ライムスター宇多丸がお送りする、カルチャーキュレーション番組、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」。月~金曜18時より3時間の生放送。

『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
今週評論した映画は『佐々木、イン、マイマイン』(2020年11月27日公開)です。

宇多丸、『佐々木、イン、マイマイン』を語る!【映画評書き起こ...の画像はこちら >>

宇多丸:
さあ、ここからは私、本名佐々木こと宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週扱うのは、11月27日から公開されているこの作品、『佐々木、イン、マイマイン』。

(曲が流れる)

これはあのオープニングから、バスに乗っているところからだんだん聞こえだすというか、流れだす曲ですね。

初監督作品『ヴァニタス』がぴあフィルムフェスティバルワード2016観客賞を受賞。人気バンドKing Gnuや平井堅のミュージックビデオなどを手がける、内山拓也監督の劇場用長編映画デビュー作です。俳優になるために上京したものの、鳴かず飛ばずでくすぶっていた悠二は、高校の同級生と再会したことをきっかけに、高校時代、絶対的な存在だった佐々木との思い出を振り返る。

主人公・悠二役の藤原季節、佐々木役の細川岳、萩原みのりさんなど若手俳優がメインキャストを務め、King Gnuの井口理……これ、僕ちゃんとわかってなかったけども、途中のチンピラ役がそうだったんだね。鈴木卓爾さん、村上虹郎さんなどが脇を固める。本作で内山監督は、2020年度に新藤兼人賞の銀賞に輝いた、ということになります。

ちなみに金賞は『37セカンズ』ということで。こちらも萩原みのりさん、出ていますね。

ということで、この『佐々木、イン、マイマイン』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「ちょっと多め」。これ、かなり健闘しているんじゃないですかね。

公開規模から言えばね。賛否の比率は8割近い人が褒め。なかなかの高評価です。

主な褒める意見としては「過ぎ去った青春を描いた新たな傑作。ムズムズしながらスクリーンを眺め、見終わった後には昔の友達と連絡を取りたくなった」「エモーショナルでパワフルで、でもとても繊細な映画。誰もが心の中に“佐々木”がいるはず」「藤原季節さん、細川岳さんの演技も素晴らしかった」などがございました。

また沖田修一監督の大傑作、あの『横道世之介』を思い出すという意見も多かった。実は私のこの評の中でも、ちょっとその話が出ますけども。

一方、否定的な意見としては、「佐々木というキャラクターに魅力が感じられない。むしろ不快な人物で、映画も好きになれなかった」といったものが目立ちました。

■「青春というものとどう向き合うか、どうケジメをつけるかという話」(byリスナー)
ということで、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「dxdxd」。

「『佐々木、イン、マイマイン』、見てきました。結論から言えば大大傑作でした。『佐々木! 佐々木!』ってずっと佐々木コールが鳴り響いています。

自分たちの人生において、かつていた忘れがたい人間に思いを巡らせるという点では『横道世之介』にちょっと似ていますし、完全に疎遠になった友達を描いているという点では元トモ案件ですね。何の忖度もせず、人がやらないことをやる“佐々木”という存在は、誰の中にもいるような気がします」という。これ、ご自分のお友達にもいたよ、というようなことを書いていただいて。

「でも同時に、(自分が)誰かの中の“佐々木”になってるかもしれないと思います。自分が、ただ生きたいように生きていても、他人からしてみれば“佐々木”たる存在になっているかもしれません。本作本格自体も佐々木のモデルはまさに佐々木を演じた細川岳さんの実際の友達をモデルにしているとのことです。佐々木に羨望の眼差しを向けていた人間が“佐々木”を演じている。これって単なるキャスティングっていうわけじゃなくて、誰の中にも内在しているのが“佐々木”、っていうことなんじゃないかなと思いました。そんなヒーロー的、もはや偶像的な“佐々木”に思いを巡らせ、現実を見つめ直していくのがこの映画の軸になってるような気がします。それは同時に、何でもできる。何にだってなれる全能感。超人性に満ちていた青春というものとどう向き合うか。どうケジメをつけるかという話でもあると思います。

いつまで心の中の佐々木は“佐々木”でいてくれるのか? 自分の中の“佐々木”をどこに置くのか? どう別れるのか? 決着をつけるのか? ずっと考えてしまいました。それでもずっと『佐々木! 佐々木!』って佐々木コールをしたいです」というようなdxdxdさんのメールでございました。

一方、良くなかったという方もご紹介しましょう。ラジオネーム「たくや・かんだ」さん。「とても評判の高い作品ですが、個人的にあまり楽しめませんでした。まず佐々木コールと共にどこでも裸になるというエピソードがくだらないし、嫌悪感を持ちました」。まあ、本当にくだらないんだけどもね。嫌だっていうのももちろんわかります。「仲間にはやし立てられ、どこででも裸になる。そんな佐々木にもいろんな思いがあり……というのはわかるのですが、佐々木という人物に全く魅力を感じませんでした。

主人公・悠二もそれほど過酷な状況にあるわけでもなく、常にまとまりついてる自己憐憫的な雰囲気になんかうんざり。全編を覆うセンチメンタルな雰囲気が苦手で、会話でもいかにもセリフですという箇所があり、気になりました」「映画自体には批判的な感想を持ちましたが、藤原季節さん、萩原みのりさんら俳優陣は良かったと思います」というような、たくや・かんださんのご意見でございました。

■「友達」という捉えがたい存在を、「死」の香りとともに\浮かび上がらせてみせる内山監督
ということで、皆さんメールありがとうございました。『佐々木、イン、マイマイン』、私もT・ジョイPRINCE品川で1回、そしてこれね、脚本・監督の内山拓也さんがかつてバイトで働かれていて、そのメイン館としての上映を実際の制作に先だって決めていたという、非常に縁の土地でもある新宿武蔵野館で、2回目を見てまいりました。やっぱりこれ、新宿武蔵野館で見ないとっていうね(※宇多丸追記:ちなみに新宿武蔵野館では、上映前に内山監督と出演者たちによる挨拶映像が流れました)。

ということで、本作がその劇場用長編映画デビューとなる、内山拓也さん。先ほども言いましたけども、King Gnuの「The hole」っていうミュージックビデオを撮ったりとかされているという。まあ映画作品としては、先ほども言ったように、ぴあフィルムフェスティバルアワード2016年観客賞を受賞した『ヴァニタス』というこの長編と、あとは先ほど言った「The hole」というミュージックビデオにも出演されていた清水尋也さん、『ちはやふる』などでもおなじみ清水尋也さん主演で、なおかつ井手内創さんとの共同監督でもあるという、1時間弱の中編『青い、森』というのを、これまでに撮られていて。僕も遅まきながらこのタイミングで、2つとも拝見しましたが。

まあ今回のその『佐々木』に至るまで、目に見えて、その作品ごとにめきめきと成長してる、ってのはもちろんあるんですけども。それ以上に印象的だったのは、結構、少なくともこの三作に関して言えば、非常に一貫したテーマがはっきりあるな、という。まあ、授業後に体育館でだらだらとバスケットに興じる時間だけがある種接点、という4人の大学生を描いた『ヴァニタス』であるとか。姿を消した同級生の足取りを追う旅がですね、そのうち彼の意外な内面の、深淵を覗くような経験となっていくこの『青い、森』。

そしてですね、「緩くつながった4人の男性たち」という設定とか、「不在の友人の意外な内面を改めて覗く」ような視点という、この、要するに今言った『ヴァニタス』と『青い、森』の二作の要素を同時にあわせ持つ、今回の『佐々木、イン、マイマイン』。どれもですね、表面的な部分で言うならば、男友達同士の、本当にしょうもないかまし合い、じゃれ合い込みの、友情、友愛というのを、非常に生き生きとリアルに描きだす、という。そこが特徴なわけですけども。

ただ、その先にですね、これは僕の解釈というか、表現というか、なんですけども、そもそも「友達」っていう関係、その何か本質的な、実は寄る辺なさというか……「友達」ってちょっと得体が知れないというか、「友達って何だ?」っていうことですね。得体が知れない、そして儚い存在でもある、というあたり。でも、しかしやっぱり、それぞれの人生に、当人が思ってる以上に決定的な影響を、どうしたって及ぼすような関係。

そういうかけがえのない関係でもある、という、「友達」というもののなんとも知れない捉えがたさ、それでいて忘れがたさ、捨てがたさ、みたいなものをですね、最終的にはその、人生の、時間の有限性というのを否応なく意識せざるを得ない、「死」の香りとともに、ヒリヒリと浮かび上がらせてみせる、という。これまでの全作で、共通してそういう映画を作ってきた人、という風に、この内山拓也さん、映画作家として、私は受け取りました。とにかく、「友達って奇妙だよね。友達ってなんだ?」っていう。ちょっと薄気味悪くもあるというかね。で、ちょっとなんか条件が変わると、やっぱり消えちゃう、友達関係ってちょっと薄れちゃったりするもんだったりするのに……みたいな感じですよね。

で、特に今回のその『佐々木、イン、マイマイン』は、先ほどのメールにもありましたけどね。『ヴァニタス』にも出ていらっしゃいました……これ、全然今回の「佐々木」とは違う、どっちかというと線が細いキャラクターを演じられていて、さすが役者さんってすごいな!と思っちゃいましたけど、細川岳さんという方がですね、その実際にいた高校時代の友人を元に、もう本当にこれを最後に俳優を辞める覚悟で……っていうことで、内山さんに持ち込んだ企画ということで。

■「これは俺の話であり、お前の話でもある」
それでこれね、パンフレットに載っている内山拓也さんの言葉。内山さんはこんなことを言っている。細川さんからその企画を持ちかけられた時に、「『自分の人生においてもそんなやつがいたな』と思えた。僕の記憶を、岳が岳の言葉に置き換えて話してくれているような感覚がした」「この話を自分事として捉えていた」、という。で、まさにその通り、この言葉の通りの感覚を、僕もこの映画から感じたんですよね。

そういう要は、「これは俺の話であり、お前の話でもある」「そしてその話を、俺たちは今、しなきゃいけないんだ!」というような、圧倒的な切実度というか、「これを作らなきゃ俺たちは前に進めなかったんだ!」というようなその本気さっていうか、それらがなにかただごとではない熱となってフィルムに焼き付けられたような、一種異様な迫力を持った映画になってるなと思いました。この『佐々木、イン、マイマイン』は。だから僕は、咀嚼するのにちょっと時間がかかったぐらいです。

まあとにかくね、藤原季節さんが見事にどんよりと演じるこの主人公の悠二はですね、人生のあらゆる局面で、中途半端な、不完全燃焼状態に陥ってるわけですね。同棲している彼女……これを演じている萩原みのりさん、『37セカンズ』でも非常に印象的でしたし、来年公開の今泉力哉監督の『街の上で』でも本当にピリリと印象的な、見事な演技を見せていらっしゃる、萩原みのりさんが演じるその彼女からは、すでに別れを告げられている。同棲していたんだけども。

なんだけど、まだ同居をズルズルとしている上に、彼自身はまだ、はっきり彼女に対して踏ん切りがつけられていない様子、みたいな。それで、その役者業というのを細々とやっていたようだけども、それも完全に諦めるでもなく、しかしなにか積極的にやるでもなく、という状態。「年下の才人」感が半端なくハマっている村上虹郎さん演じる、その後輩の俳優……若干僕は、鎮座DOPENESSみを感じながら見ていましたけども(笑)。

村上虹郎さん演じる俳優に、テネシー・ウィリアムズの『ロング・グッドバイ』……チャンドラーじゃなくて、テネシー・ウィリアムズの戯曲『ロング・グッドバイ』を一緒に演じないか、なんて誘われたりもしているんだけども、基本的には、全くモチベーションのない工場でのバイトをずっとしている、みたいなね。これ、藤原さんも出ていらっしゃいました『ケンとカズ』のカトウシンスケさんがね、非常にこのバイト先の同僚として、いい味を出してましたね。

そして、その宙ぶらりんな状態というのを、これは遊屋慎太郎さんという方がまたものすごい説得力、実在感を持って演じていらっしゃる、いわゆるニヒルなリアリストタイプ、周りよりちょっとだけ大人な旧友に見透かされ、説教もされたりする、というような。これが冒頭のあたりなんですけども。で、そのイライラをぶつけるように……26歳から27歳にかけての時期の話ですが、喧嘩したその主人公の悠二がですね、自分が今やってること、役者業であったり、あるいはちょっとボクシングを始めてみたなんて言っていましたけども、それらの根っこに実はあった、その高校時代の友人、佐々木との日々を久々に思い返していく、という。これで本編、本題に入ってくわけですけど。

■“佐々木”とはつまるところ、「可能性“だけ”しかない状態」としての“青春”の化身
で、ここからその悠二の宙ぶらりんで不完全燃焼な現在、というのと、さっき言ったように戯曲『ロング・グッドバイ』の稽古風景、さらにはその佐々木たちと過ごした高校時代という、この3つが交互に、しかしはっきりと、ちょっと連想的に紐付けしていく形で連なっていく。なおかつ、たとえば現在の部分は基本、固定カメラ、フィックスで撮られているのに対して、過去は手持ちカメラ、という風に、タッチの違いなどで非常に対照性を持たせつつ、相互に入り組み……なおかつ、なんていうか最終的にはある種、現在と過去とか記憶が混然一体となったように語られていく、というか。そういう感じかと僕は思いました。

これね、見ていると、最初は過去のエピソードが、単純に主人公・悠二の回想かな、って思っていると、そのいないはずの佐々木単独視点などもちょいちょい挟まれてくるので、「これ、どういうこと? これ、誰視点なの?」ってなったりもするんだけれども。要はそれもですね、結局はその主人公・悠二の「記憶の中にある佐々木」であるとか、「佐々木はあの時、こうだったのであろう」というような、そういう思いが入り交じった、まさに心の中の佐々木、これぞ「佐々木、イン、マイマイン」、っていうことなのだと思うんですよね。

で、もっと言えば、実はこの映画全体の視点というのがですね、さっき言った悠二の「現在」よりも、実はもっと先の未来から振り返られたものであるように……特に終盤、実は時制がかなり複雑に交錯している作りなんだなってことが分かってくるんですけど。だから映画全体が……現在だと思っていたものが、さらに実は未来から振り返られたものって考えると、全体がこの悠二の脳内っていうか、悠二の記憶の中のものである、という感じ。そんな構造というのが、だんだん終盤に向かうにしたがって、「ああ、そういうことかな?」って見えてきたりもするという。

じゃあその、心の中の佐々木、「佐々木、イン、マイマイン」とは何なのか、ということですけど。まあ、はやし立てられるといつでもどこでも全裸で踊りだしてしまう。で、非常に負けず嫌い。なんだけど、非常に気ぃ遣いでもある。同時に、実は見た目によらず、映画や文学、絵画に傾倒している、熱い文化系部男子でもあって。それで時折見せる、その家庭環境ゆえの、不安げな、影のある表情、みたいなものも非常に印象的だったりするという。でもやっぱり、その後も表面的に付き合っていた人には……要は表面的に見ると「あいつ、変わんないよ。相変わらずだったよ」っていうような男、佐々木という。

要するに、距離がある人から見ると、単なるクラスのお調子者でしかないやつ、って感じですけど。で、なおかつお調子者なんだけど、あいつ、たぶん友達はあの3人だけですね。なんか他の人と話している形跡がない、っていう感じもあるんだけど。じゃあその佐々木という存在(とは何なのか)……つまるところ、青春期男子の権化というか、もっと言うと、「可能性“だけ”しかない状態」としての青春そのもの、その化身であるような存在、という風に言っていいかなと思います。

■「サヨナラだけが人生だ」。この言葉の意味が、『佐々木、イン、マイマイン』で初めてちゃんと分かった気がする
これですね、先ほどからメールでも例に出される方が多かったですけど、2013年3月23日に私、映画評しました、沖田修一監督の大傑作『横道世之介』の評で、僕はこんなことを言いました。「可能性が開かれている状態」というのを青春と呼ぶのだとしたら、その開かれていた可能性をひとつひとつ……つまり、他の可能性は捨てて、自らひとつひとつ道を選び取ってきた、このただひとつの人生、という未来の視点から振り返って、そのかつてあった可能性たちと、そして選ばれたこのただひとつの、一直線の、一本線の人生を、同時にかけがえなく愛しく思う、この感覚こそが「懐かしい」という気持ちの本質なんじゃないか、それを『横道世之介』はすごく浮かび上がらせているんじゃないか、みたいな評をしたんですけども。

その意味で言うと、今回の佐々木はですね……佐々木は、「開かれた可能性」そのものですね。可能性を選択する手前に永遠にとどまり続ける存在というか、永遠の青春なわけですよ、そういう意味では、佐々木っていうのはね。

一方、主人公の悠二っていうのは、その他の可能性とサヨナラして前に進む、っていうのが、どうしてもできないでいる。たとえば、その彼女としっかりお別れして、つまり人生を選択して前に進む、ということができないでいる状態の人物、と言えるわけですよね。

で、まさにこれ、劇中劇、さっき言ったテネシー・ウィリアムズの『ロング・グッドバイ』のセリフが言っている通り、「人生とは小さなさよならの積み重ねだ」と。つまり、その他の可能性を閉じていかないと、ある可能性を選べない。さよならをしていかないと前に進めない、っていう。あるいは、その内山拓也さんが影響を受けたという映画監督・川島雄三の、非常に有名な言葉、「サヨナラだけが人生だ」。この言葉そのもの。僕はこの言葉の意味が、今回の『佐々木、イン、マイマイン』で初めてちゃんと分かった気がする。

要するに、「サヨナラだけが人生だ」っていうのは、サヨナラを重ねていくことでしか人生っていうのは前に進まない、成長できない、っていうことでもあるわけですよね。で、悲しいのはですね、おそらく佐々木本人自身は、さっき言ったように家庭環境もあって、可能性の手前にとどまらざるをえなかった部分もあるし、どこかで自分自身がそういう環境に対して、諦めてしまったところがある男なわけです。本人は。

だからこそ、さっきのね(番組オープニングで話した)、「カップ焼きそば、クソうめえよ」みたいなしょうもない会話の後に、主人公である悠二に、「お前は好きなことをやれ、好きなように生きろ、お前は大丈夫だから」って言いながら、ポロッと流す涙……つまり逆に言えば、「俺は好きなように生きられないし、俺は大丈夫じゃない」って言ってるわけだよね。なんだけど、そんな彼がですね、たとえば、高校の時の友達と別れて、たぶん元々友達がいない人ですから、孤独なあの部屋の中で、お父さんもいないあの部屋の中で、誰に見せるとも知れない絵を実は書き続けていて……あるいは、物思いにふけっていた時間であるとか。

彼が、最後の方で出てきますが、実はほんの1歩、前に進んでいた、その一瞬……もう人生における最も美しいその一瞬。ここですね、苗村さんという女性を演じる、河合優実さんですか、この受けの演技が本当に自然で優しくて素晴らしい、というのもあるんですけど。こういう、その彼にとっての大事な……孤独ではあったかもしれないけど、悲しいところもあったかもしれないけど、そこにあった美しい、もしくは尊い瞬間というのを……でも、それはすでに失われてしまった何かとして、時間として、ふっと差し出して見せたりするわけなんですね。

それが本当にこの作品の優しく、でも切なくもある、というところでもあって。で、それに対してですね、たとえば主人公の悠二や、あるいはこの映画を見ている我々というのは、少なくとも佐々木と違って、前に進むことができる者の責任として、つまり、ちゃんと生きなきゃいけない責任としてですね、まさにその主人公・悠二は、新たに人生をスタートする存在、赤ちゃんを前に……これ、「赤ちゃん」というのはまた、無限の可能性そのものの象徴でもありつつ、同時に、赤ちゃんは泣いているわけですよ。赤ちゃんだから、なんで泣いているのかわかんないんだけど。

でも僕は……これは僕の解釈ね。彼(悠二)はそこに……あの日泣いていた佐々木に、「あの日、お前がなんで泣いていたのか、俺は分かってあげられなかった。なんで泣いてたのか、もっと向き合ってあげればよかった」っていう気持ちもあるんじゃないかな、そんな気持ちが作動したんじゃないかな、とも僕は解釈してるんです。っていうのは、映画の中では「赤ちゃんを抱いて感極まった」というだけの描写なので。セリフで説明がされてないので。ここはそれぞれが解釈をするところなんだけど、僕はそう解釈をした。

で、なぜか涙が止まらなくなって、ついに選択する決心をする。つまり、「俺は前に進まなきゃいけない」っていう決心をする主人公。からの、その元彼女との、とてもヒリヒリとした、でも非常に誠実に、一対一の人間として、「お互い、いい人生を歩もう」っていうような、この別れのシーン。これ、なかなかね、こういうきちんと……本当にリアルな、カップルの「いい別れ」っていうのは、なかなか僕ね、作品上で描かれることってないと思ってて。すごく素敵な別れのシーンだったと思います。

そして、その『ロング・グッドバイ』のセリフを絶叫しながら、走っていく。青春時代(のシーン)とは逆方向に爆走していく、というあのクライマックス。そのクライマックスに至るような、ここで今僕が言ってるような全てがですね、その「サヨナラの連続」としての人生、成長というものを、すさまじいまでの真摯さと、必死さで、描き出そうとしている。

■内山監督は俳優陣のポテンシャルの引き出し力も超一級!
で、ここまで言及してきた以外でも、とにかく……たとえば4人組のうちで一番目立たないようにも見える、木村という役柄。これを演じている森優作さんのですね、本当にクラスメートにいそうな感じのたたずまいと、でもやっぱり彼は彼なりに人生を、むしろ一番しっかり前進して生きている、という、彼なりのかっこよさの部分であるとか。

あるいはあの、パチプロ仲間って言っていいのかな、三河悠冴さん演じるですね、そのパチプロ仲間の、なんか距離感の変な友達感……自転車をいきなりガチャーン!って寄せるところの(笑)、(おかしな)距離のあたり。あとは、「ああ、じゃあ1個上だね」って、1個上だとわかった途端にタメ口になるお前の距離感、なんなんだ?みたいな(笑)。でも悪い人じゃない、みたいな、あの見事な距離感であるとか。

とにかく演者全員が、見事にハマっていて。これがきっかけで全員ブレイクしていいっていうぐらい、本当にハマっていると思います。特にやはり藤原季節さん。決定的代表作となるだろうと思いますし。細川岳さん、ヤンチャさと繊細さを併せ持つこのキュートさっていうのは、僕は個人的には、『息もできない』のヤン・イクチュンを彷彿とさせました。

そしてやっぱりね、内山拓也監督。食事やタバコを使ったキャラクター描写……あるいはバッティングセンターっていうような、いろんな要素を使った、物語の構成力の妙ですね。そのバッティングセンターひとつとっても、序盤の彼女との会話からすでに、ネタ振りが始まっていて……つまり、佐々木の残響が、彼女にも実は及んでいる。そこから始まって、終盤の小さな、しかしたしかなカタルシスにまで繋げていく、というこの構成の仕方、上手いですし。

なによりこの内山監督は、俳優陣のポテンシャルの引き出し力が、超一級だと思います。全員の、本当に愛しさを感じさせる、みんな本当にそれぞれちゃんと人生を生きているんだ、っていうこの実在感、すさまじいものがありますし。全体で言えば、撮影も美しい。美術・衣装も本当に考え抜かれているし。あとはちょっとNUMBER GIRL風というのかな、あの荒々しい音楽とかも含めて、全てが本当にビシッと、ピースもきれいにハマっているし。単に荒々しいだけじゃない、計算され尽くしたまとまりもありまして。その上で、やっぱり(観客)それぞれに、それぞれの人生のことを振り返らせる。

僕も……だって要するに、あの4人組がこれ、共学なんだけど、異常に男子校感が強い連中なだけに、やっぱり特にすごく自分ごととして受け取った。やっぱり自分にとっての“佐々木”と言える存在……高校の頃の友人たちの顔に、彼らとのその日々に、僕は記憶の中に探したし。自分もまた誰かにとっての“佐々木”なのかも、っていう風にも思ったし。だからその、かつての自分とか、かつての友人たちに、「佐々木、俺はちゃんと前に進んでるぞ!」って言いたい……「でも、やっぱりお前の裸踊りがまた見れるとも思っていたいんだよ!」っていう。そういう気持ち。

だからちょっとね、すごく自分ごととして、客観視できない領域に入っちゃうぐらい、僕はうっかり、特別な1本になってしまいました。まあ、僕の名前が「佐々木」っていういことを置いておいてもよ。ややこしいね。今日、佐々木がいっぱい出てきてね。『佐々木、イン、マイマイン』、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

宇多丸、『佐々木、イン、マイマイン』を語る!【映画評書き起こし】

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『STAND BY ME ドラえもん 2』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆12月4日放送分より 番組名:「アフター6ジャンクション」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20201204180000