ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(10) 後編

(中編:「ハンセンも人の子やったんや」と驚き「ブレーキの壊れたダンプカー」の義理人情>>)

 ケンドーコバヤシさんが語る、1998年8月23日の全日本プロレス6人タッグマッチ(ハンセン、ボビー・ダンカン・ジュニア、ジョニー・スミスvsゲーリー・オブライト、高山善廣、垣原賢人)。後編では、ケンコバさんとハンセンにまつわる秘話を初公開した。

ケンコバが語るハンセンとの秘話「日本プロレス界最大の事件」の...の画像はこちら >>

【ハンセンの「事件」がらみで届いたクレームの手紙】

――中編の最後で話題に出た、ケンコバさんとハンセンとの初公開の秘話とは?

「実は、あるプロレス関係者の近親の方から、ハンセンに関するクレームのお手紙をいただいたことがあるんです。このことは、知る人ぞ知るプロレス界の"影の歴史"と呼ばれている出来事ですね」

――誰も呼んでいないと思いますよ(笑)。ただ、クレームとは穏やかではないですね。どんなことに関してですか?

「日本プロレス界の最大の事件と言ってもいい、全日本が新日本からハンセンを引き抜いた事件です」

――1981年12月13日、全日本の世界最強タッグ決定リーグ最終戦が行なわれた蔵前国技館に、新日本のトップ外国人選手だったハンセンが突然現れた事件ですね。ザ・ファンクスと対戦した、ブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカのセコンドにハンセンがつくという衝撃的な光景でした。

「この時に試合を中継した日本テレビの倉持隆夫アナウンサーが、花道に映し出されたハンセンについて『誰だ? あのテンガロンハットの男は!』と伝えた名調子の実況があったじゃないですか。かつて、俺はそれを『誰がどう見てもハンセンやないか!』と、ネタとしてあちこちで話していたんです。

しかも、『倉持さんもほぼ関係者だから、移籍の話も知っていたはずや』って突っ込んでいたんです」

――あの実況を覚えているファンは多いでしょうね。ただ、解説を務めた『東京スポーツ』の山田隆さんも「ハンセンですよ!」と口走っていました。

「そうなんですよ。だから、『倉持さんも山田さんも、ハンセンが登場することは知っていただろ』という話をしていたら......倉持さんのご子息から、『父は本当に知らなかったんです』とお手紙をいただいたんです。

 倉持さんが『マイクは死んでも離さない―「全日本プロレス」実況、黄金期の18年』(新潮社)という著書を出版された時に、出版に携わったご子息からその本をプレゼントしていただいた時に手紙が添えられていたんです。『倉持の息子です』って」

――わざわざ手紙を出すほど、『倉持さんはハンセン乱入を事前に知っていた』という認識を改めてほしかったんですね。

ケンコバさんの考えは変わりましたか?

「申し訳ないんですが......『どう考えても知っていただろう』ということは譲れませんでした(笑)。ただ今は、そのことを話す機会はないですけどね。

 僕は子どもの時、倉持さんの実況が好きで、『全日本プロレス実況生中継!』みたいな感じでよくモノマネをしていました。それが、友達の間で『うまいな。もっとやって』と大好評だったんです。それくらい、倉持さんの実況は本当に好きでした。
露骨に選手をえこひいきする実況とかも最高でしたよ(笑)。逆に、テレビ朝日の古舘伊知郎さんのモノマネはできなかったんです。あれは、古舘さんしか成立しない実況でしたね」

【全日本で輝きが増したブルファイト】

――ハンセンを通じて、ケンコバさんと倉持さんの間にそんな秘話があるとは、つくづくプロレスは深い物語です。そもそも、ケンコバさんはハンセンにはどんな印象を持っていたんですか?

「ハンセンは、新日本時代ももちろん脅威でしたけど、どこかで『アントニオ猪木さんが作り出す世界の中で戦っていたレスラー』のように思っていたんです。それが全日本に来てからは、まさに"ブレーキの壊れたダンプカー"でブルファイトに磨きがかかりました。

 阿修羅・原に何度も何度もウエスタン・ラリアットを見舞った試合なんて、『本当に誰も止められないんじゃないか』と思いましたからね。

もっとも阿修羅・原は、そのおかげでヒットマン・ラリアットを習得しましたけど」

――テリー・ファンクとの抗争、ジャイアント馬場さんとの名勝負、ブロディとのミラクルパワーコンビ......全日本に移ってからのハンセンは輝きを増しました。そのハンセンが高山、垣原の「U系」と初遭遇したのが、今回お話しいただいた1998年8月の6人タッグでした。

「ハンセンが"U"のレスラー相手に不成立の試合をやるんじゃないか、といった不穏なムードの中で、ハンセンがダンカン・ジュニアを徹底的にフォローしたから、俺にとって余計に忘れられない試合になったんです。ただ、ハンセンは高山選手とのマッチアップでガンガンやり合っていましたし、試合後は途中まで花道を引き上げた後に、再びリングサイドに突進して高山選手と大乱闘を展開。あのキレっぷりで本来のハンセンを取り戻しましたね」

――あそこで、ハンセンが怒った理由はなんだったんでしょうか?

「U系のレスラーがカッコつけている、と思ったかもしれませんね。アップライトの構えなんか、ハンセンは嫌いそうですもん。

あとは、当時の全日本でやる選手が少なかった、ローキックが嫌だったのかもしれません」

――なるほど。

「こうして記憶を辿っていくと、つくづく思うんですが、ほぼ忘れかけた試合でもすごく歴史的な試合は全日本プロレスに埋もれているんです。それこそ、日テレがある汐留には歴史的遺産、宝の山が埋まっているんですよ。この連載でも何回か言ってますけど、それをDVD化してほしいですし、日テレアーカイブにはホンマに期待しているんです」

(連載11:『やめろぉぉ!』天龍源一郎の「53歳」に柴田勝頼が白目 リングサイドのケンコバは叫んだ>>)

【プロフィール】

ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。

1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメトーーク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。