「昼ご飯は食べないんです」

 午前9時にチーム練習が始まる直前、インタビューをどのタイミングで始めるか打ち合わせをしていた。チーム関係者から昼休憩のタイミングを提案されていたため、本人にも同様の打診をすると、冒頭の言葉が返ってきた。

 昼食をとらないのは今日に限らないのかと聞き直すと、平然とした様子で「あまり食べないですね」と返ってきた。私は内心「やっぱり独特な感性は変わっていないな」と思わずにはいられなかった。

 植田拓。身長165センチの小兵ながら、盛岡大付(岩手)では高校通算63本塁打のスラッガーとして活躍した。2年夏から甲子園で3季連続ホームランを放ち、3年夏の3回戦・済美(愛媛)戦では2打席連続ホームランの離れ業を演じた。

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今年からBCリーグのオセアン滋賀ブラックスでプレーする植田拓

 甲子園での試合前の囲み取材中、植田を巡ってこんなやりとりがあった。
ある記者から「昨日は何時に寝ましたか?」と聞かれた植田は「一睡もしていません」と答えた。試合が楽しみすぎて、前夜は眠れなかったのだという。

 しかも眠らなかったのはその1試合だけでなく、3季の甲子園で3回もあった。植田は「寝不足のほうが、いい結果が出るんです」と大真面目に語っていた。

 あれから4年。「寝ない」に加えて「食べない」という人間の欲求にあらがうかのような言葉を聞いて、植田の特殊さは健在だなと笑いがこみ上げてきた。

 植田は今季からBCリーグのオセアン滋賀ブラックスに在籍している。だが、多くの野球ファンにとって植田の記憶は華々しい高校時代でストップしているはずだ。

 高校3年夏の甲子園で放った2打席連続ホームランは強烈だった。1本目は1点ビハインドと後がない9回表に放った同点弾。2本目は延長10回表に放ったダメ押し3ランである。

 とくに2本目は信じがたい内容だった。

無死二、三塁、カウント3ボール0ストライクの状況で、相手バッテリーは「歩かせてもいい」と考えたのだろう。外角にわずかに外れる136キロのストレートを投げ込んだ。ところが、植田はこのボールを踏み込んで強振。打球はぐんぐん伸びて、バックスクリーンに飛び込んだ。

「あのホームランは絶対打てるという自信があったんです」

 当時の内幕を植田は明かしてくれた。

「9回に打席に入る前、監督(関口清治)から『絶対に塁に出てくれ』と言われていたんです。

前の回からピッチャーがエースの八塚(凌二/済美→伯和ビクトリーズ)に替わっていて、1球見た時点で『これは絶対いける。三振はせえへん』って感じたんです。高めのボールに反応して、ホームランを打てました」

 理解不能の2本目には、思わぬ裏話が眠っていた。

「(無死一、三塁から)2球目にエンドランのサインが出たんですけど、打席で『絶対打てるから!』という顔をして、サインを無視したんです。ボールを見逃して監督からにらまれましたけど(一塁走者は盗塁に成功)、3ボールになっても『絶対打てます』という顔を監督に見せていました。『絶対真っすぐしか投げてこない』と思ったら真っすぐがきたので、ボール球でしたけどバットを振りました」

 何度も飛び出す「絶対」の根拠は、植田特有の感覚でしかないのだろう。

 しかし、これほど超人的なパフォーマンスを見せた植田でも、2017年秋のドラフト会議でプロ志望届を提出しなかった。ドラフト会議後、ダルビッシュ有(パドレス)が自身のSNSで「自分としては植田拓選手をプロで見たかった」と発信し、植田の存在は大きくクローズアップされた。

「自分は母子家庭だし、お金のかかる大学には行かずにプロに行きたい」

 植田本人は強いプロ志望を持っていた。待ったをかけたのは恩師の関口監督だった。当時、植田は右手首に爆弾を抱えていたためだ。

「3年春のセンバツが終わったあと、試合中に逆方向に打ったら手首から『ボキッ!』と音がしたんです。

しばらく放っておいたんですけど、少しずつ痛みが響いてきて、バットが持てないようになってしまいました」

 病院に行くと、右手首の舟状骨(しゅうじょうこつ)が欠けた状態だと診断された。手術の選択肢もあったが、植田は手術を回避して痛み止めの注射を打って試合に出続けた。夏の甲子園は「アドレナリンがマックス出ていたので、試合中は痛くなかった」と植田は振り返る。

 手首を万全にしてからプロを目指したほうがいいという関口監督の説得に納得した植田は、新潟の企業チーム・バイタルネットへと入社する。ところが1年目のキャンプでいきなり運命は暗転する。

「守備中にフェンスに右手を強くついて、さらに悪化させてしまったんです。それからはずっと手首が痛くて......」

 治療の成果が表れず、別の病院で見てもらうと「手首の骨が変形しているから手術をしたほうがいい」と勧められた。復帰には1年から1年半かかるという。悩んだ末に、植田は手術を受けることにした。

 時を同じくして、植田の人生に大きな転機があった。中学時代から交際している女性・実穂さんとの間に子どもができたのだ。

 新たな生命の誕生は植田に純粋な喜びを与え、父親としての自覚を芽生えさせた。すると、動かない手首と自分の未来が急に心細く感じられた。

「鬱状態になっていました。なんで野球できへんのやろ、ホンマに治るんかな......と不安で。周りが練習しているのを見るのもしんどくて、3~4カ月もすると野球に行くのが嫌になってました」

 妻子と生活するには、今の会社の待遇では破綻してしまう。そう思いつめた植田は2年目にして退社を決意する。

 故郷の大阪に居を移し、飲食店で働き始めた。途中から介護施設のアルバイトも並行し、野球は友人の紹介で加入したクラブチームでプレーする程度だった。

 だが、植田の才能を惜しむ声は大きかった。国内独立リーグでのプレーを熱心に勧める関係者もいたが、植田は給与がシーズン中しか出ない独立リーグの厳しい待遇を知って尻込みしていた。

 ところが、悩む植田とは対照的に妻の実穂さんはさかんに発破をかけた。

「このまま野球が終わってええんか?」

「プロに行けるんちゃうか?」

 もっとも身近な理解者から背中を押され、植田は独立リーグからNPBを目指す道を選んだ。

 2020年6月末に四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツに入団。しかし、植田を待っていたのはさらなる試練だった。

「気持ちは『絶対行ける!』という思いがあったんですけど、想像以上にブランクは大きかったです。ストライクゾーンやコースへの距離感が全然つかめませんでした」

 回復途上の右手首には痛みが残っていた。バットにボールが当たるインパクトの瞬間、恐怖から右手首をかばう打ち方になっていた。さらに体重が86キロに増え、動きのキレまで失われていた。

 結局、27試合に出場して打率.147、0本塁打という無残な数字が残り、ドラフト会議前にNPB球団からの調査書は届かなかった。

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 今季は心機一転、滋賀に移籍。開幕前のオープン戦ではおもに7番で起用されているが、決して首脳陣からの評価が低いわけではない。柳川洋平監督は言う。

「植田の魅力は体が小さくても強く振れるところにあって、ちょこまかと打っても魅力はありません。去年は結果が出ず、スイングがおとなしくなっていた。今年は強く振るなかで確実性を高めたほうがいいと本人とも話して、下位打順に置いています」

 植田に右手首の状態を聞くと、「90パーセントくらいまでよくなっています」と力強く答えた。インタビュー後の打撃練習では、しなやかにヘッドを使い外野後方まで伸びる打球が見られた。植田ならではのインパクトの爆発力はまだ物足りないものの、着実に復活へと近づいている。

 高校時代の経験が今の自分にどのように生きているかを尋ねると、植田は意外にも「僕は忘れたいんです」と答えた。

「高校時代の僕のイメージが強いと思うんですけど、もう終わったことなので。僕はここで新しい野球スタイルをつくっていきたい。それは嫁ともよく話すんです。嫁は気が強いので『過去の栄光にしがみつくな』と言われますよ」

 そう言って、植田は人懐っこい笑顔を見せた。今季の目標は打率3~4割、本塁打10本以上、盗塁5~10個だという。

 ちなみに、昼食をとらない理由は「減量」のためだという。昨年よりも現時点で10キロも絞り、さらにベスト体重である72キロへと近づけるため摂生しているそうだ。

「去年と比べて気持ちを入れ替えて、『今年はやるんだ』という思いがあります。嫁とは『ダメなら最後』という話もしています。今年でなんとかNPBに行くつもりです」

 球団創設から4年連続最下位に沈み、昨季は7勝47敗4分と壊滅的な成績に終わったオセアン滋賀ブラックス。だが、今季は植田とともに愛媛からエース候補の菅原誠也、主軸候補の小笠原康仁、太田直哉らが加入。将来有望な高卒新人も多く入団し、戦力アップしている。

 なかでも知名度が突出している植田が活躍すれば、滋賀の躍進ぶりは大きな注目を集めるに違いない。

 個性的なキャラクターは最高峰の舞台でこそ、より輝きを増す。異色のスラッガー・植田拓の勝負のシーズンが始まった。