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8月6日(日)放送後記
西畠清順さん(Part 2)
1980年10月29日兵庫県生まれ。高校卒業後に世界を放浪した後、2001年から世界各地の植物を収集し、国内外の政府機関・企業などのオーダーに応じて植物を届けるプラントハンターとして活動。
出水:子どものころはどんなお子さんだったんですか?
西畠:めっちゃヒーローものに憧れる、探検好きやったですね。秘密基地作るとか、一番ベタな男の子だったと思います。世代的にはウルトラマンとか仮面ライダーとか宇宙刑事シャリバンとかになりたいわけですよ、男の子は! 強くて、カッコよくて、正義の味方! おっさんになってからもピーターパン症候群って言われるんですけど(^^;)かっこよくて大きな存在が巨木に変っただけ(笑)
JK:似たようなもんじゃない(^^)悠々としてますよ。なんか憧れるっていいですね、そこから成長していくわけだから。夢って成長するから。毎日成長じゃないですか。
西畠:そうなんですよ! ふつう夢のことを語ったら、叶うか叶わないかっていう下の話しかしないのに、ジュンコさんは夢が成長していくって・・・そんなこと言う人いないですね~! 自分がちょっと大人になって、いろんな知恵がついたり力がついたりアンテナが広がると、夢もふつう成長していくもんなんですけど。
JK:夢とひらめき。ひらめきも成長していくでしょ。形がないだけに、想像するのは勝手なのよ。ふだん想ってないと、いざ何かしろって言われてもできないわよね。
出水:西畠さんのご実家は幕末から150年以上続く植物農園ですけど、幕末当時はどんなことをやっていたかご存じですか?
西畠:いろんな人に訊きましたよ、実家のことなんでね。ひいじいちゃんが2代目なんですけど、100年ぐらい前にまだ珍しかった温室を建てて。100年前って言うと、温室建ててるのは小石川植物園か新宿御苑ぐらいだったらしいです。なのに僕のひいじいちゃんは、明治になって久しいのにブーツ履いて着物着て植木やってたらしいです。ほんでビリヤードって言葉があったかわからんけど、玉突きして遊んで、確認できるだけで2人の奥さんと11~12人ぐらいの子どもを産んでるんですよね。俺、話聞くだけでファンになっちゃって。
JK:カッコいいですね! すごくモテたのね。わかるわぁ。
西畠:今でこそいろんな時期にいろんな植物がみられるじゃないですか。例えばサラダならいろんな野菜がミックスされている。でも一目見てこれは地のもの、これは促成栽培のもの、これは輸入されたものなんてわからない。でも当時100年前はその時期のものしかないわけですよね。
JK:すごい! 革命的ですね。
出水:当時の人たちにしてみれば、4月に咲く桜が2月に見られるなんて、奇跡ですよね!!
西畠:植物の生理的な意味でいうと簡単なことで、しっかり冬を経験させて加温していくと、蓄積していったらある日咲く。簡単なことなんですが、当時はそれがすごく斬新だったんじゃないかなと思います。
JK:桜の花も必ず裏切らないで咲きますよね。コロナでどうのこうのやってても、平然と「なんともないわよ」って咲きますよね。あれって和むっていうか、素敵ですよね!
西畠:僕も「そら植物園は人の心に植物を植える活動です」って言ってるんですけど、ジュンコさんの桜の見方は完全に擬人化してますよね。はなからそういう感性を持ってる方は最初から植物に物心がある人で、日本人はそういう民族やったんですよ。だから和歌でも美しい歌がいっぱい詠まれてきた。そういうのが現代は少なくなってきてるんちゃうかな。
出水:高校を卒業した後には放浪の旅に出ていますが、これはどんなきっかけで?
西畠:ざっくばらんにいうと、実家にお金がなかったんで大学行けなくて、代わりに海外に行かせてもらったんですけど。語学学校に1年通って、その後旅してたって感じです。
出水:その頃には植物の仕事をしたいって思っていたんですか?
西畠:それがあんまりなくて。どっちかっていうと野球一生懸命やってたし、格闘技も子どものころからやってたし。あとは男の子なので、野球・格闘技・女の子(笑) 自分をエキサイトしてくれるものがあったから、植物は二の次、三の次だったんですよね。そんな時代でした。
出水:ターニングポイントは?
西畠:それで転々として、オーストラリア行ったりニュージーランド行ったりポリネシア行ったりしてたんですけど、ボルネオに一番ハマっちゃって。キナバル山っていう富士山よりデカいアジア最高峰の山があるんですけど、1日7時間近く歩いて行ったら、雲を抜けて空気が薄くなったところに「森林限界」っていって、植物が育たなくなるところがあるんですよ。そこで世界一デカい食虫植物を見たんです。これがめっちゃデカくって! 「ネペンテスラジャ」っていう、和名でいうと「オオウツボカズラ」なんですけど、俺の中ではあまりにも衝撃的で。こういうのを探して届ける仕事はカッコいいな~と思ったのが目覚めた瞬間かもしれないですね。


JK:西畠さん、まぁ聞いててすごいんだけど、1番のマサカは何ですか?
西畠:むっちゃ難しいですね! なんやろ・・・家を守るために生きてきた30年があって、この10年は内に向いてたのが完全に外に向いて、今は完全に独り立ちしてやってるっていうのがマサカかもしれないですね。
JK:長男ですか? 一人っ子?
西畠:妹が2人いるんですけど。いろいろ辛いこともあったんですけど・・・最初は生きなきゃ、稼がなきゃ、だったんですけど、今は欲が出てきたのかもしれないですが、あわよくば社会の役に立ちたいって気持ちが強くなりました。
JK:家を出ないと発見できないわね。今は家族も応援してくれるでしょ。
西畠:応援してくれる人は多いですね、身内にもスタッフにも。昔は生け花の仕事ばっかりやってたんです。でも「生きる花」って書きながら、僕は殺す役なんですよ。花を切りまくって届ける仕事を10年やって、ある時「生かすことを本気でやりたい」って思ったんですよね。スペインにあったらただの果樹園の1本の木ですよ。むしろ古くなりすぎて実もつけへんなぁっていう。でも日本に来たらスターなんですよ!
JK:人を育てるみたいな感じね。
出水:ご自身が関わった木に定期的に会いに行ったりもするんですか?
西畠:あります。もちろんプライベートのお庭は行きにくかったりしますけど、施設とかはたま~に気になって抜き打ちで行ったりします。メンテナンスも親方は行かなくてもいいのに、わざわざ自分で行っちゃったり(笑)
出水:西畠さんのそら植物園では中学生に職業体験を実施しているそうですが、これはどんな思いで?
西畠:15年ぐらい前から地元の中学生が授業の代わりにうちに働きに来たり、それ以外にも地元の知的障がい者の方を雇用させていただいてます。良いと思ってやってるっていうか、当たり前と思ってやってるんですけど・・・土の匂いとか木の硬さとか、人間にとって大事なものってあるじゃないですか。そういうのダイナミックにリアルに感じてもらえるから、できるだけ受け入れていきたいなと思ってやってます。
JK:子どものころに出会ったものって忘れない。結果的に建築物を建てるだけじゃなくて、環境を建てるっていうのかな、そういうのを教えてあげてくださいよ。
西畠:そうなんですよね。大事なところはいっつも建築家が決めていくけど、でもどんな環境を設定してあげるか、そこでどんな体験をするのか。
JK:日本はそこに疑問を感じなくなっちゃってるっていうのが問題ですよね。
出水:今後やってみたいことは?
西畠:それこそ今ジュンコさんが言ったように、この国の環境や植物の大事なことを決める人になりたいですね! 大臣やりたいです! 渋谷区の緑化事業をやってるんですけど、こないだも渡された資料を見たら間違いだらけなんですよ。
出水:プラントハンターから植物大臣! 夢がまた成長しましたね(^^)
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