新作映画『ゴジラ-1.0』に、ゴジラに対峙する兵器として、旧日本海軍の局地戦闘機「震電」が登場します。ただ史実では、「震電」は敵重爆撃機への迎撃機として生産されました。

地上にいるゴジラに、果たしてどこまで有効でしょうか。

市民の目にも触れた開発中の「震電」

 敗戦から復興途中の日本を、謎の超巨大水中生物「ゴジラ」が襲います。新作映画『ゴジラ-1.0』の一幕です。占領下の日本という設定で、帝国陸海軍はすでに解体されていますが、生き残りの兵器がゴジラ駆除に使用され、その中には異形で有名な戦闘機もありました。

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旧日本海軍が開発した局地戦闘機「震電」(画像:アメリカ海軍)。

「なんだあの飛行機!? 前後逆向きに飛んでるんじゃないか」

 1945(昭和20)年8月、福岡市の夏空を見上げたある人が妙な飛行機を見かけます。

この逆向き飛行機こそ、旧日本海軍期待の十八試局地戦闘機「震電」でした。初飛行は同月3日のことで、実機の飛行回数は6、8日と合わせて3回のみ。試験飛行が実施されたのは、福岡市内の陸軍席田(むしろだ)飛行場(板付飛行場、現・福岡空港)でした。

 この飛行場は市街地と隣接しており、飛行中は必然的に多くの人の目に触れました。当時は、カメラを持って飛行場を撮影する柵外活動など思いもよらないことですが、それでも関心を集めたようです。ただ、製作を担当した九州飛行機の山本順平社長(元海軍少将)は「極秘兵器の試験をあんな所でやるなんて迂闊千万だよ」と嘆いたそう。

もはやそんな機密保持まで気にする余裕もなくなっていたのかもしれません。

「震電」の特徴は珍しい前翼機という点です。主翼の前に前翼を配置し、水平尾翼はありません。プロペラを後部に配置する推進式です。当時、飛行機といえばプロペラが前にある牽引式が一般的ですから、柵外の人が逆向きに飛ぶように見えたのも無理はありません。

 前翼機は空気力学的に優れている点があるとされており、世界初の動力飛行機であるライト兄弟の「フライヤー号」もこの形式です。

もっとも当時各国でいくつか試作されましたが実用には至っていません。

「震電」に求められた性能とは

「震電」の計画要求書には、目的として「敵重爆撃機ノ撃墜ヲ主トスル優秀ナル高速陸上戦闘機ヲ得ルニアリ」とあります。海軍がこの異形に目を付けたのは、高空を高速で飛び、硬いB-29を迎撃することの一点でした。さらに要求書は高度8000mまで10分30秒以内、実用上昇限度1万2000m以上、高度8700mで最高速度400ノット(740.8km/h)以上30分維持を求めており、かなり野心的です。

 B-29を落とすには強力な武装が必要であり、前部にエンジンやプロペラを配さなくてよい前翼機は最適でした。「震電」はここに五式30mm固定機銃一型乙を4門装備することが計画されました。

 五式30mm機銃は強力ですが、発射反動も大きく重さが1門でも70kgあり、かつて戦闘機部隊からは対戦闘機戦には使えないと反対された武装です。通常の牽引式であれば主翼に配置するか、機首に集めるなら双発機とせざるを得ず大型化し、期待される高速陸上戦闘機にはなりそうにありません。

そっち向きに飛ぶの!? 異形の旧海軍機「震電」 ぶっとんだ設計のワケ
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製作研究用に作られた前翼型グライダーMXY-6(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 そこで思い切った発想の転換、改革が必要でした。重武装を単発の小型機に収めることができる前翼機形式の採用もイノベーションですし、海軍戦闘機の伝統芸「巴戦法」という格闘戦能力をキッパリ排したのもイノベーションです。「震電」は高速で早く高空に達し、大火力で射撃しつつ退避を図る一撃離脱戦法を旨としました。

海軍航空本部実験部長の見解で、「この飛行機の利点は高速度によって反復攻撃ができることにあり、旋回に重きを置きすぎるとその特徴が失われる恐れがある」と、その方向性を示しています。

初飛行は終戦の12日前

 開発は急ピッチで進められますが、ネックとなったのが最大の特徴である、後部にプロペラがあるという形そのものです。

 地上滑走では、車輪が巻き上げた泥や小石など異物(FOD)がプロペラに当たります。脚は長くて貧弱です。機銃の空薬莢は排出するとプロペラに当たるため、機内に回収せざるを得ません。脱出時には乗員すら巻き込まれる危険性があり、プロペラを簡単かつ確実に離脱できる機構が必要です。

 以上のように、「震電」には牽引式機体にはない要素が多く要求され、構造は複雑化し重量も増加しました。初飛行前の地上滑走試験では機首を不用意に持ち上げたため、プロペラが接地して羽が曲がる事故を起こしています。

 こうした難題を何とかクリアして、終戦12日前には初飛行に漕ぎつけますが、実機の試験飛行はわずか3回で合計飛行時間は1時間程度。期待の性能を発揮できたのかはわかりません。

 架空の1947(昭和22)年、ゴジラ駆除に駆り出された「震電」は対地攻撃を行います。武装は強力ですが、先述の一撃離脱戦法を旨とする「震電」に、低空を低速で反復攻撃する対地攻撃は不向きです。

そっち向きに飛ぶの!? 異形の旧海軍機「震電」 ぶっとんだ設計のワケ
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後部から見た「震電」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 異形の「震電」は実戦に間に合いませんでしたが、21世紀になっても映画に登場するなど多くのインスピレーションを生み続けています。極秘兵器のはずだったのに人目を気にしなかったようにも見えるのは、関係者は終戦の気配を感じており、戦争には役立たずとも戦後に続く何らかの刺激になることを期待していたのかもしれません。