温泉地やダム湖のアクセス路線として賑わうJR吾妻線。その沿線から大きく離れた場所に、巨大な“古代神殿”のような施設をもった「旧駅」が存在します。

実はここが、吾妻線のルーツです。

吾妻線から離れたところに「旧駅」と“古代神殿”

 群馬県の渋川駅から西へ、吾妻川沿いの都市を結ぶJR吾妻線。終点が行き止まりとなる55.3kmもの“盲腸線”ですが、草津温泉や万座温泉のアクセスを担い、東京から電車特急が直通する観光路線です。近年は「八ッ場(やんば)ダム」のアクセスも担います。

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旧太子駅のホッパー棟(乗りものニュース編集部撮影)。

 吾妻線は2014年、ダムに水没する岩島-長野原草津口間の路線が付け替えられ、その旧線の一部は、自転車型トロッコに乗って楽しむ「吾妻峡レールバイク アガッタン」と呼ばれるアクティビティにも活用されています。

 ただ実は、吾妻線にはもう一つ、沿線と離れた場所に「廃線」が存在します。

 かつて吾妻線には、長野原草津口駅から北へ向かう支線がありました。その終着駅が「旧太子(おおし)駅」(中之条町、旧六合村)です。中之条町によって駅の情景が復元され、2018年から一般公開されて観光スポットとなっています。

 復元の核となったのが、延長96mにも及ぶ巨大なコンクリートのやぐら「ホッパー棟」です。

 ホッパー棟は年月を経て風化し、土砂化したコンクリートから頼りなさげにサビ付いた鉄筋が無数に露出しています。

危険だとして立入も制限されていますが、その朽ち果てた感じが逆に、ある種“古代神殿”のような雰囲気すら作り出しています。2021年には登録有形文化財に指定されました。

 このホッパーは鉄鉱石を貯蔵し、貨車へ積み込むための施設です。かつては約8km離れた「群馬鉄山」から太子駅まで、鉄鉱石を運ぶロープウェイが渡されていました。

 鉄山そのものも廃止され、現在は「チャツボミゴケ公園」となっていて、ホッパー棟が鉄山の存在を示す唯一の遺構なのだとか。現在は平屋ですが、かつては3階建ての大きな施設だったそうです。

 登録有形文化財のデータベースによると、ホッパー棟の完成は1944(昭和19)年。戦時中という早い時期のコンクリート構造物の遺構としても、貴重な存在といえるでしょう。

戦時中の突貫工事でつくられた吾妻線

 ホッパー棟の完成直後、1945(昭和20)年1月に、吾妻線は渋川から長野原(現・長野原草津口)を経て太子まで一括で開業しています(長野原-太子間は日本鋼管の専用線として開業)。

関東最奥部の“廃駅”に眠る「朽ち果てたコンクリートの神殿」これは一体…!? 観光路線の意外なルーツ
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旧太子駅(乗りものニュース編集部撮影)。

 この吾妻線はもともと、戦時中の金属不足を解消すべく、鉱物輸送を目的に突貫工事で作られた路線でした。太子支線は、いわば吾妻線のルーツとも呼べる存在なのです。

なお、吾妻線本線はのちに電化されましたが、この支線は電化されないまま1971(昭和46)年に廃止されました。

 中之条町は現在、「中之条町六合地区産業遺産群」として群馬鉄山にまつわる一連の施設を保全しています。その一環として、草に埋もれていたホッパー棟を軸に、かつての姿を再現した小さな駅舎(資料館)や側線を整備したのが「旧太子駅」です。

 その後、大井川鐡道、静岡鉄道、JR四国といった全国の鉄道事業者から貨車などが譲受されており、それらが構内に置かれて“駅”らしい情景がつくられています。なお、うち無蓋貨車が6両あり、「日本一の無蓋車公園」ともうたわれています。

廃線跡どこ…? 「あーーこれだ!!」

 旧太子駅は、長野原草津口駅付近から国道292号をクルマで5kmほど北上したところに駐車場があります。そこから駅施設へと階段を下りていくなかで、ホッパー棟の風化ぶりをつぶさに観察できます。

 このほか、長野原草津口駅の北側には、太子へ向かって白砂川を渡っていた廃線の橋梁と橋台の一部が残っていて。こちらもかなり朽ちたコンクリートが目を引きます。ただ、そこから国道を北上する限りでは、一体どこに廃線跡が? と思うかもしれません。

 実は、旧太子駅に通じている、国道より一段低いところを通る生活道路が太子線の跡です。旧太子駅から国道に合流するまでのあいだの集落内に鉄道の痕跡はほとんど見られないものの、卵型の断面の狭いトンネルが2か所あり、一目で「単線の鉄道トンネルだ!」と分かります。

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