多額の赤字を出している福岡県の第三セクター鉄道、平成筑豊鉄道の沿線自治体からバス転換を支持する声が目立っており、一部区間の鉄路が消える可能性が取りざたされています。発足直後は「三セク鉄道の優等生」ともてはやされた鉄道は、なぜ存亡の機に陥ったのでしょうか。
【路線図】これが「鉄道案」「バス案」の比較です(画像/写真)
平成筑豊鉄道の沿線9市町村は補助金負担が財政を圧迫しており、地域公共交通活性化再生法に基づく法定協議会が2024年12月に設置されました。27人の委員で構成しており、沿線9市町村の担当課長、福岡県と国土交通省九州運輸局の課長、平成筑豊鉄道の河合賢一社長らが入っています。
協議会は2025年12月、平成筑豊鉄道のあり方の方向性について沿線自治体が次の3つの選択肢を提示し、委員の書面投票で決めることを発表しました。
(1)鉄道を維持して平成筑豊鉄道は運行(上)に特化し、線路や設備の維持・管理(下)は自治体が担う「上下分離」方式への移行。
(2)路線の一部を舗装した専用道にし、バスを走らせるバス高速輸送システム(BRT)への転換。
(3)路線バスへの転換。
沿線9市町村の今後30年間の負担総額は、(1)が439億円、(2)が148億円、(3)が110億円と試算されています。
書面投票は2026年3月13日が提出期限で、これらの中から一つの案を決定します。棄権した委員を除く過半数で決定し、最初の投票でいずれも過半数に達しない場合には支持が多い上位2案の書面決議を実施します。
9市町村の過半数はバス転換を支持する意向が報じられており、鉄路が消える可能性も現実味を帯びています。
当初は「攻めの経営」を打ち出すも…平成筑豊鉄道は旧国鉄の赤字3路線だった伊田線、糸田線、田川線(営業キロ計49.2km)をJR九州から引き継ぎ、1989(平成元)年10月に運行を始めました。元号の平成を社名に冠した鉄道会社は唯一です。
運行中の平成筑豊鉄道400形(大塚圭一郎撮影)
3路線はいずれも非電化路線で、ディーゼル車両を走らせています。これらの路線は、沿線地域で「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭が産出されていた明治時代に石炭を運ぶために建設されました。しかし、炭鉱の閉鎖を背景にした沿線からの人口流出で利用者が落ち込み、旧国鉄の廃止対象となりました。
この際に福岡県と沿線自治体は3路線いずれも鉄道として維持することを決め、福岡県と沿線自治体が出資する三セクとして開業しました。発足当初はJR九州時代に比べて旅客列車の運転本数を増やし、新駅を順次開業する「攻めの経営」に打って出ました。
転換から3年目の1992年度に利用者数は約342万人とピークを迎え、国鉄時代を上回り、国鉄の赤字路線を引き継いだ三セク鉄道の不振が目立った中では「優等生扱いでした」(元平成筑豊鉄道幹部)。
しかし、二つの逆風が平成筑豊鉄道の経営を揺るがします。一つは2004年の貨物輸送の廃止です。
発足当初の1990年度の貨物輸送収入は約2億2000万円に達し、旅客輸送の恒常的な赤字を穴埋めしていました。ところが2004年にセメント輸送が終了したことで貨物輸送が廃止され、重要な収益源を失いました。
もう一つは、炭鉱閉鎖などを背景にした過疎化と、マイカー利用によって歯止めがかからない輸送人員の減少です。2024年度の輸送人員は約125万人と、発足当初の3分の1超まで落ち込みました。
勤務先の福岡支社在任中に全線を乗った筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は福岡県を再訪し、田川線の全区間に乗車しました。
開業から7年弱の駅もあるのにJR日豊本線の行橋(行橋市)と伊田線・JR日田彦山線の田川伊田を結ぶ田川線は16駅あり、うち10駅は2024年6月13日の乗降人員調査で二桁(10人以上100人未満)という特に厳しい路線です。
平成筑豊鉄道の令和コスタ行橋駅の駅名標(大塚圭一郎撮影)
平成筑豊鉄道の行橋駅は、日豊本線の小倉方面の列車が発着するプラットホームの先にあります。停まっていたのは主に黄色の車体で、イメージキャラクター「ちくまる」のイラストなどで装飾したディーゼル車両400形の「なのはな号」です。
10人弱の利用者を乗せた1両だけの車両は、ひと駅目の令和コスタ行橋駅(同市)に停車。2019(令和元)年8月に開業したばかりの駅で、元号の「令和」と、近くにある商業施設「コスタ行橋」から命名されました。平成筑豊鉄道のレストラン列車「ことこと列車」や、JR九州の豪華寝台列車「ななつ星in九州」などを手掛けた水戸岡鋭治さんがデザインした駅で、筑豊杉などの地元木材をふんだんに使っています。
2024年の乗降人員調査では218人と、田川線では首位の行橋(620人)、2位の勾金(まがりかね、香春町、244人)に次いで犀川(みやこ町)と同数の3位です。
田園地帯を進んだ列車は、行橋から7駅目の犀川のホームに滑り込みました。この駅では反対方面へ向かう、5台分の自転車ラックを備えたサイクルトレイン「黒銀(くろぎん)」との行き違いがありました。500形を改造して2024年に登場した「黒銀」の光沢のある黒色の車体は、沿線地域で産出された石炭のうち「最も純度が高く表面がキラキラと輝く”無煙炭”をイメージした」(平成筑豊鉄道)といいます。
華麗な駅舎が待ち受ける温泉施設「源じいの森温泉」の最寄り駅である源じいの森(赤村)からはやぶを抜け、第四今川橋梁を渡ると油須原(ゆすばる、赤村)に着きます。
平成筑豊鉄道400形「なのはな号」の「MrMax田川伊田」に到着前の車内表示(大塚圭一郎撮影)
隣は「赤」というユニークな駅名で、赤村にあります。ここには国鉄時代に路線が建設されたものの、途中で工事が中止された「未成線」の線路敷を活用した「赤村トロッコ油須原線」が3~11月のそれぞれ月1日運行しています。赤駅前から野原越トンネルまでの3.6kmを往復し、トンネル内にはコウモリの姿も見られます。トロッコの色と同じく、平成筑豊鉄道の赤駅の駅名標も村名にちなんで赤く塗られていました。
赤の2駅先の柿下温泉口(香春町)は、その名の通り高濃度天然ラドン鉱泉「柿下温泉」が近くにあります。しかしながら休業しており、2024年の乗降人員調査では16人と、12人で最少だった崎山(みやこ町)に次いで下から2番目でした。
約1時間後、列車は駅名標に「MrMax田川伊田」と記された田川伊田に到着しました。ディスカウントストア「MrMax」を運営するミスターマックスがネーミングライツ(命名権)を持つ駅で、JR九州日田彦山線と乗り換えられます。
下車して驚いたのは、ローカル線同士の接続駅とは思えない3階建て鉄骨造りの華麗な外観の駅舎です。ところが、駅前から延びている全長約450mのアーケード商店街「伊田商店街」はほとんどの店が閉鎖し、シャッター街になっていました。昭和時代にタイムスリップしたようなたたずまいの商店街は、「炭鉱があった頃は賑やかな商店街で、大勢の人通りがあった」(田川市民)と言います。
石炭がとれた頃の栄華がすっかり過去のものとなり、利用者がまばらになってサステナブル(持続可能)ではなくなった光景は、平成筑豊鉄道が置かれた経営状況と軌を一にしていました。

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