空中から投下できて、水陸両用で、それでいてミサイルも撃てる強力な戦車砲を搭載という、ラーメンにたとえるなら「全部のせ」のような戦車をアメリカは作ろうとしたわけですが、しかし世の中それほどオイシイお話はありませんでした。

ロマンあふれる「水陸両用空挺戦車」どう実現?

 強力な火力を持った戦車が戦場に現れれば、それは敵にとっては大変な脅威です。

さらにそれが空を飛んでやってきたら、あるいは水面を渡り突然現れたら、考えるだけでも恐ろしい兵器になるでしょう。そのような恐ろしい兵器は戦車黎明期から世界各国で研究されており、そして実用化されたもののひとつが、アメリカの開発したM551「シェリダン」です。


アメリカ軍によるパナマ侵攻に投入されたM551「シェリダン」。パナマ市内バチカン大使館近傍にて(画像:アメリカ合衆国陸軍戦史センター)。

「シェリダン」の開発は1950年代半ばにスタートしました。その際にまとめられた基本構想は下記のようなものです。

・水陸両用車両であること(水上航行能力)。
・空中投下に耐えられること。
・既存の軽戦車をしのぐ火力と機動力を持つこと。
・重量は10t以下に抑えること。
・152mm口径のガンランチャー(後述)が搭載できること。

 やりたいことはわかりやすいのですが、これはかなり無茶苦茶な要求です。

軽量化と機動力は両立が可能ですが、その上、空中投下の衝撃に耐えられる頑丈さと、152mm口径のガンランチャーという大火力が搭載できる大きさは、なかなか両立させられるものではありません。

 しかし、それでも12社から案が提出され、そのうちキャデラック社の設計案が採用されることになりました。彼らはこの不可能とも思えるような要求をどのようにしてクリアしたのでしょうか。

とにかく軽く! 軽量化を徹底するためには材料から

 まず彼らは、空挺戦車や水陸両用戦車としての性能を重視するため、徹底した軽量化に取り組みました。車体の素材に選ばれたのはアルミ合金です。

 アルミ合金といえば、一般的に想像しやすいのはやはり缶ジュースなどの容器でしょう。

とはいえ、あのジュースの缶が、そのまま戦車になったわけではなく、合金の種類としてはまったく別の、強度を大きく上げたものです。たとえば軽くて丈夫で航空機の材料として広く使用されるジュラルミンもアルミ合金の一種です。「シェリダン」に使用されたのは、そうしたアルミ合金のなかの「7000番台」に分類されるもので、同じ7000番台には零式艦上戦闘機にも使用された超々ジュラルミンなどが見られます。

 また、全体がアルミ合金だったわけではなく、砲塔は圧延防弾鋼板を溶接したものが使用されていました。加えて水陸両用戦車としての浮航性を確保するために、車体側面は中空装甲として中にウレタンフォームを充填し、水に浮くようにしました。

 主砲には、要求通り152mm口径のガンランチャーが装備されました。

「ガンランチャー」とは、砲弾と対戦車ミサイルの両方が発射可能な砲のことで、当時、最新鋭であった対戦車ミサイルと多目的弾を合わせて30発搭載可能でした。エンジンは、V型6気筒液冷ターボチャージド・ディーゼルエンジンを採用。軽量で機動性が高いのが特徴です。

 ただ、ここまでしても重量だけは10tという要求を守れず、約15tとなりました。しかし、全長約6m、全高約3mという、中戦車と並んでも遜色ない大きさの戦車でこの重量は画期的です。こうしてM511「シェリダン」は制式採用されました。

要求通り完成 いざ戦場へ! ただしそこはベトナムの密林

「シェリダン」は当初の要求通り、輸送機からの空中投下が可能な「空挺戦車」となりました。パレットに縛り付けるように固定した状態で輸送機から投下されると、3個のパラシュートを開き地上へと降りていきます。また弾薬や燃料などを積載しない状態であれば、輸送ヘリコプターの機外に吊り下げて運ぶことも可能でした。


ベトナム戦争に投入されたアメリカ陸軍の空挺戦車M551「シェリダン」。1969年8月31日撮影(画像:アメリカ陸軍)。

 時代は1960年代、ベトナム戦争が熱をおびはじめ、激しい戦闘が繰り広げられるようになった頃です。

早速、「シェリダン」は約1000両が生産され、その戦場へと送られました。

 しかし、ベトナム戦争で「シェリダン」は、はっきり言って大した活動はできませんでした。その最大の能力であったはずの戦車空挺作戦は行われず、また水上航行能力が発揮されたという記録も残されていません。軽量化のために限界まで細くした履帯(いわゆるキャタピラー)は、湿地の多かったベトナムでは機動力を発揮できず、また車体が軽いため、障害物を乗り越えることも難しかったのです。

 また熱帯雨林の気候のために、152mm砲弾の薬莢が膨張して、装填できなくなるトラブルも発生。鳴り物入りで導入された最新鋭の対戦車ミサイルはといえば、「不発になり、敵に見つかって研究されたら困る」という理由で、戦場に持ち込まれることすらなかったのです。

 さらに不運は続きます。空挺投下をメインに考え抜かれた軽量化は、やはり脆弱でした。ゲリラの手にする携帯式の対戦車兵器や地雷で簡単に破壊されたり、搭載した車内の砲弾に誘爆して車体が内部から爆散したりした例もあり、次々に破壊されていきました。

いざ空へ! 唯一実行された空挺作戦の結果は…?

 それでも、「シェリダン」は地雷用の増加装甲を取り付けたり、ミサイルの運用能力を取りはずしたりして、ベトナム戦争を戦い抜きました。最終的にベトナムで破壊された数は、約300両以上だったといわれています。


1979年に撮影された、東西ドイツ国境の守備に就くM551「シェリダン」(画像:アメリカ国立公文書記録管理局)。

 その最大の能力であった空挺降下を見せることなく、その多くが破壊されてしまった「シェリダン」でしたが、実戦において一度だけ空挺降下を行ったことがあります。

 それは1989(平成元)年、アメリカのパナマ侵攻の時です。1個中隊の「シェリダン」10両がパラシュートで投下され、戦場へと舞い降りました。しかし、着地時に損傷、故障する車両が続出。砲弾の薬莢が割れて、火薬が車内に散らばってしまった車両もあり、降下後に活動できた車両は約半数だったといいます。

 やがて1991(平成3)年の湾岸戦争を最後に、すべての「シェリダン」は予備役となりました。これ以後、アメリカ軍で空挺戦車と軽戦車の制式化はなく、世界的にも実戦で使用された空挺戦車は、M551「シェリダン」が最後の存在となっています。この戦車が、成功だったのか失敗だったのか、その答えはまだ出ていません。