国鉄を代表する通勤形電車103系は、首都圏や関西、名古屋周辺でも活躍した電車です。その多くは引退していますが、九州では筑肥線で現役です。
昭和の国鉄を代表する通勤形電車103系は、前回の東京オリンピックが開催された直前の1963(昭和38)年、山手線に初めて導入されました。それから60年あまり、山手線ではとうに引退し、長く使われている西日本地域でも、ごくわずか残るのみとなっています。
他方、九州では1983(昭和58)年に筑肥線へ103系が導入され、現在も使用されています。なぜ九州で唯一、筑肥線に103系が在籍するのでしょうか。
九州で活躍する103系電車1500番台(柴田東吾撮影)。
筑肥線は福岡県の西部に向かう路線で、博多から唐津付近を経由して佐賀県の伊万里に至るルートでした。1983年に起点側の博多~姪浜間が廃止されるとともに姪浜~唐津間は電化され、現在の福岡市営地下鉄空港線と相互直通運転を行うことで、都心部へアクセスする形に変更されました。こうして、筑肥線は都心と郊外を結ぶ通勤通学路線に大変身を遂げましたが、唐津付近では路線が分断され、伊万里方は電化されずに残されました。
この際に造られたのが九州の103系で、1982(昭和57)年製。翌年に筑肥線の電化が完成したことで営業運転が始まりました。
その頃、首都圏では…筑肥線に103系が導入された頃、首都圏では省エネルギー対応の電車が量産体制に入ったところでした。
首都圏では省エネルギー対応の電車が導入されたのに、筑肥線には一世代前の電車が新規に造られた格好です。その理由は、車両の仕組みと筑肥線の事情にあります。
省エネルギー電車では、ブレーキの際に発生する電力を架線に戻す、「回生ブレーキ」の機能を搭載しました。しかし当時の筑肥線は、地下鉄空港線よりも駅間距離が3倍程度も長く(空港線が約1km、筑肥線約3km)ブレーキの回数が少ないので、省エネルギー電車の導入効果が期待できないと判断されたのです。
また、地下鉄は都心部を走る一方で、筑肥線は郊外を走る路線ですが、利用者が少ない郊外の路線では必然的に列車の本数が少なくなります。省エネルギー電車は、回生ブレーキで発生した電力を同じ路線を走るほかの列車が消費することができますが、そもそも列車が少ないと、この図式が成立しづらくなるのです。
こうした理由で、筑肥線は省エネルギー電車ではなく、引き続き103系を導入することになったのです。とはいえ、筑肥線の103系ではデザインを一新して外観のイメージアップを図ったほか、当初から冷房装置を搭載しています。また、地下鉄乗り入れにも対応するなど従来の103系とは仕様が違うため、「1500番台」として従来の103系と区別されています。
首都圏の103系と違う点は?103系1500番台は、従来の103系の走行機器に改良が加えられていますが、外観は同時期に登場した車両に準じて造られています。
例えば車体の大部分は201系と同じ構造で造られ、従来の103系に比べると錆などの経年劣化に対して強くなっています。また地下鉄線内での非常時に、列車の前後から避難することを考慮して前面に扉を付けていますが、このデザインは同時期に造られたローカル線向けの105系や飯田線向けの119系と同じ姿となっています。

中央線で活躍した201系電車。九州の103系は201系の車体をモデルにしている(2010年7月、柴田東吾撮影)。
車体の色は当初、筑肥線沿線の玄界灘の青い海と白浜をイメージし、青色とクリーム色のラインの組み合わせでした。現在はJR九州のコーポレートカラー赤色に灰色を組み合わせており、内装も座席の色が茶色から濃い紫色となるなど変化しています。
しかし、筑肥線の103系は後継の305系電車が登場したことで2015(平成27)年3月、福岡市営地下鉄空港線への乗り入れを終了し、以後は筑前前原~西唐津間で使用されています。廃車も進み、すでに約7割の車両が淘汰されました。残された車両は3両編成に短縮の上、ワンマン運転対応、トイレ付きに改造されています。