TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』月~木曜日の午前11時から放送中(3月22日(火)放送分)
先日番組で募集したメッセージテーマ「お弁当の思い出」。
3月のこの時期は、お子さんの入学・卒業などで、
お弁当作りが始まる方、卒業の方もいらっしゃると思いますので
「生活は踊るリスナー」の、泣き笑いなお弁当エピソードを紹介しました。
埼玉県春日部市・63才 ラジオネーム・気まぐれパンダさん
反抗期の高校時代。3年間お弁当でした。
ある日、理由は覚えていませんが、朝から母親とケンカ。
昼休みに、弁当のふたをあけたら、白米しかなく、
その上に海苔で、二文字「バカ」と書いてありました。
母が、海苔をハサミで、「バ」と「カ」の二文字を切っている姿を想像して、
なんか、おかしくって笑いました。
「おかずなしだー」と思ったら、白米の下から、おかかに、鮭、きんぴらごぼう、厚焼きたまごが出てきて、思わず、涙がでました。
友人みんなは、「お茶目なママだね」と、笑ってくれました。
親子の何層にも絡まる感情のようなお弁当でした。
東京都目黒区・44歳 ラジオネーム・森のお母さん
娘が幼稚園に入ってから作り続けたお弁当も、高校卒業と共にこの3月でおしまいです。
完食してほしいとの思いで好きな物を詰め込んだ幼少期。
その時好きなキャラクターをデザインした小学校の時期。
部活や塾に合わせてボリュームのあるお弁当に変わった中学時代。
サラダやスープがメインになった高校時代。
お弁当の中身を思い出すだけでも、成長を辿ることができるのですね。
元来得意ではなかったお弁当作りも、娘が将来、親になっだ時に思い出してもらえるようにと、そのモチベーションで頑張りました。
また、私の母や祖母はそんな私のお弁当を見る事で、とても喜んでくれていました。
もう祖母も母も天国ですが、お弁当っていろんな人を幸せにする力があるんですね。
思いがこもったお弁当大好きです。
東京都国分寺市・40代・男性 ラジオネーム・いろいろ いろは さん
父と二人暮らしだった学生時代、父は会社が倒産してしまって、事実上無職になってしまいました。
しかし、その分、毎日、お弁当を作ってくれて、今日の弁当は何にこだわったかを毎晩、話してくれました。
失業以前は忙しくてほとんど家にいなかった父。
そんな父と、これほど濃密に話をしたことはありませんでした。
家計はおそらく大変だったでしょうが、明るく大変さを感じさせない父はすごかったと、今なら思えます。
その父ももう亡くなりました。
私の息子が中学生になったら、私もお弁当を作って、この話をしたいな。と思っています。
大阪府・40代・男性 とっとこ雨太郎さん
小学校の頃、冬場はよく教室のストーブの上でお弁当を温めていたました。
ある日、寝坊した母は苦肉の策で「白ご飯とレトルトカレー」を持たせて私を送り出しました。
それが恥ずかしかった私は、隠しながら食べていたのですが、ストーブでしっかり温まったカレー...隠しきれるはずも無く。
教室中にカレーの匂いが漂い、注目の的になってしまいました。
それから私のクラスでは 「カレー弁当」が大流行して、うちの母は、ほかの保護者たちから感謝されていました。
ラジオネーム・うさぴょんさん
わたしは、産休前、某コンビニエンスストアの、お弁当の商品開発をする仕事をしていました!
ボツ商品は採用商品の数百倍。
今思えば大変な仕事でしたが、世の中のトレンドや栄養バランスを考えて、楽しく、必死に開発していました。
自分が開発した商品を目の前で手に取ってもらえた時は、心の中で「それ考えたの私です!!ありがとう!」と唱えたものです。
新潟県・56歳・男性 ラジオネーム・ちくわ さん
うちの子ども3人が小学生の頃、月イチの「お弁当」がありました。
共働きで妻は朝早かったので、私が全て担当していました。
私が必ずやっていたことは、全く同じおかずで、自分の分の弁当も作ることです。
子供たちがお弁当のフタを開けた頃、自分も一緒に食事を始めるようにし、「ちょっと、これはしょっぱかったかな?」「これは味薄かったかな?」と子供たちの食べる姿を想像しながら、見えない時間の共有をするのがなんとも大好きでした。
つい最近、娘に「お父さんのお弁当は茶色が多くて、本当はちょっと恥ずかしかった」と言われ、色合いとか、全く考えてなくて、悪いことをしたな、と…
娘は、「でも味は美味しかったよ」との一言も添えてくれました。
ラジオネーム・しゃけ さん
高校生の時、クラスで仲が良いグループの1人がある時から学校に来なくなり、
>そしてまた来るようになりました。
ちょっとギャルめの子だったので、「サボったのかなー」くらいにしか思ってなかったのですが、ふとある日何事もないように「お母さんが死んじゃったんだよねー」と言いました。
あまりに普通に言うので、どう反応したのか覚えてないくらいです。
帰宅後、その話を私の母にすると、次の日からお弁当を2つ作って私に持たせるようになりました。彼女のぶんです。
私は「余計なことじゃないかな」とも思いましたが、彼女はまたと「えー、うれしー」と美味しそうに食べてくれました。
彼女に大人になってから会ったとき、「あの時のお弁当は本当に嬉しかった」と言ってくれました。
我が母ながら、なかなか出来ることじゃないなと尊敬します。
そんな母も10数年前に亡くなりました。
「お弁当の思い出」を送って下さったみなさん、ありがとうございました。
そして、この3月でお弁当作り卒業の方、お疲れ様でした!
引き続き、お弁当作りがある方、4月から始まる方、がんばっていきましょう!