現在台北の一角で本稿を執筆しています。「台湾有事」の最前線である台湾に来るたびに独特の緊張感を覚えますが、市民の間で「有事」はどの程度意識されているのか。
※このレポートは、YouTube動画で視聴いただくこともできます。
著者の加藤 嘉一が解説しています。以下のリンクよりご視聴ください。
「 台北出張レポート:「中国の浸透」と「台湾有事」の現場を歩く 」
約半年ぶりに訪れる台北で「独特の緊張感」
現在、台湾は台北市内の一角で本稿を執筆しています。私にとっては約半年ぶりの台北で、前回同様、シンポジウムに参加するために来ています。台湾は10月10日に国慶節を迎えます。街中には台湾(中華民国)の旗が至る所に掲げられており、人々の心境も若干の休暇モードに入っている様子でした。
▼前回の記事
台北の一角で考える:「台湾有事」は何処へ向かうのか。日本はどうすべきか
まだ台北に到着して半日程度しかたっていませんが、毎回この地を訪れるたびに、やはり考えさせられるものがあります。昨日、台北松山空港に飛行機が着陸する直前、機内では「台北松山空港は軍民両用の空港であり、機内からの撮影は禁止されております」という類の放送が流れます。
台北松山空港は台北市のど真ん中と言える位置にありますが、その空港が軍民両用、すなわち、軍事的に使用されるという事実は重いと思います。
実際、着陸すると、窓の外に軍用機が散見されます。仮に「有事」が緊迫化し、中国と軍事衝突が勃発した際には、連日多くの人が利用するこの「民用空港」も、間違いなく戦場と化すのでしょう。そのとき、おそらく台北松山空港は通常の機能を果たせなくなる。
仮にこの地が戦場と化した場合、日本人を含めた外国人、および台北市民は、どこから脱出するのだろうか。そんな場面を想像せずにはいられなくなります。
今回も、そのような一定の緊張感を持ちながら、台北の地に足を踏み入れました。
「中国」の浸透具合は?越境EC、中国料理店、SNS
台湾へ来たことのある方はご存じでしょうが、日本国外で、台湾ほど日本を感じられる場所はないと思います。日本料理屋を中心に、街の至る所に日本語表記があり、セブン-イレブンやファミリーマートといったコンビニがそこら中にあります。ここは日本か、と錯覚してしまうことすらあります。

今回私が宿泊している台北市内のホテルの部屋には、当然のように日本語による説明があり、無料のミニバーにはポカリスエットが入っていました。多くの日本人が台湾に来たがる理由が分かります。この地に来ると、日本人は本当に台湾の社会や人々に大事にされ、尊重されていると感じ、こちらが恐縮してしまうほどです。
一方、今回の数日間の台北滞在の中で、一つ向き合い、考えてみたいテーマが、中国、すなわち中華人民共和国の台湾(中華民国)への浸透状況・具合です。
例えば、日本の状況を見ると、一時は「爆買い」という言葉がはやったように、中国人観光客を東京の銀座や大阪の心斎橋など、そこら中で見かける、中国語がそこら中から聞こえてくる。
あるいは、大学のキャンパス内で中国人留学生の存在感が増している、東京の池袋や埼玉の川口といった地域の一角が実質「チャイナタウン」と化している、中国人の富裕層が都心の不動産物件を「爆買い」し、住宅価格が上がっている。など日本人の日常生活、経済活動の中でも、中国の浸透を実感する場面は少なくないと思います。
そういった現象や事象が台北でどの程度発生しているか観察することが、本稿の主旨です。
まず、ヒトの観点からすると、2016年から始まっている民進党政権下において、中国本土から台湾への人々の往来は著しく減っている、あるいは制限されています。
台湾政府が発表する統計によれば、中国人の台湾訪問者数の数は(日本人の数も示します)、中華民国設立100周年に当たる2011年に178万人(129万人)、2015年に418万人(162万人)とピークに達しましたが、2024年は44万人(131万人)と激減しています。
民進党政権下にある台湾と、習近平政権率いる中国が緊張関係にあり、政治的、軍事的に対峙(たいじ)する中で、ヒトの流れが政策によって著しく制限されていることが背景にあります。
実際、2015年以前、台北市内の観光地や台湾の大学で多くの中国人を見かけ、私自身、台湾の地で中国の学者や学生と再会する場面も多々ありました。しかし現在に至り、(もちろん私が見逃している可能性もありますが)中国人観光客を見かけることはほとんどなく、中国の影響力や存在感は以前と比べて減っているというのが表層的な実感です。
一方、「浸透力」という観点からすると、中国の影を軽視すべきではないと思います。ここでは三つの実例を挙げてみましょう。
一つ目が、越境ECを通じての浸透です。中国にはアリババ社が運営するEコマースである「タオバオ」がありますが、台湾人の多くがこのサービスを利用して、中国本土からモノを購入している現状を今回知りました。
台湾では日本同様、というよりは日本以上に物価高が問題視され、市民の生活をひっ迫させています。しかる状況下、99人民元(約2,000円)以上購入すれば送料が無料になるという「キャンペーン」が続いています。少なくない台湾市民は、このサービスを通じて衣類や日用品を中国本土から購入することで、台湾での物価高への対策としているように見受けられました。
二つ目が、「中国料理屋」を通じての浸透です。台湾には日本の至る所で見かける、中国人が中国料理屋を経営する光景は顕著ではありません。
ただ、お店の看板やメニューが、台湾で日常的に使われる繁体字ではなく、中国本土で使われている簡体字で書かれている、「中国人が開く中国料理屋」が、決して多くはないですが散見されます。それらのお店の多くは、台湾人と結婚した中国人によって運営されているようです。

台湾には現在約36万人の「中国人妻」がいます。台湾ではなく、「中国式」の中国料理を食べられるという点を一定程度「売り」にしており(例:リーズナブルな価格で食べられる四川風の辛い麺料理)、台湾現地人からも一定程度の好感を持たれているようでした。
三つ目に、SNSを通じての浸透です。
例えば、中国政府内で台湾事務を担当する国務院台湾事務弁公室の報道官の記者会見がYouTube上で流れ、その書き込み欄に「中国政府のほうが台湾政府よりもまともなこと言っているよな」といった書き込みが、海外で生活する中国人によってなされ、そこに大量の「いいね」が押されるといった光景です。
私がここで取り上げた三つの例は非常に限られた観察に基づくものであり、実際はそこまで顕著ではないか、あるいは事態はより深刻といった状況もあるのかもしれません。しかし、私が台湾の知人や関係者と議論している限り、上記の中国による浸透は、台湾において一定程度のインパクト、および警戒心を生じさせているように見受けられます。
台北一般市民の「有事」への備えは?
最後に、日本でも近年世論をにぎわせ、投資家を警戒させ、企業に準備と対応を迫っている「台湾有事」が、台湾社会でどの程度のインパクトを有しているのかを考えてみたいと思います。
台湾の政府やシンクタンク、有識者の間では、台湾海峡での頻繁な軍事演習・活動や米中対立といった地政学的リスクが高まる状況を前に、いかにして有事にそなえるか、そのために台湾の自衛力や社会の強靭(きょうじん)性などをどう高めるかといった議論がなされ、政策にも一定程度反映されています。
一方、台北市内を歩いたり、市民の方と話したりしている限り、「平和ボケ」とは言えないまでも、自由と民主主義が制度的に保証され、中国の影響力や浸透力が限定的な「現状」が永遠に続くと信じて疑わない人々も少なくないように見受けられます。
あるいは、仮に中国が攻めてくれば、台湾側にできることは何もないという一種の諦めと失望から、「有事」が緊迫化する可能性から目を背けている、考えないようにしているという人々もいるでしょう。
「自分の国は自分で守る」「国のために闘う」といったマインドを、どれだけの市民が、どの程度有しているのか。善しあしを含めた価値判断はさておき、私には懐疑的に思えました。この点が、台湾海峡の未来にどう影響していくのか。引き続き注視していきたいと思います。
今回台北市内を歩いていて目に留まったのが、街の多くの建物の入り口付近に、「防空避難」(Air Defense Shelter)を案内する看板が掲げられていた点です。
地下シェルター、防空壕(ぼうくうごう)のことですが、中国からの軍事攻撃に備えるというのが一つの機能でしょう。だいぶ前からあるようですが、近年増えているようにも感じます。この点を複数の台北で生活する知人に聞いてみましたが、「そんな看板あったっけ?」「そんなの昔からあるよ」「誰も気に留めていない」といった反応がほとんどでした。

当事者である台湾の人々、そして最前線である台湾において、「有事」がどの程度意識され、警戒されているのかを、辛抱強く見極めていく必要があるなと感じさせる今回の台湾出張です。
(加藤 嘉一)