寺本明日香インタビュー前編

日本の体操女子を約10年にわたりけん引し、今年4月に現役生活を終えた寺本明日香さん。2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと2度の五輪に出場し、リオでは団体4位、個人8位の活躍を見せた。

引退から少しの時を経て、寺本さんは今、競技人生をどう振り返るのか。インタビュー前編では、引退を決めた経緯、最後の大会に込めた思いを聞いた。

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今年4月に現役引退した寺本明日香さん

「最後の試合です」という場をつくりたかった

ーー現役最後の試合となった全日本選手権では、床運動で全体12位の12.666点を出し、段違い平行棒は10位の13.266点。そして最後の平均台を18位の12.633点で終えた時には涙も流していました。楽しむことができた全日本でしたか?

寺本明日香(以下、寺本)
 プレッシャーやギスギスした緊張感もなくて楽しめました。それでも、ある程度の緊張はあって、試合会場に入った時もこれまで何百回と試合をしてきたなかのひとつという感覚でした。

 全日本は10年以上出場し続けてきましたが、何回出ても「嫌だな」「怖いな」という気持ちがあって慣れないですね(笑)。

その先にある、五輪や世界選手権を見据えて練習をしてきた成果を出す、シーズン最初の一番大事な試合なので。通過点にしないといけないけれど、絶対に失敗できない試合という難しさもあるんです。

「死ぬ気で跳ぶのはもう無理だな」体操・寺本明日香が引退を悟った瞬間。最後の舞台は「これからはあなたたちだよ」と伝えたかった
「死ぬ気で跳ぶのはもう無理だな」体操・寺本明日香が引退を悟った瞬間。最後の舞台は「これからはあなたたちだよ」と伝えたかった
ーー世界大会の代表選手は全日本のあとのNHK杯で決まりますが、NHK杯のほうがラクでしたか?

寺本
 そうなんです。NHK杯のほうが重要な試合だけど、全日本で一度予選と決勝の2本の試合をしているので、すんなりと入れることが多かったですね。やっぱり全日本の予選が一番緊張するかな。24位以内に入らないと決勝に進めない。
2回くらい失敗したら入れないので、「下手をしたら」という不安もある。

 ただ10年くらいやってきてその失敗はしなかったです。アキレス腱を切ったあとの2020年12月の試合は13位で、翌年4月の試合は6位だったけど、その他の年は1~3位には入っていたし、決勝も必ず第1班には入っていました。

ーー最後の試合を全日本選手権にしたのは、嫌で怖かった試合で楽しく演技したいと思ったからですか?

寺本
 一回楽しくやりたいというよりも、出場できなかった去年の東京五輪があってそのままフェイドアウトするのではなく、ちゃんと「最後の試合です」という場をつくりたいという思いがあって。(コロナ禍で)ずっと試合がなかったから必然的にそうなった感じです。

 東京五輪前の全日本で今年の出場権を獲っていたから、それを使う、使わないのも自由だと思いました。
苦しかったといえば苦しかったし、トップでやっていた時の技に戻せていない状況で自分のプライドのことも考えたけど、それよりも最後の試合をしたいという一心でした。本当に全日本が最後になったのは私にとってはよかったと思います。

「死ぬ気で跳ぶのはもう無理だな。限界だな」

ーー昨年5月のNHK杯が終わったあとの取材では、「ここまでだなと思って演じた」と話していて、すぐにもやめたいのではないかと思いました。しかしその後は東京五輪の補欠選手にも選ばれ、合宿にも参加するなかで、「もう少し」と思ったのですか?

寺本
 あの時はけっこう心が折れていた時期なんです(笑)。本当に(体操を)やりたくない状態でした。

でも五輪へ向けてやらなければいけないから、最後の仕事だと思って。心は嫌だけど体は動くので、このまま終わるのもどうかなと思うようにもなって。公式に進退を明らかにしていなかったので、友達からも「終わるの? 終わらないの? どっちなのよ」みたいに言われました。自分でも「終わる?」と言ったら「う~ん」だし、「やるの?」と言っても「う~ん」だし。白黒ハッキリしてなかったからモヤモヤした感じでした。

ーー心ではもうやめたと思っているけれど、体はまだやめたとは思ってなかったのでしょうね。


寺本
 そうですね。そのあとも気持ちが入ると(演技は)できちゃうけど、足の痛みはありました。足を治したら気持ちが乗っていくのではないかなと思って、1カ月くらい足を休ませたら一時的に痛くなくなって。でも、10年間はずっとトップレベルの練習をしていたから、その練習をすると体がきつくて「限界だな」というのがわかりました。食生活もそれなりに考えてやったけど、体をちゃんとつくり上げるのが難しかったですね。

 跳馬は特にそうですね。
私は「チュソビチナ」(前転跳び前方伸身宙返り1回半ひねり)という技をやるので、毎回死ぬ気で跳んでいます。衝撃も大きくて毎回事故に向かうようなものだから、相当な緊張感もあって気持ちと体のコンディションがそろっていないとできない。でも、「死ぬ気で跳ぶのはもう無理だな。限界だな」と思いました。

 だから全日本では、跳馬は自分の得意種目でもあるけど、自分の最高の演技は過去の映像に残っているからそれを最後にすればいいと思って回避しました。ただのプライドだったかもしれないですけど(笑)。

ーーそして、心身は納得しましたか?

寺本 もう無理って思いました。だから終わってからは日常生活でもスポーツはしていないし、何もしようとは思わない。階段を上がるのが今の一番のスポーツという感じです(笑)。

「これからはあなたたちだよ」

ーースピードスケートの小平奈緒選手も今年のシーズン最初の試合をラストレースにすると発表しています。あとに続く選手につないで現役を終えるという点で似ていますね。

寺本
 10年以上も日本代表としてやってきたら、引退の時はやっぱり大切にしたいというか。たぶん、どんな演技でも見てくれるだろうなと思ったのと、「見たい、見たい」と言ってくれる友達もたくさんいたので、本当にその気持ちだけで。演技会じゃないけど、点数も関係なく演じたところはありました。

 自分が演じて何かを残したいというか、「これからはあなたたちだよ」というのを、後輩たちに伝えたかったです。世界選手権や五輪に1回出るだけでもすごいことだけど、やっぱり日本の女子を引っ張っていってもらいたいし、みんなに応援されて尊敬されて、頼られる選手になってほしい。

 それを言葉よりも、背中で見せる最後の終わり方を見てほしかったです。だから最後の試合は、点数は全然出ていなかったけど、私は幸せだったと思います。

「死ぬ気で跳ぶのはもう無理だな」体操・寺本明日香が引退を悟った瞬間。最後の舞台は「これからはあなたたちだよ」と伝えたかった
ーー東京五輪へ向けての最後の戦いはアキレス腱断裂からの復帰途上でしたが、そこで挑戦をやめる選択肢はまったく考えなかったのですか?

寺本 体ともだいぶ相談しました。やりたい気持ちはいっぱいなのに、やればやるほど痛みがひどくなるので、ダメだなとも思って。アキレス腱を切ってから一番怖かったのは、足のつま先で蹴る動作でした。一番影響がある床は結局、技のレベルを落としたけど、跳馬は「チュソビチナ」を絶対に戻したかった。でも助走で左足は蹴ることができず、かかとから着くベタ足のような走り方になって、そのうち反対の右足も古傷が痛み出しました。

 五輪選考会の時は痛み止めを2回打って体に無理をさせたからまだマシだったけど、跳馬の助走に関しては結局、目指していたレベルには戻りませんでした。でも五輪への挑戦を途中で断念するというのはどの選手にもないことだろうし、私の選択肢にもなかったですね。プライドというより、決めたことだから最後までやりたい、自分に負けたくないという気持ちでした。

 最後の全日本も痛みで練習ができず、調整と体のケアの毎日で1年ぶりの試合だったけど、やると決めたので経験だけで何とか演じました。あんな演技ができたのは本番だけ、という感じでした(笑)。

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【プロフィール】
寺本明日香 てらもと・あすか 
1995年、愛知県生まれ。ミキハウス所属。16歳で初出場の2012年ロンドン五輪で団体8位。2016年リオ五輪では個人8位、団体4位入賞を果たした。2019年世界選手権ではキャプテンとしてチームを引っ張り、東京五輪の団体出場枠獲得に貢献。2020年2月に左アキレス腱断裂のケガを負う。翌2021年全日本選手権は6位に終わり、3回目の五輪出場は逃した。2022年全日本選手権を最後に現役引退した。