ここ数年の日本株高は、企業改革や賃上げ好循環など、自律回復への自画自賛論を招きました。しかし、日本はまだデフレ克服の入り口に立っています。

インフレや米利上げによるドル高・円安が促す「他力本願」の部分が大きかったのです。今回は、日本復調の命脈を脅かしかねない「円相場の転換」というリスクを考えます。


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(写真: SEAN GLADWELL/Getty Images)


サマリー

●米金利に沿わないドル/円変動は、相場の潮目が変わるかもしれない兆候
●日本がデフレを克服し、株高など自律回復によちよち歩きし始めることができた主因は円安
●米景気の変調、トランプ政策のかく乱によって、円相場は数カ月内に潮目を迎えるか
●日本が「自律回復」への本分を見失わないよう、適切な理解と備えを


たかが円相場、されど円相場

 近年のドル/円相場は、ほぼ米金利の動向に沿って推移してきました(図1)。超円安も、米金利が急上昇した後、長く高止まりしてきた反映です。


 しかし、今その潮流が変わるかもしれない局面に来ています。このことは、単に円高になるという以上に、ようやく脱デフレで自律復調の入り口を進みつつあった日本経済の命脈に関わるかもしれません。それだけに、円相場のメカニズムと、その経済や株価に対するインパクトをきちんと理解しておく必要があります。


図1:ほぼ米金利に沿って動くドル/円


たかが円相場 されど日本復調の命脈-トランプ政権で暗雲
出所:Bloomberg、田中泰輔リサーチ

 読者の中には、ここ数カ月の円相場は、米金利の動きから乖離(かいり)したり、逆方向に動いたりして、「米金利では説明できないではないか」と疑問を持つ人もいるでしょう。しかし、このように、米金利だけで説明できず、さまざまな動因が錯綜(さくそう)して現れること自体が、相場転換場面に現れやすい現象なのです。


 市場参加者の多くが、米金利を尺度に円安に思惑を張り、リスクを取る意欲に満ちているときは、米金利とドル/円は日々の動きまで連動しました。ところが、円安も終わろうかという場面には、「米金利どころではない」とばかりに投げ売りや、ヘッジなどリスク管理の売りが出ます。まだ米金利見合いで動く投機と交錯して、かく乱的展開も生じやすくなるのです。この辺りの詳細は、 楽天証券FXセミナー (5月23日19時~)で解説します。


 要は、米金利だけ見ていれば対処できた「たかが円相場」が、向こう数カ月に方向転換するか否かで、日本経済の復調に関わる重大事になり得ることを、あらかじめ認識しておくことが、そうなる場合も、ならない場合でも、柔軟かつ機動的に対応するための基本と考えます。


円安がもたらした日本復調

 そもそも円安がどう起こり、それがどのような恩恵をもたらしたのかを、改めて整理しておきます。


 日本経済は、1990年代から20年以上にわたって苦境にあえいできました。ゼロ経済成長とデフレが定着し、企業も消費者も保守的で防衛的な態度に凝り固まってしまったのです。


 2013年、第2次安倍内閣は、デフレによる閉塞(へいそく)状況を打破すべく、異次元の金融緩和など大胆な施策を打ちました。それでもデフレ症状はしぶとく、克服には至りませんでした。しかしその後、思わぬ助け舟が登場します。


 意外なことに、コロナ禍によるインフレです。特にインフレがひどかった米国で、金融引き締めが急速に進められ、ドル高・円安を促しました。ドル/円は、2020年の1ドル=100円近くから2022~2024年には1ドル=160円台まで進行しています。デフレ症状が染みついた日本でも、超円安に伴うインフレは免れません。


 企業は輸入コスト高に耐えられず、恐る恐る値上げを開始し、消費者も渋々受け入れ始めました。2022年半ばに、このことを黒田東彦日本銀行総裁(当時)が、「消費者の値上げ許容度が高まってきた」とコメントしたところ、国会や世論が「消費者の痛みが分からないのか」と批判の嵐になりました。

デリカシーを欠いたとはいえ、デフレ克服が入り口にさしかかったことの的確かつ端的なコメントでした。


 企業が20年来の値上げに動くと、収益が確保され、株価が上がります。マクロでは、インフレによって名目経済成長率が高まることは、企業全体の名目の売り上げ増となり、収益も連動します。円安は、インフレを促し、企業の海外収益の円建て評価をかさ上げし、それを当て込む海外投資家が日本株を買い進める好循環に入りました。


 日本のデフレ克服への道程は、アベノミクスのお膳立てがあった上で、コロナ禍後の円安に始まり、円安で進んだと言っても過言ではありません。


日本の脱「他力本願」はまだ序の口

 やがて、日経平均株価が1990年のバブル末期の最高値を更新するに至りました。日本国内論調は、企業の改革努力や、賃上げによる需要改善の好循環など、自画自賛に走り始めました(図2)。デフレを克服しつつある中、日本経済もようやく閉塞状況を抜け出して、自助努力が始まったことは確かです。


図2:日本の賃上げは自画自賛するには程遠い


たかが円相場 されど日本復調の命脈-トランプ政権で暗雲
出所:Bloomberg

 しかし、筆者がこれまでこのトウシルで解説してきたように、日本の復調の大半は「他力本願」によるもので、「自律回復」は入り口のよちよち歩きにしか見えません。


 日本企業の価格決定力の回復は、コロナ禍後のインフレによるところが大きく、そのインフレを促すのは円安でした。円安は米金利上昇を反映したものです。そして日本株高は、円安と米国株高の相乗作用としてほぼ説明されました。この尺度に基づいて、日本株を買い進めて、高値更新をもたらしたのは専ら海外投資家です。


 その外国人が、ドル高・円安もピーク圏かと見切り、米国株高に連動し、円安でかさ上げされた日本株はもはや割安ではないと見切った2024年第2四半期に、一斉に逃げ始めました。それ以降、日経平均は3万円台後半で膠着(こうちゃく)状態になり、時折、円高や米国株安にあおられて、3万円台前半にも下落しています。


 日本株高が止まると、企業の改革や賃上げ好循環などの自画自賛論は鳴りを潜めるようになりました。威勢の良い株高予想もトーンダウンしています。せっかく日本は復調路の入り口に踏み入るに至ったのですから、経済と市場の相互メカニズムをきちんと理解し、自助努力を継続してほしいものです。


トランプかく乱への耐性

 円安に促された日本の自律回復、脱「他力本願」は正念場を迎えようとしています。米国経済が、トランプ政権のとっぴな関税政策によって悪化するかもしれない場面です。筆者は、7-9月期には米景気指標の悪化が現れ、米連邦準備制度理事会(FRB)は数回の利下げに踏み切る展開を、シナリオの一つとして留意しています。


 ただし、このシナリオでは、FRBの利下げ、その後のトランプ政権の減税や規制緩和によって、米景況・市況は中期的に改善していく道筋も想定されます。


 このシナリオ通りなら、ドル/円相場は、5~6月に1ドル=147円まで反発し、9月に1ドル=132円まで下落、年末には1ドル=137円という流れ(少々メリハリを付けましたが)になると、すでにトウシルにおいて紹介したところです。トランプ政権の政策次第でシナリオは多岐多様になるため、これだと肩入れするようなシナリオはありません。しかし一つのシナリオに視座を定めることで、そうなる場合も、ならない場合にも、柔軟かつ機動的に対処しやすいと考えます。


 経済が自律回復力を持っていれば、株であろうと為替であろうと、下がったものはいずれ上がり、上がればまた下がるというサイクルを描きながら、トレンドを形成すると考えられます。


 日本の問題は、ほんの3年前まで、自律回復力など期待しようもない閉塞状況に四半世紀もとどまっていたのです。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、デフレの苦しさを忘れたかのように自画自賛論に走ったり、円安を構造的問題で悪いものと決めてかかったり、相場を後追いして、楽観や悲観に傾きやすいのはいつものことです。トランプ政権のかく乱で米経済が下降し、株安やドル安・円高に直面するかもしれない今、きちんとした理解に立って、日本の自律回復への本分を見失わないでほしいと願います。


 投資家としては、強大な自律性を持つ米国市場への目線は慎重ながらも前向きのままで良いでしょう。日本については、悪くすると、閉塞状況に戻ってしまうリスクを完全には排除できないことも念頭に、目を光らせましょう。


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(田中泰輔)

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