かつて軍用機の機体をさまざまなイラストが彩っていた時代がありました。「ノーズアート」と呼ばれ、士気向上につながると軍の上層部も黙認していたといいます。
戦闘機など軍用機の機首に描かれた派手なイラストを「ノーズアート」といいます。当初は機首部分に描かれたものが多かったためこの名が付きましたが、その後、描かれる場所は胴体や尾翼など機体全体へと広がり、すべてを含めて「ノーズアート」と呼ばれるようになりました。これは、飛行機が戦争に導入されたその初期から脈々と受け継がれてきた伝統で、時代に応じたさまざまなイラストが描かれてきました。
いわゆる「ピンナップガール」が機首を飾るB-17G爆撃機。写真のノーズアート「Shoo Shoo Shoo Baby」はオリジナルのもの(画像:国立アメリカ空軍博物館)。
いつからノーズアートが始まったのか、それは定かではありませんが、第1次世界大戦時、戦闘に使用された複葉機の胴体には、すでに動物をモチーフにした図案や装飾文字などが描かれていました。
当時の航空機パイロットには貴族出身者も多く、彼らが自分の家の紋章や、自分のステータスを表す図案などを書き込んだのがそのスタートだったようです。騎士たちが戦いの際に紋章を描いた旗を戦場に持ち込み、存在を示したのと同じような感覚だったのだと思われます。
第2次世界大戦に入ると、その様相は少し変化しました。アメリカ軍を中心に、戦闘機や爆撃機には愛着や戦意高揚を促すといった目的でノーズアートが描かれるようになったのです。好まれたのは女性の、裸体やセクシーな衣装の姿。
もちろん、戦場には女性もいますし、当時のフェミニズム団体などからの批判を受け、こうしたイラストが禁止になったこともありました。戦意向上のために黙認していた軍幹部も、何度か無難な絵に描きなおすよう命令を出したこともあります。それでも、ノーズアートからピンナップガールが消えることはありませんでした。
WW2後はノーズアート全盛へ…一方日本は?第2次世界大戦中から戦後、そして特にベトナム戦争の激化期にかけ、ノーズアートの文化はさらに花開き、さまざまな絵が描かれるようになっていきました。セクシーなピンナップガールのほか、機首をサメの口に見立てて口や牙などを書き込む「シャークティース」、当時人気のあった漫画やアニメのキャラクター、死神やどくろなど死を連想させるもの、敵国への差別を含んだ内容のイラストなど、第2次世界大戦時から描かれてきたモチーフもさらに過激に、差別的に描かれるようになっていきました。
やがて1980年代、セクハラなど世間の目が変化してきたことにより、ピンナップガールのような女性のイラストは描かれなくなっていきました。一方、キャラクターやどくろ、死神といった過激なモチーフや派手なカラーリングはより一層エスカレートしていきます。
1990(平成2)年以降、F-14の引退からF/A-18Fの導入時にかけて、それはピークを迎えたといいます。機体の一部に絵を描くだけだったイラストは、機体全体のカラーリングへと発展し、あまりの過熱ぶりにアメリカ軍は、機体へのカラーリングに規制を設けるほどだったといいます。

アメリカ軍機のノーズアートにはアニメ調のキャラクターも見られた。
少し時を戻して、日本の戦闘機や爆撃機のノーズアートについて見てみましょう。
第2次世界大戦時、派手な女性の描かれたアメリカ軍軍用機を目にした日本軍は「アメリカ軍はやる気がない」「ふざけている。これなら勝てるはずだ」と、憤りを感じたようですが、そのような日本にもノーズアートは存在しました。
多く描かれたモチーフは、稲妻や矢印、数字を図案化したものなどが中心でしたが、なかにはツバメや折り鶴、富士山など風流なイラストが描かれた機体もあったようです。機体への愛着と士気高揚を目的とした意図は同じでありながら、描かれた図案はアメリカとはまったく違う日本。その奥ゆかしさには驚くばかりです。
消えゆく文化か? 今後あまり見られなくなるかもしれないノーズアートしかし、戦後アメリカの主導のもと航空自衛隊が発足すると、ノーズアートもアメリカ文化として日本に導入されました。アニメや漫画のキャラクターが描かれるようになり、アメリカナイズされたノーズアートが過熱していきます。F-4「ファントムII」は尾翼いっぱいにオジロワシが描かれ、記念塗装には有名な漫画家に機体いっぱいのノーズアートを依頼するまでになり、やがてこちらもアメリカ同様に規制が入るようになりました。

尾翼に航空自衛隊第302飛行隊の部隊マークであるオジロワシが描かれた、F-4EJ改「ファントムII」戦闘機(画像:航空自衛隊)。
2020年現在は、アメリカ軍も航空自衛隊も、あまり大きなイラストは塗料も膨大になるため飛行性能に影響が出るとして、基地祭や記念行事の際に一部の機体が塗装されるだけにとどまっています。
塗装ではなく、ステッカーシールで張り付ける方法もありますが、そちらも機体表面にわずかな凹凸が生まれるため、空気抵抗が変わってしまい、あまり良い方法ではありません。現在の戦闘機の表面には、多数のアンテナやレーダーが取り付けられているため、そうしたものに配慮して塗装を行うのも大変な労力になるでしょう。
このような状況を考えると、今後このノーズアートが、かつてのような活気を取り戻すのは難しいと考えられます。尾翼のスコードロンマーク(部隊マーク)でさえロービジ(低視認性)塗装が基本となり、上述のオジロワシは機体がF-35「ライトニングII」戦闘機に更新されると、白1色で比較的小さなものになりました。ステルス性がこれからも重要視されていくことでしょう。
このステルス性に関わる特別な塗料には赤色がまだ開発されておらず、赤い「日の丸」すら付けられない状況になっています。F-35戦闘機などの最新のステルス機に派手な記念塗装を施した例はまだほとんどなく、今後どのような記念塗装が行われるのか、そもそも実施されるのかすらわかりません。
戦闘機本来の役割を考えれば、敵に見つかりやすい派手な塗装はしないほうがよいというのはわかっていますが、それでもファンとしては寂しいものですね。