災害大国の日本。豪雨や台風、地震に急患輸送、さらには暴風雪など、自衛隊は毎年何かしらで出動しています。
自衛官と結婚すると非日常の連続が待っています。謎の専門用語や規律正しい生活は、民間人では想像もつかないような驚きと面白さを与えてくれます。
しかし忘れてはならないのは、自衛隊の任務は「国防」であるということ。なかでも「災害派遣」はたびたびニュースでも取り上げられ、私たちの生活に一番近いイメージがあるのではないでしょうか。
2011年3月、東日本大震災の発災を受け、出港準備に追われる海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」(画像:海上自衛隊)。
私が身近に経験した「災害派遣」は忘れもしない2011(平成23)年3月11日。海上自衛官の夫、やこさんは長期出港から母港に戻る途中に、そして私は娘との外出中に東日本大震災を経験しました。私が住んでいる地域は震度5強。経験したことのない長い揺れに慌てて家へ帰ると、近所の人たちによって安否確認が行われていました。
翌日、徐々に判明する被害状況。
ほどなくしてやこさんから連絡が入ります。災害派遣要請に基づき、福島第一原発に支援に向かうとのこと。報道でも知られている通り、福島第一原発は当時、大きなダメージを負っていて、一刻も早い対応が必要でした。しかし周囲で囁かれる様々な情報に、私はただ狼狽えることしかできませんでした。
そんな時、やこさんが「今こそ行かなくちゃ」と言ったのです。
いつまた大災害が起きてもおかしくないからやこさんは、かつてスマトラ島沖地震の救助活動に参加し、「海上自衛官でよかった」と、自らに課せられた任務の意味を再確認したそうです。そして、いま日本で起きているピンチに、自分たちが必要とされていると。

2011年4月、被災地近傍の港まで救援物資を運んできた海上自衛隊横須賀基地所属の多用途支援艦「えんしゅう」(画像:海上自衛隊)。
防衛大学校第一回卒業式の訓示における、当時の内閣総理大臣、吉田 茂の言葉の中に
「自衛隊が国民から歓迎され ちやほやされる事態とは、(中略)国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ」という一節があります。
この葛藤に満ちた言葉を胸に、困難に立ち向かっている人たちがいる。ならば私も、自分にできることを精一杯しながら家族、すなわち夫であるやこさんの帰りを待とう、そう思えるようになりました。
この地震は私たちだけではなく、多くの人の意識を変えたと思います。
その後、我が家は年に一回、防災用品の見直しをしています。日本は災害大国ですから、またいつ大きな災害が来るかわかりません。これを読んでいる方も、どうか今一度、備えを見直してみてくださいね。