国道275号線の西側に駅があって、踏切はありません。手前で国道を踏切で渡って、西側の道からアクセスしました。

ホームと駅舎の位置関係などやホーム自体は駅ごとに少しずつ異なっています。石狩金沢駅は駅舎の北側にちょっとズレて砂利のホームがあって、手前のスロープを上ります。奥が新十津川方面になります。

ホームに上がって新十津川方面を見ています。かつては島式ホーム1面2線で交換可能な駅でした。

こちらは札幌方面、駅舎との位置関係が分かります。貨物扱いのあった頃、1970年代には、島式ホームと単式ホームの2面3線という駅だったのです。

駅名標。1935年(昭和10年)札沼線全通時に開業。駅所在地名金沢の起源には諸説ありますが、いずれの説も北陸金沢出身の人物が関わっています。

これは車両から撮った写真。ミラーに乗車しているキハ40形402が写っています。

似た様なカメラ位置ですが、2015年3月に同じく車両から写した写真です。北海道の3月はまだまだ冬なのです。

駅舎の車掌車に付いていた銘板。「東京・日本車輌・昭和29年」と読めます。1954年製なのですね。ユーミンと同じ歳ですか・・・。日本車輌と言えば名古屋の老舗、物凄い種類・数の国鉄貨車を製造しました。もちろん蒸気機関車、客車、ディーゼル機関車、電気機関車、電車、ディーゼルカーなどあらゆる鉄道車両を作ってきた会社です。

駅舎横の駅名標。北海道医療大学の上書きは、1995年に「大学前」駅から「北海道医療大学」駅に改称されたことに因るものと思われます。

以上で札沼線廃止予定区間駅の訪問はお仕舞いです。都市部と異なりレンタカーで駅を訪問して短時間駐車するのがとてもイージーでした。楽しくて、クセになりそうです。
ついでですから北海道医療大学駅から非電化線になる部分、具体的には架線が無くなる部分を次回紹介して終わりにします。
(写真・記事/住田至朗)