髙津臣吾×真中満 新春対談 第3回

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2022年、東京ヤクルトスワローズセ・リーグ連覇に導いた髙津臣吾監督と、元ヤクルト監督でプロ野球解説者の真中満氏が対談。第3回は、オリックス・バファローズとの日本シリーズの激闘について話題が移っていく。



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2022年の日本シリーズ・ヤクルト対オリックス初戦

【コロナの大量離脱時を支えた「無形の力」】

真中満(以下、真中) 2022年シーズン中、コロナによる大量離脱があっても、8月の横浜DeNAベイスターズの猛烈な追い上げがあっても、僕は一貫して、「でも、優勝はヤクルトだろう」と言っていました。決して、社交辞令でもなく、忖度でもなくて(笑)。

髙津臣吾(髙津) 真中さんがそう思ったのは、どうしてですか?

真中 他球団で、ヤクルトを追い詰めるようなチームが見当たらなかったからです。よっぽど何か不測の事態が起これば不安材料も出てくるかもしれないけど、コロナ禍に見舞われても何とか持ちこたえたし、ベイスターズの猛追も乗り越えた。やっぱり、ヤクルトが勝つだろうと思っていましたね。

髙津 でも、現場としては毎日がハラハラドキドキでしたよ。「今日も絶対に負けられない!」とか、そんな思いで必死でしたからね。

ペナントレース終盤には、硬くなっている選手もいたし、コーチ室での会話も明らかに減っていましたからね(笑)。

真中 確かに、序盤に突っ走った分、ゲーム差が縮まってくるとイヤな気分にはなりますよね(笑)。

髙津 野球とは関係ないある人が、ポツリと「やっぱり、貯金はするものだな」って言っていたんです。「お金はある時に貯めておくものだ。浪費家はダメだ」って言っていたんだけど、この言葉はすごく身に沁みましたよ(笑)。

真中 それにしても、コロナ以前とコロナ以後とでは、ペナントレースでの戦い方もガラッと変わったけど、監督のなかでの気持ちの変化などはあったんですか?

髙津 どうだろうな? コロナによる混乱はあったけど、そこで崩れなかったのはみんなが同じことを考え、同じものを見ていたからだと思いますね。
それぞれが「ああしよう、こうしよう」とか、「よしオレがやるぞ」とか、「みんなで戦おう」という気持ちを忘れなかった。

 そこでチームがバラバラにならなかったのがとても大きかった。野村克也監督の言う「無形の力」が発揮された気がします。「3割を打った」とか「56号を記録した」という数字以上に、人と人との関係性や、チームとしての流れや勢いを大切にしたいとあらためて思いましたね。

真中 「56号」と言えば、2022年の村上宗隆についてはどう思いますか? もう何度も聞かれていると思いますけど(笑)。

髙津 つくづく、「味方でよかったな」と思いますよ(笑)。
打率は残せるし、右にも左にも打てるし、相手からしたら実に厄介。本当に味方でよかったなと思いますね。

【悔しくて、日本シリーズの記憶は曖昧...】

真中 では、ここからは2年連続の激闘となったオリックス・バファローズとの日本シリーズについて伺います。僕は「4勝2敗でヤクルト」と予想していました。あるいは、「山本由伸の状態がよくなければ4勝1敗もあり得るかな?」と。そして、初戦で見事に山本を攻略した。初戦の入り方については、かなり意識したんじゃないですか?

髙津 もちろん、初戦で山本投手を攻略したことは鮮明に覚えているし、第7戦でジェイコブ・ワゲスパック投手が投げて、塩見(泰隆)が三振してゲームセットになった場面もよく覚えているけど、実はシリーズ全般の記憶が曖昧なんですよ。

ペナントレースの記憶は鮮明なのに、日本シリーズに関してはあまり覚えていないんです。

ヤクルト髙津臣吾監督「日本シリーズは悔しさしかなくて、記憶が曖昧で…」。真中満と語らう激闘。数少ない鮮明に覚えているシーンとは?
真中 1試合1試合、常にリセットしているからですか?

髙津 いや、完全に入りきってしまっていたことと、もう悔しさしかなかったからです。「悔しさ」が強調されているから、具体的な試合内容よりも「負けてしまった」という思いが強いんです。

 全7戦、それぞれのポイントがあったのはもちろんなんだけど、初戦に山本由伸投手を打ち崩したこと、第2戦で(内山)壮真のホームランで引き分けたこと。あとは......もうそれくらいしか思い出せない(笑)。

真中 敵地・京セラドーム大阪に乗り込んだ第3戦では、不振の山田哲人を三番から一番に起用しました。
それまで一番だった塩見泰隆との入れ替えだったけど、これは塩見のためにというよりは、山田の復調を考えた起用だったと思ったんですけど......。

髙津 もちろん、そうです。でも、本当はそれもしたくなかった。塩見は一番に固定して、「三番・山田哲人、四番・村上宗隆」は決して崩したくなかった。それが本音でしたね。

真中 シーズン中も、基本はそのスタイルでしたからね。

髙津 僕はバッターのことはよくわからないけど、気分転換も大切だし、打順を変えることで何か変わるチャンスがあるのならばという思いはありましたね。

【層が厚く、レベルが高かったオリックス中継ぎ陣】

真中 シーズン中にも「一番・山田」でオーダーを組んで、彼が先頭打者ホームランを打った試合(8月14日、対横浜DeNAベイスターズ戦)もあったけど、日本シリーズの大舞台で山田を一番に起用して、しかも殊勲のスリーランホームランを放って勝利した。まさに、監督冥利に尽きる采配でしたね。

ヤクルト髙津臣吾監督「日本シリーズは悔しさしかなくて、記憶が曖昧で…」。真中満と語らう激闘。数少ない鮮明に覚えているシーンとは?
髙津 僕としては、そのホームランの前のセカンドへの内野安打が本当にうれしかったですね。当たりは決してよくなかったけど、哲人にとってのシリーズ初安打。そうしたら、そのあとにスリーランホームランですからね。

 いい意味で、「あぁ、こんなもんなんだな」って思いましたね。それで、「よし、この作戦は今日で終わりだ」と思って、翌日から哲人を三番に戻したけど、そのあとはうまくいかなかったですね。

真中 そこは髙津監督ならではの決断だと思いましたね。2勝1分で迎えた第4戦は0対1で敗れましたけど、ポイントとなったのは5回表一死三塁、ヤクルトの攻撃の場面で相手が山岡泰輔から、宇田川優希にスイッチ。連続三振を喫して無得点に終わった場面でした。

髙津 確実に三振を奪いにきて、まさにその術中にハマってしまった。あの場面で見事に結果を残した宇田川投手は立派でした。もちろん、犠牲フライが理想ではあったけど、とにかくバットに当てて前に飛ばすことができれば、また違う結果になったという気もします。ただ、あれだけの投手に対して、野手に「すぐに対応しろ」というのは酷な話だとも思います。

真中 この場面に象徴されるように、オリックスの中継ぎ陣は相当手強いと思いました。ベンチから見ていても、ビハインドで試合終盤にもつれこむと大変だという思いもあったのではないですか?

髙津 ベンチのホワイトボードには相手選手のリストが書かれているんですけど、オリックスの中継ぎ陣を見ると左投手がひとりもいないんです。さらに、第6戦、7戦はベンチに9人の投手を待機させていました。

「この強力中継ぎ陣がいれば、左投手なんていらないですよ」という層の厚さ、レベルの高さは本当にすごいなと感じていました。

真中 そうなると、とにかく序盤でリードしないといけないという思いになるし、それが焦りやプレッシャーにもつながるという悪循環になりますね。

髙津 あれだけパワーピッチャーがそろっているのは本当にすごかった。タイガースもリリーフ陣がいいけれど、オリックスはそれ以上だったと思いますね。平野佳寿投手のように技術でかわすピッチャーもいたけど、それ以外はみんなパワーピッチャーで、空振りを奪えるストレートに加えて、それぞれいい変化球も持っていた。本当に難しかったです。

真中 第5戦は吉田正尚の強烈なサヨナラホームランが飛び出して敗戦。これで、2勝2敗1分となりました。神宮球場に戻ってくる第6戦以降は、また次回に伺います。

最終回<真中満が髙津臣吾監督に問うヤクルト初リーグ3連覇へのプラン。三番・山田哲人、四番・村上宗隆は「変えない」「優越感があるふたり」>につづく

【プロフィール】
髙津臣吾 たかつ・しんご 
1968年、広島県生まれ。広島工高、亜細亜大を卒業後、1990年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。守護神として活躍し、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年、MLBシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。その後、ヤクルト復帰や、韓国、台湾のプロ野球、独立リーグ・新潟アルビレックスBCを経て、2012年に現役引退。ヤクルトの一軍投手コーチや二軍監督を務めたのち、2020年から一軍監督に就任。2021年は日本一、2022年はリーグ連覇を達成。

真中満 まなか・みつる 
1971年、栃木県生まれ。宇都宮学園、日本大を卒業後、1992年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。2001年には打率.312でリーグ優勝、日本一に貢献した。計4回の日本一を経験し、08年に現役引退。その後、ヤクルトの一軍チーフ打撃コーチなどを経て、監督に就任。15年にはチームをリーグ優勝に導いた。現在は、野球解説者として活躍している。