※2023年5月撮影
トップ画像は、蘆花恒春園、徳冨蘆花健次郎旧宅母屋。
『みみずのたはこと』にはこの家を蘆花健次郎が最初に見に行った時のことが書かれています。
「最後に見たのが粕谷の地所で、一反五畝余。小高く、一寸見晴らしがよかった。風に吹飛ばされぬようはりがねで白樫の木にしばりつけた土間共十五坪の汚ない草葺の家が附いて居る。〈中略〉家は隣字の大工の有であった。其大工の妾とやらが子供と棲んで居た。」同書上巻p.34
今でこそ巨木に囲まれた蘆花健次郎旧宅ですが、1907年(明治40年)に彼等が越してきた時は小高い丘に立つ吹き曝しの小さな家だったのです。
母屋出入口。9:00~16:00入館無料。撮影禁止となっています。

戸口に「茅屋(ぼうおく)」という文章が掲げられています。これは『みみずのたはこと』の文章ではありません。写します。
「僕の家は出来てまだ十年位比較的新しいものだが、普請はお話にならぬ、其筈(そのはず)さ、先の家主なる者は素性知れぬ捨子で、赤子の時村に拾はれ、三つの時に人に貰はれ、二十いくつの時養家から建てて貰った家だもの。
國木田哲夫兄に興へて僕の近況を報ずる書「二十八人集」より」
この内容は『みみずのたはこと』上巻の「腫物」(p.70~81)に詳しく書かれています。
現在は撮影禁止ですが、筆者が2003年(平成15年)に来た時には、特にその様な注意書きは無かったと思います。20年前は、SNSなどに個人が写真を投稿することが流行っていなかった時代でした。
その時に撮った写真。土間の「竈(へっつい)」。

「梅花書屋」の額がかかった部屋。

※2003年3月撮影
他にもまだありますがこの位にしておきます。
蘆花健次郎と奥様の墓地の方に行きます。これは出てきた母屋をふり返って。

奥に徳冨夫妻の墓が見えます。

蘆花健次郎の兄、徳冨猪一郎蘇峯が書いた蘆花健次郎と愛子夫人の墓誌が石板に刻まれ墓に納められています。

蘆花健次郎は自ら「粕谷の墓守」と書いています。
「彼が家の一番近い隣は墓場である。門から唯三十歩、南へ下ると最早墓地だ。『みみずのたはこと』上巻p.239「墓守」

「墓地は約一反余、東西に長く、後は雑木林、南は細い里道から一段低い畑田圃。
蘆花健次郎の千歳村粕谷での「美的百姓」生活のきっかけを作った千歳教会堂下曽根信守牧師のお墓がありました。横は世田谷区教育委員会による案内。下曽根信守牧師は『みみずのたはこと』にも度々登場しています。

では広大な公園区域を少し歩きましょう。

次回は公園散歩です。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)