インフレ、社会保険料や税金の負担増、賃金の低迷…さまざまな困難が私たちの生活をむしばむ時代に突入しつつあります。資産形成や日本の未来像について長年発信を続けてきた、ベストセラー作家の橘玲さんに厳しい時代を生き抜くためのヒントを聞きました。


【橘玲さん】物価高、増税、賃金低迷…「三重苦の時代」を生き抜...の画像はこちら >>

インフレ貧乏になった日本

トウシル編集部:最近、インフレへの関心が高まっています。なぜ、ここまで物価が上がったのでしょうか?


橘さん:現在のインフレは、人手不足や供給能力の低下という面もありますが、円安で輸入物価が上がったことが大きいと思います。


 最近、香港に行って改めて感じましたが、日本は何もかもが安すぎます。香港はワンタン麺が2,000円くらいで、日本の物価の1.5倍という感じです。米国の物価は日本の倍でしょう。


 海外からの観光客からしたら、質の高いサービスやモノが全て半額なのですから、日本への旅行が大人気になるのは当然です。


 香港やシンガポールのようなインフレ基調の国では、物価だけでなく給料や家賃も上がって、一人当たりの国内総生産(GDP)が増えています。


 かつては日本はアジアで圧倒的な経済大国でしたが、いまや国民の豊かさを示す一人当たりGDPはシンガポールが約9万ドル(4位)、香港が約5万4,000ドル(20位)で、約3万2,000ドル(38位)の日本を大きく上回っています。そればかりか日本は、いつの間にか韓国や台湾にも抜かれました。


 日本はデフレから「脱却」して以降、賃金の上昇が物価の上昇を下回り、実質賃金(物価変動の影響を反映させた実質的な賃金)もこの3年くらいはほとんどの月で前年割れしています。


 実質賃金が下がり、給料で買えるものが減っているので、国民一人一人の生活の実感としては「どんどん貧乏になっている」というのがこの国の現状でしょう。


 せめてもの救いは、家賃がそこまで上がっていないことです。都心の高層マンションなど好立地の不動産価格は上がっていますが、日本では借り手の権利が保護されていて、家賃の値上げに強い制限があります。

貸し手の権利が強い米国であれば、短期間で家賃が急上昇していたはずです。


コメ高の「簡単な解決策」

トウシル編集部:特にコメ価格への不満の声が非常に増えていますね。


橘さん:貧しい国はエンゲル係数(家計の消費支出に占める食料費の割合)が高いので、食料価格の高騰が原因で社会が不安定化することがあります。


 2010年にアラブ諸国で民主運動(アラブの春)が起きたのも、小麦価格の上昇で人々の生活が苦しくなったことが背景にありました。


 しかし、コメやパンのような主食の値上がりでこれほどの騒動になるのは先進国では珍しいことです。日本が途上国に近づいてきたのかもしれませんが、コメの価格が短期間で極端に値上がりしたこともあるでしょう。


 よく知られているように、日本はコメの輸入に対して非常に高い関税を課しています。


コメ関税:日本は年間約77万トンの米を無関税の「ミニマムアクセス(最低輸入量)米」として義務的に輸入しています。ミニマムアクセス米は主に加工用や援助用で、主食用は10万トン。ミニマムアクセスの枠外で輸入する場合は1キロ当たり341円の高い関税(実質関税率で300~400%)がかかります。

 トランプ大統領もこれを批判して、「コメ不足なのだから、米国のコメをもっと輸入しろ」と日本にプレッシャーをかけています。実はこれは正論で、コメの関税を撤廃して安い輸入米がたくさん入ってくるようにすれば、「令和の米騒動」は解決するし、米国との関税交渉も有利になります。


 そもそも東南アジアやインドの料理は、日本米よりも水分量が少ないインディカ米に合うようなレシピになっています。

輸入米が安く流通するようになれば、タイ料理店のガパオライスやインド料理店のカレーがずっとおいしく食べられるでしょう。


 米国ではジャポニカ米がつくられていて、品質も国内産と遜色ありませんから、海外からのコメの輸入は消費者にとってよいことばかりで、悪いことはなにもありません。


 しかし政府は、「コメ農家の保護」や「食料安全保障」を理由に、コメの輸入を増やすことには後ろ向きです。


 コメへの関税に安全保障上の効果があるとも思えません。


 仮に日本が海上封鎖をされて食料品の輸入ができなくなるとすると、コメだけではなくエネルギーの輸入もストップします。そうなれば、石油や天然ガスの大半を海外に依存している日本では、コメをつくることも、流通させることもできなくなります。コメの自給率だけ上げたとしても、なんの意味もありません。


 コメ農家を守ることが目的であれば、高い関税をかけて保護するのではなく、補助金などを使って戦略的に農業を産業化していくべきでしょう。しかし農業に株式会社が参入すると零細農家は太刀打ちできないし、補助金では自分たちが税の受益者であることがあからさまになってしまうので、農協が頑強に反対しています。こうして、消費者がそのツケを払うことになるのです。


負担増は「避けられない」

トウシル編集部:物価の上昇だけでなく、社会保険料や税金の負担増も苦しいです。


橘さん:残念ながら、現役世代の負担は今後も増えていくでしょう。


 税務署に給与を完全に把握されているサラリーマンは、最も税金や社会保険料を徴収しやすい層です。

超高齢社会で逆ピラミッド型の人口構成を考えても、高齢化で税収が先細りする中、現役世代の負担を増やしていく流れは避けられないでしょう。


 今の高齢者世代は、過去にマクロ経済スライドがあまり適用されていなかったため、年金を「もらい過ぎている」状態です。


マクロ経済スライド:2004年の年金制度改革で導入された、社会情勢に応じて公的年金の支給額を減らしていく仕組み。被保険者数の減少、平均寿命の延び、物価、賃金などに応じて支給額が調整される。

 そもそも2004年の制度改正時、マクロ経済スライドによって年金の所得代替率(現役世代の収入に対するモデル世帯の年金額の割合)は、2023年度までに59.3%から50.2%まで低下し、以降はそれが維持されることになっていました。


 ところが、デフレでは年金を減額しないという名目下限措置によって実際には4回しか適用できず、所得代替率は61.2%(2024年)と逆に上昇しています。


 ところが現在の政治は高齢者層の反発を恐れて、もらいすぎの年金からの徴収を提案できず、そのツケを現役世代に払わせようと、厚生年金の基礎年金の「底上げ」を提案しています。厚生年金基金の積立金の一部を「流用」して将来の国民年金の目減りを防ぎ、生活保護の申請を急増させないための苦肉の策です。


 このように高齢者が大きな政治力をもつ日本では、どんなときも現役世代が犠牲になるのです。


トウシル編集部:現役世代への支援策として、給付金や消費税の減税の話も出ていますね。


橘さん:給付金や消費税減税は現役世代、高齢世代を問わず全ての人が恩恵を受けます。しかし、こうした施策で財政が悪化した分は現役世代や子どもたちの将来的な負担になります。


 今、一番生活が苦しいのは現役世代で、その理由は税金ではなく、年金・健康保険料などの社会保険料が高いからです。会社員の場合、会社負担分も含めると社会保険料の実質負担率は収入の3割におよびます。


 現役世代を支援するのであれば、高齢者も負担する消費税を増税した上で、そこから得た財源で社会保険料の負担を減らすべきです。


 当たり前の話ですが、無から有は生まれないのですから、限られた財源で現役世代を支援しようとすれば、富裕な高齢者から現役世代に再分配するべきでしょう。


 でも、実際には、現役世代の支援を口実に、高齢者層にもばらまくという残念な判断がされがちです。


過去の勝ち筋は「通用しない」

トウシル編集部:今後も心配ですが、一番気になるのは目の前の生活です。社会保障や税金の負担を減らす方法はないですか?


橘さん:会社員は源泉徴収と年末調整によって問答無用で税・社会保険料を徴収されるので、負担からは逃れようがありません。


 ふるさと納税や医療費控除のようなちょっとしたお得な制度はありますが、節税手段は限られています。


 以前、会社員が副業で赤字を出して節税することがはやりましたが、今では税務署がかなり厳しくチェックしています。最初の2年くらいは見逃してくれるかもしれませんが、毎年続けていると「これは本当に事業ですか?」という問い合わせが来るでしょう。


 ただ、会社から独立してマイクロ法人をつくり、自分で自分に支払う給料を調整すれば、税・社会保険料のコストを最適化することが可能です。


トウシル編集部:そんな方法もあるのですね。ただ、仕事の状況によっては難しい人もいそうです。

他にすべきことはありますか?


橘さん:実質賃金が下がり、社会保険料が増えていく中では、真面目に働くだけではどんどん貧乏になってしまいます。だとしたら、リスクをとって資産運用する以外にありません。


 日本人の資産運用にとって不幸だったのは、1990年代に金融がグローバル化して資産運用熱が盛り上がったとき、多くの人が日本株を保有していたことです。ところがバブル崩壊で日経平均株価は最高値の5分の1まで下落し、長らくピークの半分以下に落ち込んでしまいました。


 最近は株価も上昇してきましたが、こうした苦い経験もあって、日本では預金と不動産(マイホーム)に資産が偏るいびつな状況が続いてきました。


 デフレのときはお金の価値が上がるので、ゼロ金利でも貯金をしておくだけでよかったわけです。ところが今はインフレなので、放っておくとお金の価値はどんどん下がってしまいます。


 日本人は「失われた30年」の間インフレを体験したことがないわけですが、これからは「リスクを取って資産運用するしかない」という考え方に変わっていくでしょう。


資産運用の最適解は?

トウシル編集部:なるほど。どのような投資がおすすめですか?


橘さん:投資のプロは別として、普通の人の場合はNISA(ニーサ:少額投資非課税制度)での資産運用が良いのではと思います。


 NISAでオール・カントリー(全世界株式)やS&P500種指数、ナスダック総合指数のインデックスファンド(株式指数に連動した成果を目指す投資信託)に投資するのが、リスクとリターンの費用対効果(コストパフォーマンス)を考えたときも、投資の判断にかかる手間(タイムパフォーマンス)の面でも、理にかなった選択肢です。


 ファイナンス理論によって、株式の分散投資の効果は半世紀以上前に証明されています。

それにNISAを使えば、通常の株式投資や不動産投資では避けられない税金が一切かかりません。


 通常であれば、株式投資の配当にも、売却益にも約20%の税金が課せられます。2,000万円の売却益が出たら約400万円の税金を納めますが、それがゼロになればほぼ年収分に匹敵するので、ものすごく大きなちがいです。


 2024年からの新NISAでは1人当たり最大で1,800万円まで投資できるようになりました。夫婦でNISAを使えば倍額の3,600万円まで投資可能です。


 さらに、子供が18歳になったらNISAの口座を開くことができます。子供が二人なら、世帯の非課税投資枠は合計で7,200万円(1,800万円×4)。金融庁が検討中の未成年向けのNISAが新設されれば、さらに早くから積立投資できるようになります。


 資産運用の非課税枠がこれだけあれば、大半の世帯にとっては十分でしょう。税コストの大きさを考えれば、株式の信用取引や短期売買にせよ、マイホームという不動産投資にせよ、課税資産の運用で非課税の運用を上回るパフォーマンスが出せるというのは考えづらいです。


 NISAのつみたて投資枠では、銀行口座やクレジットカードからの自動引き落としで毎月定額の株式インデックスを購入するだけで、一度設定してしまえばそれ以外のことを考える必要すらありません。とてもシンプルで誰でも実践できる投資戦略です。


 その結果、将来はリスクのある投資で資産形成した人と、そうでない人との間で大きな資産格差・経済格差が生じることになるという「グロテスクな未来」を予想しておきましょう。


(トウシル編集チーム)

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