1980年代から爆発的ヒットを記録し、「ヤマハの二輪史上、最も売れたバイク」として知られるSR400/500。そのライバルと位置付けられていたのが、ホンダGB250クラブマンです。
1978(昭和53)年に登場し、80年代後半から爆発的なヒットとなったヤマハの単気筒、SR400/500。「ヤマハの二輪史上、最も売れたバイク」として知られる名車で、第一次ブームの頃はカフェレーサー風カスタムが大流行し、バイクユーザーの裾野を広げたことでも知られています。
排気量は違うものの、ヤマハSR400(500)と同じ中型単気筒モデルで、80年代後半から90年代にかけて「SRのライバル」的存在だったホンダGB250クラブマン(画像:ホンダ)。
このSRのカフェレーサー風カスタムブームの時代、「SRのライバル」として厚い支持があったのがホンダGB250クラブマンです。排気量こそ違えど、同じ「中型単気筒」「ネイキッド」ということ、そしてSRよりもカフェレーサー的にはクラブマンのほうがイメージに近かったことで、こちらもまた絶大な支持があったモデルです。
クラブマンが登場したのは1983(昭和58)年のこと。すでにSRが登場して5年が経過した年ですが、当時は後に起こるほどのブームはなく、SRは一定のバイクファンが評価する程度の地味な印象の単気筒でした。そんな時代にクラブマンですが、「シンプルな男のバイク」という点ではSRとの共通点はあれど、排気量、出自、コンセプトはまるで異なり、ホンダが「SRの対抗馬としてリリースしよう」と考えた節は見当たりませんでした。
クラブマンは、SR云々とは関係なく、ホンダが1959(昭和34)年にイギリスのマン島TTレースで世界にその実力を知らしめたCB72をオーバーラップさせたモデルで、ベーシックスポーツモデルとしての登場でした。ヤマハXT500というオフロード車が出自のSRはトルクフルでのんびりとライドを楽しむコンセプトだったのに対し、クラブマンは当初からシングルレーサー的なコンセプトでの登場だったというわけです。
クラブマンのクラシカルな意匠のロングタンクに一文字ハンドルは、まさに往年のイギリスのカフェレーサー的で、今見てもなかなか渋くてカッコ良いです。
しかし、その時代のブームにおいては、圧倒的なSRの存在感から、どちらかと言うとクラブマンはその影に隠れる存在でした。
時代を読めなかった? クラシカルブーム直前のモデルチェンジ実に優れたモデルであるにもかかわらず、クラブマンがSRの陰に隠れる格好になった理由の一つは、1989(平成元)年のクラブマンのモデルチェンジにあったかもしれません。この前後から、クラブマンとヤマハSRシリーズとの“ライバル”的な関係が始まります。

ヤマハSRX250(1984年)。クラブマンの翌年に登場したこのSRの派生モデルの影響からか、クラブマンは以降「ユーザーとのズレ」とも言えるモデルチェンジに至る(画像:ヤマハ)。
ヤマハはSR発売当初の売れ行きの低迷からなのか、クラブマンが登場した翌年には、SRの派生モデルとしてSRX250をリリースします。このSRX250こそ、実はクラブマンの排気量やコンセプトに対抗したようにも感じられるモデルで、SRよりもスポーツ志向に寄せていました。
それでいながらSRX250のデザインは、クラシカルなSRとは真逆の先鋭的なもの。それまでのバイクにはない独特の存在感を放っており、当時のバイクユーザーがSRX250とクラブマンを並べて見た際、明らかにSRX250がカッコ良く映り、一方のクラブマンは「なんだか古臭い」と感じたことでしょう。
そんな経緯があったからなのか、クラブマンのモデルチェンジでは初代のクラシカルな良さを廃し、「SRX250ほどの先鋭性」とまでは言わないものの、やや近未来的に寄せた意匠へと変更してしまったのです。このモデルチェンジから間もなくして、爆発的なカフェレーサー風カスタムブームが起きることをホンダが予見できなかったことで、結果的にクラシカルを貫いたSRに絶大な支持に繋がったようにも思います。
結果的にSRが43年という長きにわたるロングセラーとなった一方、クラブマンは14年間で生産終了に至りました。しかし、特にクラブマンの初代モデルはエンジン、外観とも実に完成度の高いモデルであり、ノーマルでも十分楽しいバイクだったように思います。
「時代ごとに異なるニーズとの微妙なズレ」「他社のモデル(SR)との相対関係」によって姿を消したクラブマンですが、今振り返ってみるとホンダが生産してきた中型のバイクの中でも、実はかなりコンセプチュアルであり、完成度の高い1台だったように思います。