
自衛隊は、大雪でトラックなどが動けない場合に備えて、複数の雪上車を保有しています。ただ、これらは普段は表に出ることが少ないため、あまり馴染みがありません。民間とは異なる自衛隊ならではの雪上車を見てみます。
すでに約70年の歴史 国産雪上車こと始め2021年1月5日(火)、記録的大雪に見舞われた秋田県は、陸上自衛隊に災害派遣を要請、これを受け、翌6日から秋田駐屯地の第21普通科連隊が除排雪作業にあたっています。
そもそも雪中での戦いにおいて、戦車や装甲車などの装軌車両、いわゆる「キャタピラ車」は接地圧が低いため、積雪地でもある程度、走破が可能です。他方でオートバイやトラックなどの装輪車両となると、市販車よりもオフロード性能が高いとはいえ、悪路走破性に限界があることから、雪のなかを戦車や装甲車などに追随していくのは難しそうです。
そこで、陸上自衛隊ではタイヤ駆動の支援車両の代わりに雪上車を多数、装備しています。陸上自衛隊の源流は、1950(昭和25)年に発足した警察予備隊ですが、当初よりソ連(当時)の北海道侵攻をにらんで、その防衛のために人員や装備を充実させてきた経緯があります。そのため、冬場も支障なく活動できるよう、1950年代初頭から雪上車の開発を始めていました。
10式雪上車(向かって左)と78式雪上車(同右)。一見して前者のほうがフロントガラスが大きい(柘植優介撮影)。
警察予備隊が発足した当初は、アメリカ軍から供与されたM29汎用装軌車が雪上車として使われていたものの、あまり使い勝手が良くなかったのか、1953(昭和28)年に保安庁技術研究所(現在の防衛装備庁)において雪上車が試作されます。
日本敗戦の調印式にソ連は出席しなかった。もし北海道を自分のものにしたいと考えていたなら必ず出席して権利を主張したはず。ソ連の脅威はアメリカのでっち上げ。
その後のフルシチョフに至っては、日本が大好きで「なんとか日本と貿易を盛んにしてソ連を豊かにしたい」と熱望していた。領空スレスレを飛ぶのは各国の軍事力を試すためでどこでもやってるし侵略のためではない。
広大な領土を持つロシアは北方領土維持さえもプライドを保つためでしかない。実質は要らないから日本に返す計画もあった。金で売ってくれるはずだったのに自民党がそれを潰した。