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12月2日(金)放送後記

「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、11月18日から劇場公開されているこの作品、『ある男』。

芥川賞作家・平野啓一郎さんの同名小説を、『蜜蜂と遠雷』『Arc アーク』などの石川慶さんが監督・編集を務め、映画化。不慮の事故で命を落とした夫は、全くの別人だった。それを知った妻は、知り合いの弁護士に、夫の正体を探るように依頼する……ここまではね、ポスターとか予告でも出てるんで、まあいいでしょう。

主な出演は、謎の男の正体を探る弁護士・城戸役の妻夫木聡さん。調査を依頼する谷口里枝役の安藤サクラさん。そして正体不明の「ある男」──「X」と言われていたりしますが、それを窪田正孝さんが演じております。

ということで、この『ある男』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量そのものは「普通」なんですが、褒める意見が、9割以上。全面的に否定するような意見はなく、このコーナーでは1月7日に評論した濱口竜介監督の『偶然と想像』に並ぶ高評価。

本当に、あんまりけなしている人がいない、という。

主な褒める意見は、「今年の邦画ベスト! 重いテーマの映画だが、今見られてよかった」とか、「キャスティングと俳優たちの演技が素晴らしい」とか、「原作の映画的なアレンジが見事」などがございました。一方、否定的な意見は……これ、全面的な否定というよりは、部分的な、ということで。「原作を読んでない人には難しかったのでは?」とか、「ノイズに感じられるような余計な要素もあったんじゃないかな?」みたいなぐらいはありました。

「若干の危惧を持ってスクリーンに臨んだが、結果は大成功。『別の世界』を創り上げている」

代表的なところをご紹介していきます。ラジオネーム「レインシンガー」さん。

「少し緊張しながら観ました。なにしろ原作が素晴らしい傑作。『文学ならでは』の作品の映像化は難しい部分もあるのでは、と若干の危惧を持ってスクリーンに臨みました。結果は大成功。大げさに言えば、『別の世界』を創り上げたな、との印象です。

序盤の里枝と大祐が出会い、幸せな家庭を築き、そして義理の息子と心を通わせながら、思いがけぬ死に見舞われるまでのくだり。小説はあくまでも、文章での説明と里枝の語りによって描かれるのですが、それをテキパキと映像表現で見せてくれることで、終盤に語られる『彼は本当に幸せだった』という一つの結論に、言葉だけではない重みと説得力を与えています。

このへんはネタバレにはならないと思うのですが、そもそもこの映画は別の人物になりすましていた『ある男』を巡る話です。ですから当然、テーマは『こうじゃない別の人生』を望む人の心情を探っていく物語になります。そして、裏を返すとこの物語は、人を外から見ると『いったいこの人って誰なんだろう』という謎をみんなが感じる、という物語でもあるわけです。私の印象としては、原作は最終的にこの『この人が誰かがわからない』を掘り下げ、いい意味での諦念にたどりついた作品である気がします。一方、映画の方は、最終的に『こうじゃない人生』を望む人の心情に寄り添っていき、そのことによって救われる人の話に仕上がったように感じました。もちろんある意味どちらも正しいし、表と裏の存在に過ぎないのですが。小説が妻夫木聡演じる城戸の話として始まり、里枝の物語として終わるのに対して、映画は里枝の物語として始まり、城戸の物語として終わるという、いわば反転した作りになっていることがよくそれを表しているように思います。

原作はある意味、群像劇的なのに対して、映画はラストで、城戸の物語に収斂される。それがまた幕切れ間際の映画的な切れ味にもなっている。見事だと思います。

映画もですが、小説の方もぜひ多くの人に読んでもらいたい、そして両方とも多くの人に語ってほしい作品だと感じました」というレインシンガーさん。ありがとうございます。素晴らしい読み解きじゃないでしょうかね。

あとですね、これもちょっと要約してご紹介させていきますが。「しまくま」さん。「普段はサイレントリスナーですが、この度初めて投稿させていただきました。『ある男』が『私の映画』となってしまったからです」と書いていただいて。要はこの方、「私は華僑という中国系4世です。いわゆる在日韓国人・朝鮮人の方とは異なり……」ということで。「同一線上に並べて語ることじゃないのかもしれませんが」という前置きのもとに、そういう直接的な差別を受けてきたわけではないんだけど、なんというか、一旦レッテルを貼られて……というような経験から、「『出自』を隠そうとすればするほど、自分の中で『出自』がアイデンティティとしてより強固なものになっていきます」というような経験。劇中のあるところが本当に自分的に直接的に刺さってきた、というようなところで。「……言い表すことのできない感情をどうしたらよいのか、映画鑑賞後もわかりません。

しかし、『ある男』という作品を見ることができたことに何か希望があるような気がします」というしまくまさん。ありがとうございます。

一方、ちょっと多少否定的な意見込みのやつ。「エフエフ・アイ」さん。「映画『ある男』、素晴らしい映像化だと思いました。俳優の皆さんが本当にみんな見事で、観ていて幸せでした。ただ、『映像化作品』じゃなく、『映画』としてとらえたときに、良い映画だったのかというと、やや疑問に感じています。私は原作小説を読んでいたので話がよくわかりましたが、初見の人には、この情報量をこのテンポで処理されるのは厳しいのでは……と感じました」というような。まあ、いろいろな懸念を挙げていきつつ、「全体としては良かったです」というような感想でございます。ということで、はい。皆さん、ありがとうございます。

『ある男』、私もですね、実は公開前に、事前に一足先にちょっと拝見させていただいていたのと、あとは新宿ピカデリーで観てまりました。

計3回ぐらいは見てますけどね。平日昼回、最近僕が行った中ではもうはっきり、年齢層がかなり高めな皆さんで、小さめなスクリーンではありましたが、かなり埋まっていた状態でした。

『砂の器』『39 刑法第三十九条』といった社会派エンターテイメントの系譜に石川慶監督が挑んだ一作

ということで、石川慶監督、最新作です。前作『Arc アーク』のタイミングで、この番組にもゲストでご出演いただき、短い時間でしたがお話を伺ったりしました。そのケン・リュウ原作の『Arc アーク』は、結局ガチャが当たらずじまいでしたけども。とにかく、長編デビュー作の『愚行録』、2017年の作品。そしてこのコーナーでは2019年10月11日に取り上げた、『蜜蜂と遠雷』とか。とにかくですね、ポーランドの名門・ウッチ映画大学仕込みの、言ってみればちょっと日本映画離れしたシャープなセンスを……これ、同窓である撮影監督のピオトル・ニエミイスキさんと共にですね、メジャー各社を股にかけて、堂々たる威風で発揮している、という。当コーナー的には、間違いなく目下、最も注目・評価している日本人監督の一人であることは間違いないですね。石川慶さんね。

その特異なキャリア、日本映画における独自のスタンスについてはですね、このタイミングでいろんな記事が出てるんですけども、『MOVIE WALKER PRESS』での宇野維正さんによるインタビューがですね、かなり突っ込んだ、芯を食った話をたくさんしていて。これ、めちゃくちゃ参考になりましたし、すごい面白かったです。宇野さん、さすがです。

はい。これ、すごく良かったんで、『MOVIE WALKER PRESS』の記事、おすすめでございます。あと、普通に劇場パンフもですね、たとえば石川慶の全作品の照明を担当してらっしゃる宗賢次郎さんのインタビューなど、スタッフワークへのしっかりとした目配りがちゃんとあることを含めてですね、とにかく関係者談話が非常に豊富で。小さい字でびっしり載っている充実の内容なんで、こちらもぜひ、といった感じでございます。

それで、いま言った宇野維正さんインタビューの中で、この今回の『ある男』に関してですね、野村芳太郎監督による、松本清張原作の『砂の器』あたりの作品をイメージした……つまり、オールスターキャストで、ストーリーとしては骨太なんだけど、ちゃんとヒットするエンターテイメント作品でもある、というような。そういう当時の日本映画の大作のようなものが今、あまりないので、この『ある男』で、そういう作品のあり方を再発見してもらえたらな、的なことを石川さんはおっしゃっていて。

続いてですね、その宇野さんの「監督として目指すイメージ」みたいな質問に対しても、「野村芳太郎監督もそうですし。あとは森田芳光監督とか、大きい作品を撮りつつも、作家性はずっと維持してるし、ちゃんと自分が面白いと思っていたものを撮り続けてきた方を意識しますけど」という風にお答えになっている。で、それに対してまた宇野さんが、非常に芯を食ったお答えをまた返すんですけども。

この一連のやり取りが、僕的にはまさしく我が意を得たり!というところでして。今回の『ある男』を観て、僕がまず最初に連想したのは、やはり同じく松竹、往年の野村芳太郎作品、松本清張原作だったりするものを彷彿とさせて……まあ、いわゆる社会派エンターテイメント、しかも「入れ替わり」を巡るミステリーでもある、1999年の森田芳光屈指の傑作、『39 刑法第三十九条』。これをまず、思い浮かべたわけですね。

というのもですね、昨年、先ほど番組のオープニングゾーンでも話しましたけども、森田夫人でもあり、プロデューサーでもある三沢和子さんとの編・著という形で出しました『森田芳光全映画』。その中で、まさに『39』についての文章を、石川慶さんにお寄せいただいてるんですね。で、要約するならば、東北大学で物理学を学びつつ、映画部に所属していて。なんだけど、作品を撮ってはいなかった、という1999年当時の石川さんが、公開当時の映画館で森田芳光の『39』を観て、日本映画というものに対する固定観念を完全に破壊され、そしてその衝撃の勢いで、映画作りに初めて着手することになる、という……もう帰ってすぐ脚本を書き始めた、みたいな。要は、『39』なくして映画監督・石川慶なし!という、非常に編者としては、これ以上ないほど嬉しくなるような内容で。

で、とにかく今回の『ある男』は、20世紀末に森田芳光が『39』でトライしたその系譜……要するに社会派エンターテイメント、松竹発で、野村芳太郎とかが撮っていたような社会派エンターテイメントの系譜に、今回石川慶さんが、いま再び挑んだ一作、という見立てができるという風に思うんですね。ちなみに、映画会社を横断して、継続的に、大小問わず作品を作り続けているこのスタンスも、森田芳光さん的だな、という風に思ったりします。全然もちろんね、作家としての資質は違いますが。

原作小説を手際よく脚色しつつ、排外主義や差別主義への危機感はきっちり盛り込んでいる

原作は、平野啓一郎さんが2018年に出した小説で、平野さんが唱えられている「分人主義」という考え方に基づく作品だと……キャリア的にはその「後期分人主義」に属する一作、ということみたいなんですが、『マチネの終わりに』に続いて。加えてですね、本作は、近年のその、目に余る排外主義、差別主義の蔓延への危機感、というのも大きなベースとなっている。つまり「お前は○○」「あいつは○○」っていう風に外側から決めつけて固定してしまうという、まあ言っちゃえば分人主義のまさに逆の、その風潮に対する危機感、っていうのもあったりすると。

で、この原作小説をですね、脚本家の向井康介さん、最近だと『マイ・ブロークン・マリコ』の脚色なんかもやってましたけど、向井康介さんが、まずはものすごく手際よく、劇場用長編映画用に脚色している……ということが、観て読んで比べると、とてもよくわかりましたね。

たとえば、谷口大祐・恭一……この二人、要するに老舗の温泉旅館の兄弟が犬猿の仲になっていく、細かい内実とか、こういうのはもう全部カットされている、とか。あとは、映画では清野菜名さんがとてもキュートに演じられてる、美涼というキャラクターなんですけど……あの、「泣いちゃった」って、上を向いて涙をパタパタ仰ぐ仕草とか、ああいうサバサバした、ちょいヤンキー寄り女性がこれ、(実際に)やる仕草だな!みたいな。服装などを含めて、見事にリアルに演じられていましたけども。とにかくその美涼というキャラクターを巡る、恋愛感情的なエピソード、ニュアンスも、あらかたないですし。

特に終盤、ついに姿を現す「ある人物」の描き方ですね。これが、かなりポジティブなものになっている。まあ少なくとも、そう見える、というね。語られているわけじゃないですけども。小説だと「こいつもやっぱりちょっとな……」っていう人なのが(映画ではかなりポジティブな印象に変えられている)……などなど、小説が延々といわば思考を重ねていくところを、映画用の脚色としてバッサリ切った上で、当然それらは、俳優の演技、佇まいそのもの、あるいは演出によって、あくまで映画的に「醸される」作りになっているわけですね。非常に妥当な脚色といえる。

一方で、さっき言ったようにその原作の基底にある、特に近年の日本社会に蔓延している排外主義、差別主義に対する危機感。これをオミットせずに、きっちり盛り込んでいる。前述のその宇野さんのインタビューによれば、そこは松竹が「ここはきっちりやりましょう」という風に、本当に腹をくくって寄り添ってくれた、ということだそうです。偉いなと思います。松竹。

カメラマンは石川監督の盟友ピオトル・ニエミイスキさんから名手・近藤龍人さんへ

あと、今回の特徴は何しろですね、先ほど言った盟友たるカメラマン、ピオトル・ニエミイスキさんが、コロナ禍で来日しづらかった、というような事情みたいですけど、日本のこれまた名手・近藤龍人さんがですね、撮影監督を手がけてらっしゃること。これも非常に大きい。特に、安藤サクラ演じる里枝を中心とした、家族描写ですね。あの、坂元愛登さん演じる悠人というあの男の子。終盤の、長回しでの母との対話なんかも含めて、近年見た映画の中の中学生でまた……最近、いい中学生がよく描かれるな、と思うんですけども。映画の中の中学生、思春期男子、いいな、と思いました。この坂元愛登さん演じる悠人、よかったですけど。そういう家族周りの描写の、温かで柔らかいタッチ。これはやっぱりこれまでの石川慶作品にはなかったもの、と言えるでしょうし。一方で、詳しくは後ほど言いますが、石川慶さん十八番の、クールでシュールな映像的飛躍、こういうのもしっかりあったりする。

あとですね、今回スクリーンのアスペクト比、上下左右の比率ですね、いわゆるヨーロピアンビスタ、1.66対1という……最近だと、5月13日に扱いました『カモン カモン』がまさにヨーロピアンビスタサイズですけど。なんか石川さん、本当はスタンダードサイズにしようかと思っていたらしいぐらいなんですけど……とにかくアメリカンビスタよりもさらに、横がちょっと狭いんですね。あえての「狭い」画作り、というのをしている。本作の場合、より人物たちが「近い」印象を、このヨーロピアンビスタサイズの画面というのが与えている、ということではないかと思います。

いずれ劣らぬ巧者揃いの役者陣。安藤サクラの「色気」の捨てなさ、窪田正孝の「内に秘める」佇まい

でですね、まずこれは、優れた映画ってのは大抵そうに決まってますけども、まあファーストショットからもう、完全につかまれますよね。原作小説にも……原作にはこういう風に書いてある。「ルネ・マグリットの絵で、姿見を見ている男に対して、鏡の中の彼も、背中を向けて同じ鏡の奥を見ているという《複製禁止》なる作品がある。この物語には、それに似たところがある」という。まあ言っちゃえばある種のたとえ話として言及がある、そのマグリットの薄気味悪い絵があるんですけれども。

この映画では、バーの壁にかかっている具体的な絵として、実際に画としてまず、それ(マグリットの『複製禁止』)を見せるわけですね。で、その手前のカウンターに、おそらく妻夫木聡であろうと思われる背格好の男が座るんだけど、ピントが合ってない上に、先ほど言ったヨーロピアンビスタサイズの「狭い」画面ゆえ顔は切れて見えない、というのがまた、そこはかとない不安感、居心地の悪さを誘いつつ、タイトルが出る、という。このオープニングは、エンディングと繋がることでひとつの円環構造を成しており……というか、その円が完全に閉じる、その一瞬手前、で終わってしまう。それがまたさらにですね、鑑賞後もなんか拭い去りがたい不安定感、寄る辺なさを残す、という作りになっている。いずれにせよ、この映画用の再構成、まずは実にうまいし、興味深いですよね。元々はたとえ話で出ているものを、具体的に出す。

うまいと言えば当然のように、いずれ劣らぬ演技巧者揃いの役者陣、というのはね、もちろんで。たとえば、さっき言ったマグリットの絵に続いてタイトルが出る、『ある男』。で、雨が降っていて、やわらかな明かりがついている文房具店の中。冒頭シーンですね。安藤サクラさん、日々の暮らしをきちんとしようとしてるけど、こらえきれず泣く、という表情の見事さと来たら……ここね、テイクを重ねて、安藤サクラさん的には非常に大変だったところみたいなんですけど。これ、おそらく、『万引き家族』クライマックスの、あの歴史的涙ポロリと一線を画す意味で、やっぱり粘る必要があった、というか。ここはやっぱり里枝という人の、なんて言うかな、「生活と涙」というか、それを一発で観客に飲み込ませる……これはやはり粘った甲斐がある画だった、という風に思いますね。

なんか特に今回の里枝さんは、今まで安藤さんが演じたキャラクターの中でも、安藤さん自身もこれ、インタビューで答えてますけど、「色気」を捨ててない人っていうか。なので安藤さん自身、初めてワイヤーのついたブラをした、みたいなことを……そんなのは当然、外からはわかりませんけど(笑)。おそらくはそういう、ちょっと色気を捨ててない人というか、そういうニュアンスが、最初からはっきり、ありますよね。とにかく口をぐっと歪めてこらえるんだけど……っていう、あの表情。粘った甲斐がある画じゃないでしょうか。

あとはやはりですね、タナダユキ監督『ふがいない僕は空を見た』での名演が印象的で起用された、という窪田正孝さんの、「内に秘める」その佇まい、その存在感の強さ。言うまでもなく絶品ですし。また、この二人が改めてその、家族となってゆくくだり。石川慶さん、先週の新海誠さんと同じく、編集も自らずっと手がけているだけあって、その時間的飛躍表現の、鮮やかさですね。パンッと(シーンが変わるとともに時間も)飛んで、「ああ、なるほど……はいはいはいはい、わかりました! もう何年ぐらい経ったか、どういう感じか、わかりました!」みたいな、ああいう鮮やかさ。このあたりも特筆しておきたいあたりですね。

で、まあ残念ながらある悲劇が起きてしまい……ちなみに、ここに至るまでの窪田正孝さんの、林業のあれ(作業シーン)とかも、ちゃんと(訓練などを)やったんでしょうね、あれね。『WOOD JOB!』以来の「林業もの」でしたけどね(笑)。非常にそこらへんも見事でしたが……悲劇が起きてしまい。一年後の法事にやってきた、この谷口恭一なる男、お兄さん。それを演じているこの眞島秀和さん、これは『愚行録』の時と同様ですね、本人的には全く悪意はない、だからこそタチが悪い不快な人物、というのを、まあしっかりと体現されていてですね。

あとね、「温泉で一番大事なものって何だかわかります?」「えっ……『温泉』?」「そうですよね!」、あ~ウザッ!っていう(笑)。で、これはウザい社長イキりであると同時に、「顔は変えちゃダメなんですよ」っていう(それに続く発言)、これは「入れ替わり」という本作の主題とも呼応していて。これはやっぱり脚色、うまいですね。

遅れてやって来た主役・妻夫木聡さん演じる男が「探偵」役となるが、実は彼自身の闇こそが……

で、一幕目、30分かけてようやくセッティングがきっちり終わったところで、満を持して主役が登場!という。『スター・ウォーズ エピソードⅣ』か?っていう大胆な構成(笑)。妻夫木聡さん。どこか次元が違うところにいるような、監督の言葉を借りれば、「ちょっとゴーストみたいな主人公像」とぴったりなこの存在感が相まって、本当にここはワクワクしますね。キターッ!っていう感じがする。

で、実際に彼がいわば「探偵」役となって、あちこちに行っては、謎の突破口を手繰り寄せていく。で、その過程で、この社会、この世界の醜さを、恥じることなく集約したような人々の言動を前に……たとえば先ほど言った眞島秀和さん演じる老舗旅館の社長だとか、なにしろあの、モロ師岡さん演じる義理の父ですね。もう最悪! もう偉そうだし最低!(笑) そしてそれに対しての、池上季実子さん演じる義理のお母さんの、そのフォローもなんだかな、みたいな……もう日本社会の差別意識みたいなものを煮詰めたようなあの一連のくだりがまあ、とにかくね、石川慶作品ではこういう社会の嫌な面を体現する人たち、っていうのが重要なんで、これは非常に見事に演じられている、ってことなんですけど。もう本気で嫌いになりそうなぐらい(笑)、見事に演じられている、という。

で、そういう非常に醜い言動を前に、本当は何か思うところは絶対あるはずなのに、美しい苦笑で黙ってやり過ごしていく、というこの主人公……で、なぜならそれは、彼自身の闇こそが実は最も深いからだ、というような、この構造。やはり『愚行録』とかなり近い構造があるな、という風なことを感じました。

あと、ここの場面……さっきのその、義理のお父さんがひどいことを言う場面なんですけど、その前のところで、過労死の裁判をしていると。で、かわいそうな遺族が、すごく深々と頭を下げて……っていうようなところから、その次の場面はその義父の無神経な暴言の数々なわけですが、その間に、妻夫木さんが歩いているその後ろの背景として、高層マンションの建築工事を、ガンガンガンガンやっている様子が映るわけです。これがやっぱりですね、その、踏みつぶされた弱者の小さな勝利がたとえあったとしても、社会全体はこういう感じで、関係なくグイグイ進んでく……という感じが、この工事現場のなにか暴力的な挟まれ方によって、醸し出されていて。これもさすが!なあたりでした。

さすがと言えば当然、やっぱりあの、刑務所面会室ですね! 極限まで感じが悪い(笑)あの柄本明さんのすさまじさはもちろん言うまでもなくですね。美術……奥があの、二股にわかれていて、うっすらとライトが当たっていて、っていうあの美術。あとはあの、柄本明演じる小見浦の手形がうっすら残る……あれ、台の下にドライアイスを仕込んでいた、ってことみたいですね。先ほどの宇野さんのインタビューで監督、言ってました。あとあの、超現実的な飛躍と言えばやっぱり、(屋内にも関わらず)雨が降る、みたいな。あれはまさに石川慶演出の十八番、まさに真骨頂、と言ったあたりじゃないですかね。

その他にも後半、この面会室での対面感ともちょっと重なるんですけど、消えているテレビ画面に、ぼんやり、ピンボケ状態で見える自分の姿、っていうのがやっぱりこの、さっきのマグリットの絵とも呼応するアイデンティティーの不安定感みたいなものを、ごく自然に、生活(描写)の中で示していて。本当にうまいなと思いました。

一方で、でんでんさんとかカトウシンスケさんが出てくる、あの後半の「ボクシングジム編」と言ってもいいようなエピソード。あのへんはやっぱり、ちゃんとハートウォーミングなタッチ、みたいなものも、モノにしていて。中に短い短編映画が何個も入ってるようなタッチでもある、というか。オムニバスタッチでもある、というような。

『ある男』を観ている我々も、あのマグリットの絵の中に取り込まれていく。そんな解釈も出来る傑作!

で、ちなみにですね、この作品、非常に普通に観ても、いわゆるハートウォーミングっていうか、「いい話」として、「いい映画」として着地するんだけど……いろんな読み方ができるなと思っていて。これ、最後に私の解釈です。他人の人生を生きる、他人と引き換えた人生を生きる……たとえそれがかりそめの時間であっても、そこにこそ他の、本来自分がいる場所にはない、生の充実を得る、という。

これはひとつには、たとえば映画や小説など、「物語」に自らを投じずにはいられない、我々自身の姿でもある、という解釈はあると思いますね。なので、要するに小説を読んだり、映画を観ている……この『ある男』を観ている我々もまた、あのマグリットの絵の中に取り込まれていく、というか。そんな感覚、そういう解釈もできる一作ではないでしょうか。

まあ、それとは別に、本当にあの、普通にフラットに観ても、万人に開かれたいい映画だし。いろんな読み込み甲斐もあれば、先ほど言ったようにその、排外主義・差別主義の蔓延といった社会の嫌な空気、みたいなものも通奏低音として下にあって、という。いろんな、何層にも厚みが豊かにあるという一作。非常にまあ……一言で言えば、文句なしの傑作!じゃないでしょうか。これはやっぱりね。今、日本映画のまさにトップクラスのクオリティの作品、ということは間違いないですし。今年の年間ベストを並べてみた時に、やっぱりね、日本映画、いい作品のレベルの高さは、世界のどこと比べても引けをとらないな、という風に思える。非常に重要な一本じゃないでしょうか。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

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