのうえん中新町ザ・ビュー」と、現在5カ所。
土地の広さは異なるが、この日見せてもらった「中新町ヒルズ」や「中新町ザ・ビュー」では「約6平米×19区画」が、月500円で貸し出されており、現在約15組が借りている。そのうちの一部は平山さんたちが直接管理する。

丸々としたじゃがいもが土の中から顔を出す。収穫ももう、何度目かになる(撮影/繁延あづさ)
「このあたりは坂が多くて、高齢者には住みづらいので、空き家や空き地が増えているんです。放っておけば土地が荒れますし、草刈りが大変です。さかのうえんでは、その管理委託を無償で請け負って、市民農園として貸し出します。若い人たちの間で農園のニーズはかなりあるので、畑として使ってもらえば持ち主は土地の管理が楽になるし、若い人たちに坂の街の面白さや良さを知ってもらうこともできる。流行れば、斜面地にいろんな人が集うようになると考えたんです」
さかのうえんを運営するのは平山さんが代表を務める「null」。まちづくりに関心のある有志による市民団体だ。
中新町ヒルズから路地や階段をさらに上り下りして移動すると、3分ほど行った先に「さかのうえん中新町ザ・ビュー」があった。その名前の通り、長崎の街が一望できる眺めのいい場所で日当たりも良く、こちらでも最近畑を始めたという女性たちがナスやトマトの世話をしていた。

最近新しくできた「さかのうえん中新町ザ・ビュー」。長崎の街を一望できる(撮影/繁延あづさ)
管理の負担を減らして、明るい農地に
昨今、空き地・空き家は、持っているだけで負債になるといわれる。管理の負担が大きいためだ。持ち主からすると「さかのうえんが無償で管理してくれるなら、それだけでもありがたい」という話になる。
最近では相続税を支払えないなどの理由で国有化される土地も多く、その場合、管理には税金が使われる。市民農園として活用できれば、みんなが育てた野菜の緑で景観も良くなるし、いいこと尽くしというわけだ。
本職は長崎市役所の職員である平山さんが、初めて「さかのうえん」の企画を市長に提案したのが2010年度だったというから、構想はずいぶん前からあった。当時は受け入れてもらえなかったが、職員としてではなく、個人が主宰するnullの活動として、2020年にさかのうえん第1号「中新町ベース」が実現した。
長崎にはほかにも坂の街は多いのに、なぜ、この中新町エリアで「さかのうえん」の取り組みが進んでいるのだろう。
「自治会に、空き地管理の仕組みがあったんです。家が空くと相続する方に『年いくらかで自治会が代わりに管理を請け負いますが、どうですか』と声をかける仕組みになっていて。近くに住んでいる方ばかりではないので、依頼する人も多いんですね。そこまでする自治会は珍しいのですが、中新町は自治会長がしっかりされていて」

平山さん(撮影/繁延あづさ)
今、農園にしている2カ所は自治会管理の土地をnullが委託を受けていて、1カ所は直接、土地の持ち主から預かっている。
国有地はさかのうえんのような市民団体が国有地を無償で活用できる制度がある。
「2年間の管理委託契約を国と結びました。最初に土地を整備するのは大変ですが、ふるさと納税を活用したクラウドファンディングを使って、土木事業者に整地してもらいました。瓦礫を2立米ほどは撤去したんです」
車で近くまでは来られないが、すぐそばに使える水道や公園のトイレがあることから、農園にしやすい土地だったことが決め手になった。畑作業を見学していると、散歩していた近隣に暮らす男性が声をかけてきた。
「あんたたちここで野菜ば育てよっとね? よか取り組みたいね」
これまで荒れた家がそのまま放置されていた場所が畑になった様子を、目を細めて歓迎する高齢の女性もいた。
「もともとここは、畑になる前は長屋やったんです。猫がたくさん住み着いてうちにも入ってくるので困ってたんやけど。きれいに更地にして畑になったでしょう。すごくいいですよね、若い人たちの声が聞こえて活気があって」
もし土地が無事に売れれば、農園は速やかに撤退するのだという。
「農園には売地の看板を立てています。

福祉施設が借りているという区画。夏野菜が育っていた(撮影/繁延あづさ)
世代を超えたコミュニケーションの場に
ヨガ教室「YOGA ANDANTE」代表の河原歩(かわはら・あゆみ)さんは、最近「さかのうえん中新町ザ・ビュー」の一区画を借りて「アンダンテ・ファーム」を始めた。かねてより平山さんの友人で、勧められたという。

ヨガ教室「YOGA ANDANTE」代表でインストラクターの河原歩さん(撮影/繁延あづさ)
「ヨガの生徒さんたちと一緒に野菜を育ててみたかったんです。しばらく雨が降らないと水は大丈夫かなと不安はありますけど楽しくて。ヨガと農作業には通じるものがあって、黙々と作業していると自然と触れ合える感じがします。始めてみると野菜が可愛くて仕方ないんですよ」
あれこれ河原さんたちに手ほどきする平山さんも最初は初心者だったが、YouTubeなどで野菜づくりを習得してきたという。
「しばらく誰も来られなくても、福祉施設の利用者さんたちが毎日ここに通って水やりしてくれているんです。僕らが依頼したわけではなくて、畑に勤しむことで心にいい影響があるということで、先方から望まれて打診がありました」(平山さん)

この日、初めて訪れたという、市内でおにぎり屋を営む川崎奈央(かわさき・なお)さんと河原さんは、自分たちの区画だけでなく隣の畑にも水やりを行っていた。同じように隣の人たちが来た時は代わりに水やりをしてくれるという(撮影/繁延あづさ)
「農園がすごくいいのは、そんなふうにいろんな人たちが集まってコミュニケーションできることだと思うんです。それに空き家に比べると、最初の整地以外は、畑の方が管理が楽なんです」(平山さん)
さかのうえんでは農作業の後、収穫した野菜でバーベキューを開催するなど、交流の場を設けることを積極的に行っている。この日も、収穫したばかりのじゃがいもをジャーマンポテトにしてみんなで味わった。

その場で調理したジャーマンポテト(撮影/繁延あづさ)

農作業後の楽しみ(撮影/繁延あづさ)
不動産事業者も注目する取り組み
この日たまたま「中新町ヒルズ」のすぐそばの土地を、持ち主から相談されているという不動産事業者が、平山さんの元へ相談に訪れていた。
株式会社アイエムの築地原大介(ついちはら・だいすけ)さんだ。
「土地オーナーの希望は300万円ほどで土地を売ることです。でもそう簡単に売れる立地ではないので、私たちとしても、まず出口を見出すことが大事だと思ったんです。さかのうえんの活動はすごくいい取り組みだと思い、お話だけでも伺えたらと思いました」
平山さんは嬉しそうに言った。
「実はあの土地は僕らもいいなと思っていたので大歓迎です。このあたりの空き地はすべて農園にしたいくらいで。でも僕らは土地を所有することはできないんです。僕らはあくまで市民活動団体で、資金も潤沢ではありません。あくまで困った土地をさかのうえんに貸してくださったら無償で管理しますよということで。もちろんその間に土地が売れればすぐに撤収します。農園の利用者さんにもあらかじめそのようにお伝えしてあります」

平山さん(右)と、近くの土地について売却の相談を受けている不動産会社の築地原大介さん(左)(撮影/繁延あづさ)
条件的に売りにくい土地や空き家は、一般的に不動産事業者は取り扱いたがらない。また仮に売れるまでの間さかのうえんに管理委託することになっても、不動産事業者には一銭も入らない。
「確かに、不動産屋としては本音ではあまり触りたくない物件でもありますし、業者の中には断られるところもあります。でもお客さんからお話をもらった以上、何か土地の有効活用をご提案したいと思うんですね。そのとき、市民農園にするのはいいアイディアだなと。ご高齢の方が炎天下、管理のために草むしりしていたりするのは見ていて辛いですから」(築地原さん)
まずはこうした空いた土地に、楽しく関わる人を増やしたいと平山さんは話す。
「土地の良さって来てみて初めてわかりますから。ここなど、眺めがすごくいいじゃないですか。家を建てたいと思う人が出てきてもおかしくない。僕は大学のころから都市景観を専門にしてきましたが、長崎はロケーションによって景観が全く違うので。若い人たちに来てもらうために何をしたらいいだろうと考えて、行き着いた答えが畑だったんです」
高齢者が足腰が利かなくなり街に降りてしまうのは仕方がないとしても、若い層にはもっと斜面地を活用できるニーズが眠っていると平山さんは考えている。

(撮影/繁延あづさ)
バイクで一回りできる生活圏で活動する
平山さんが代表を務めるnullには、まちづくりに関心のある公務員やデザイナー、建築家などの約10名が集まり、毎週一度会合を行うほか、さまざまなイベントや活動を実施するなど活発に活動している。「さかのうえん」もその一つ。ほかにも長崎駅前の川の活用や観光案内所「HUBs Ishibashi」の運営をボランティアを募って活動したり、「まちづくりスナック」として、夜に飲みながら話ができる場の運営もしている。

ミズベリングの活動(提供/null)

nullのゼミの様子(提供/null)
平山さんの活動範囲に驚いていると、こんな話をしてくれた。
「一つポイントがあるんです。住んでいる場所から、活動拠点がすべてバイクで一筆書きで回れる範囲にあるんです。休日、まず朝はさかのうえんで作業をして、昼にはHUBs、そして夜はスナックといったふうに、ぐるっと回れるんですね」
まさに生活圏内で活動しているということだ。
石橋駅電停前の「HUBs Ishibashi」は、2022年12月にオープンした観光案内所。東山手や大浦など長崎の観光名所である居留地エリアの観光案内、地域の方と観光客の交流の場として、nullを含むまちづくり団体「55HUBs」で運営されている。また「まちづくりスナックニューシグナル」は会員制で、誰もが長崎のまちづくりについて自由に語り合える場所。

「HUBs Ishibashi」前(提供/null)
ライフワークとしてnullの取り組みを行っているが、平山さんの本職は、長崎市役所の「まちなか事業推進室」の職員である。
「いまは東山手・南山手などまちなかエリアが担当で、斜面地ではないのですが、ずっとまちづくりや都市計画を専門にやってきました。でも職員としてできないこともあるので、それは個人の活動として、nullで行っています」
さかのうえんの取り組みは、nullで行っている方。だが中新町ザ・ビューの土地整備を行う際などは、長崎市の「ふるさと納税」の仕組みを活かし、クラウドファンディングで資金を集めた。市民活動と市役所職員の立場をハイブリッドで活動している人だ。
本職では、管轄の東山手・南山手エリアで地元の人たちとともに「歴史まちづくり協議会」を結成し「長崎居留地歴史まちづくりグランドデザイン」をつくった。この計画が、この5月、「第4回 まちづくりアワード 計画・構想部門」の国土交通大臣賞を受賞したのだという。
長崎には、教会や洋館など、南蛮文化やキリスト教など海外との交流から生まれた歴史的建造物や文化財が数多く残っている。こうした文化財保護を含め、市内の景観を維持しながらより良くするために、「まちづくり」「文化財保護」「観光」それぞれの視点を掛け合わせて、次世代へと継承していくことを目的に働きかけているという。

オランダ坂上にある活水女子大学(撮影/繁延あづさ)
「大学時代に外へ出て、長崎のまちの魅力に改めて気付きました。子どものころからこの街で過ごしてきて愛着があります。景観を良くするだけではなくて、暮らしている人が活発に暮らしていることが見てとれるようなまちづくりができたらいいなと思っています」
この考えは「さかのうえん」にも通底している。不動産流通の世界では買い手がつきにくい空き地に、知恵と手間をかけて、新たな人の流れをつくり、同時に景観も良くしていく。役所の内と外、仕事と私事の垣根を越えて、長崎という土地をよくしていく営みが、平山さんの暮らしそのものになっている。
●取材協力
長崎都市・景観研究所/null